苫米地式コーチングで本気で変わっていく人のためのブログ

Mind Architecture代表 文野義明(苫米地式コーチング認定コーチ)のオフィシャルブログ。
苫米地式認定コーチである文野義明が本気で変わりたいと考える人に向けて発信するブログです!
ブログを通じて、本気で変わりたい人のマインド設計を促していきます。

タグ:Want-to

ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明(ふみのよしあき)です。


ひとは誰しもこの世に生を受けたときは赤子であり、そして誰しも平等に歳をとっていくものです。

誰しも歳を平等にとっていきますが、そこには成長という概念が必然的に入ってきます。

なぜなら、歳を取るということは、経験が積み重なってくるからです。


経験とは、基本的に知識であり、有益な情報です。

それを持っているかいないかで、そのひとの言動にも風格にも、スパイスのようなピリリとした違いが現れます。

つまり、言い換えれば、時間とともにひとは勝手に成長していくということです。


さて、実を言うと、この事実はパーソナルコーチングでもつくづく感じることです。

コーチングをしていると、ひとは勝手に変わります。

ひとは勝手に成長を始めます。


コーチの腕の見せ所はもちろんたくさんありますが、それをおいても次回コーチングまでの1カ月というひとつのスパンのなかで、驚くほどの変化を遂げます。

こういった事実を間近でみると、ひとはそもそもの機能として勝手に成長する力が備わっているのだなと思います。


では、ここで逆説ですが、なぜ私たちはこんなにも自分が成長していないとか、悶々とした閉塞感を感じるのでしょうか?

デフォルトで成長し続けるなら、突破されて必然です。


しかし、実際はなかなか解決されることがありません。

そういった二律背反の事実を踏まえると、残酷な仮説が浮かびます。


その残確な仮説とは、ひとが勝手に成長するために使うエネルギーをわざわざ自分を成長させないように使っているという仮説です。


例えば、子供のころの自分というのは、何もやるにしても好奇心でいっぱいです!

これはDNAに書き込まれた根源的な欲求です。


やりたいということがあれば、善悪の判断もなく躊躇せずに飛びつきます。

もちろん犯罪や殺人がダメといった、倫理的・道徳的基準を満たすことは必要ですが、だとしても好奇心までは消えません。


この好奇心は消えたというわけではなく、自分でわざわざ抑えているという解釈です。

なので、自分で抑えることがなくなれば、また好奇心を持って躊躇せずに新しいものに飛びついたり、成長していきます!



もちろん、ゴールをある程度達成され続けると、ひとは今度は違う悩みを持ち始めます。

それは『次、何かしようか?』という悩みです。


ただ、この悩みを持つことは本来とてもいいことです。

なぜなら、自分が前に行きはじめること、つまりは成長するという方向にきちんと自分のエネルギーが使われているからです。

前へ進んでいなかれば、「次、どうしようか」などと考えません。



自分のストッパーを外しましょう。

ひとはデフォルトで成長します。


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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明(ふみのよしあき)です。


いつも言うように、私たちはゴールありきで生きています。

そしてゴールがなければどこにも行くことができません。


なので、まずは仮でもなんでもゴールを設定することが重要です。

なぜなら、ゴールがあることで初めて、1歩前に踏み出すことができるからです。
 

しかし、その肝心なゴールが設定できないというひとは正直少なくありません。


少し極端な言い方をすれば、夢もやりたいことも何もないという感じです。

夢もやりたいこともない代りに、そこにあるのはたいてい焦燥感とモヤモヤと漠然とした不安です。



そういったマインド状態の人に、現状の外側のゴールといっても残念ながら全く響きません。



ただ、それらは結構簡単に改善が可能です。


なぜならそこには、『ある視点』が決定的に抜けているからです。



現状の外側のぶっ飛んだゴールを設定するコツは、何かといえば、それは世界を知ることです。

私たちに決定的に欠けている視点は、自分の外側を観ることです。


よくありがちな間違いとして存在するのは、自分を観ようとすることです。

もちろん自分を観れないよりかは観れた方がいいのは間違いありません。

自分のことを知らないよりは知っていた方がいいのは事実です。


しかし、自分のことが観えたとしても、たいていはそこで止まります。

自分のひとつの側面が観えて「なるほど!」となるだけです。



ですが、世界を知ると、世の中には色々な問題があることに気付きます。

それこそ、自分が自分に対して問題と思っている以上の問題がワラワラと溢れています。


そういった問題を目の当たりにしたとき、普通のひとはその問題を何とかしたいと考えます。


ここには性善説とか性悪説とか、そういった高尚な議論はありません。

なぜなら、そういった問題を解決して役に立ちたいと心から思うのが人情というものだからです。


もちろんそういった問題の中で、どの問題が一番深刻で、自分がやらねばとなるかは、そのひとの特性です。


そして世界と自分が結ばれた紡ぎ目が、現状の外側のぶっ飛んだゴールであることに気付きます。



世界の問題といえば、例えば最近ではパナマ文書でしょうか?


@租税回避の方法



 @GoogleやAppleの脱税スキーム



もちろんパナマ文書は極端な一例ですが、身近なところに問題は溢れています。


誰も気づいていない問題も含めてです。


そこに眼を向けて、「何とかせなばならん!」となれば、それは十分立派な現状の外側のゴールです。


なぜなら、解決する方法も何もわからないからです。

そして自分はいてもたってもいられなくなるので、心からのWant-toのゴールです。



いうまでもなく、俺できるかな?とか私には絶対無理!!といった感情が湧いてきたら、ようやくコーチングらしくなってきます。


つまり、エフィカシーをあげましょう。


現状の外側のゴールを設定するコツは、世界を観ることです。


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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明(ふみのよしあき)です。


私たちがゴールに向かって進むとき、あれやこれやと色々な有象無象の根拠を考えます。

もちろん根拠そのものを考えることは極めて重要です。

なぜなら、ゴールとはすべからく現状の外側であり、自分のこれまでの知識も経験も何も役に立たない場所で戦っていくことになるからです。


それはいわば、ゴールについて、その達成方法も含め考え続けるということです!



では考え続けることに必要なものは何かといえば、必ず達成できるという確信です。

そしてもうひとつは、スマートさのかけらもないですが考え続ける体力です。


確信とは、言葉の定義上、信じて疑わないことであり、ここがあって後から根拠を探すというのが正解です。


自分はゴールを達成できるという確信が存在し、その達成のための行動をとり続ける、すなわち走り続ける基礎体力があるからできるということです。



さて、根拠のない自信を持つことが重要であると知りつつも、口で言われて「はい、わかりました!」とそうそうに納得して持てるものではありません。

なぜなら、とてもパラドキシカルですがそこに根拠がないからです。

根拠がないから確信が持てないという現状に対し、そして必要なものは根拠のない確信であるというのは、とても残酷な事実です。


ただここで同時に押さえたいのは、根拠があれば確信を持てるというわけではないという事実です

神の啓示を聞いたように、明確な根拠を与えられても、そこで普通「そうなのか!」といって確信を持てるひとはごくわずかです。


確信には根拠が必要であると主張しつつも実際根拠があっても行動できない、ここは中世のような闇のなかなのかと絶望したくなります。


そうして、右でも左でもないという一通りの議論を終えると、閉じた円環のなかから唯一飛び出せる方法は結局確信を持つしかないという、どうしようもない事実に気付きます。



 
@ウィル・スティーブンの何もなくても相手に伝わるという確信ww



この動画でとても面白いと思うのは、明確にデータもなければ、根拠もなければ、あなたをインスパイアするヒントも何もないといっているということです!


しかしながら、それでも明確に彼の主張が伝わってきます。

なぜなら、そこに彼の確信が存在するからです。

何か特別なものはなくても、Wanto-toで伝えたい情報は、必ず相手に伝わるという純然たる事実です。


私たちはこのような確信を錯覚だと往々にして揶揄します。

しかし、その錯覚を最後まで持ち続ければ、最後に現実になるというのはとても面白くも痛快なアンチテーゼです。


確信というのは、結局臨場感なので、最後は持っていなくても持っているフリをするだけで、実際持ててしまうものなのかもしれません。

そう考えると、根拠のない自信や確信とは、後から勝手にやって来るものです。

確信も最後まで持とうとし続ければ、いつの間にか確信になるのです。


つまり、今あるかどうかすら、最後は関係なくなります。


確信をとりあえず持とうすることから始めましょう!

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明(ふみのよしあき)です。


私たちには、大なり小なり目指す場所が存在します。

目指す場所というのは、もちろん現状の外側のゴールのことですが、現状の外側とは定義上眼に見えない存在です。

なので、それが本当に現状の外側なのかどうかは、明確に判断する基準はなく、正直判別することはできません。


もちろん現状の外側が定義上眼に見えないというところから堅苦しく演繹せずとも、もっとシンプルな言葉にするならば、それはただただ今自分が存在する場所が自分の居場所ではないという確信です。


もし今この場所が自分の望む場所でないのなら、次の選択は本当に望む場所に移動するより他にありません。

なぜなら今の場所が望む場所ではない以上、れ以上居続けても同じ毎日の繰り返しにしかならないからです。

これらを解決するのは、自分の望む場所をひとつひとつ丁寧に探していくというプロセスです。


言葉で表現すると、とても簡単ですし、明日からすぐに実践することができますが、何故か私たちはここで恐ろしいほど様々な理由を考えて動きません。

例えば、本当に自分の望む場所が存在するのか、ひとつひとつ探して望む場所が見つかるのか、見つかったとしてそこで次何をするのか、といった感じです。


その気持ちは非常によくわかります。

しかし、誤解を恐れずにいうならば、これらの質問は全く意味のないものです。

なぜなら、それらの質問はいくら考えても自明な回答は生まれないからです。


自分が望む場所が存在するかどうかは、仮に世界地図を持っていたとして、実際に住んでみないことには判断のしようがないのと同じです。

思ってたよりも気温が高いとか、湿度が高いといった情報は、実際に住むことで初めてわかります。

そして言うまでもなく、それらは言葉で聞く以上に、実際に経験すると、本当にそこに住むかどうかを、より臨場感を持って判断できます。


となれば、私たちが行動するために必要なものは何かといえば、如何に自分の気持ちをそのまま出すかどうかです。

そのまま出すとは、その感情に沿った行動を忠実に実践できるかどうかです。

そのまま出すことができれば、それだけで今まで以上にもっとうまくいくことが可能です。


なぜなら、一番人間のパフォーマンスが発揮されるのは、自分の心から湧き出すWant-toをそのまま外に出すことだからです。

それ以上は不要です。


私たちはもっと自分に誠実であるべきです。

聞くべきは他人の声でなく、自分の声です。



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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明(ふみのよしあき)です。


タイトルは昨日の1対1のパーソナルコーチングで、少し悔しそうにポロっとおっしゃった言葉ですw

しかしながら、この言葉は、コーチングとは何かを如実に表す言葉だと思っています!


良くご存知なように、コーチングという言葉の由来は馬車であり、馬車とはある地点から別の目的地まで送り届けるという意味が込められています。

つまり、コーチとは馬車であり、目的地まで送り届ける機能です。

それは裏返すと、自分の行きたいところ(目的地)は自分で決めるということです!


もちろん、私のコーチングスタイルとして、質問されたことに対して、理由も踏まえて理路整然とロジカルに回答します!

それは私の中では、最善の回答です。

しかし、その回答が、その人にとって最善であるかどうかは別の話です!

もっといえば、その人が私の回答を受け入れるかどうかを決め、あるいはそれをヒントにもっとより最善な回答を導くということです!


場合によってはスコトーマを外すために、わざと違う方向の回答を提供します。

猫という答えに対し、犬という答えを提供すれば、哺乳類というそれらを包摂した、ひとつ抽象度のあがった回答が現れます。


つまるところこれは、相手との関係性の中で答えが見つかっていく、苫米地式コーチングならではの「行き当たりばったり」の風景です!


「行き当たりばったり」とは、苫米地式コーチングのプリンシプルのひとつです。

その時、その人と、最適なタイミングと関係性のなかで、一番いい回答を一緒に探して見つけていく作業のことを私たちはこう呼んでいます。

戦略的との意味合いでも使います!

言うまでもなく、何も考えなしに、ふらつき迷走する、本来の意味での行き当たりばったりではありません。

ある人にとっての最善な回答が、また別のある人にとっての最善な回答ではないわけです。


さて、そんな『文野さんに聞けば答えがわかって、今のモヤモヤも晴れると思ってました』という言葉が出た経緯ですが、守秘義務の範囲内で答えると、その方はあることに大いに悩んでいます!

それこそ自分の今後の人生を冗談抜きで左右する、かなり重大な分岐点です。

仮にその選択をAとBとしたならば、AとBのどちらがよいのか、あるいはそれらを超えるウルトラCが文野の口から登場することを期待されていました!


そして私が取った選択は何かというと、それらに対して観方や考え方を提供しただけです!

聞かれたことはウソ偽りなく、正直に答える性分なので、そういった言葉がポロっと出た背景を少し考えると、その方にとってのウルトラCをこれまで連発しすぎたのかもしれません!


さて、そんなつまらない自慢話がしたいわけではなく、ここがコーチングの醍醐味です!

それは自分のゴールを自分の頭で必死に考え、それを決めて実践していくことです!


つまりは自灯明自燈自帰依(じとうみょうじとうじきえ)です。

自分で自分を照らし、自らを拠りどころとし、自分に由って立つから自由になるということです。


先ほどのAかBかの重要な岐路に対しても同様のことがいえ、自分でAなのかBなのかを決めないといけません。

いうまでもなく、ここは他人に預けていいところではありません。

私が仮に決めてもいいですが、決めればそれは奴隷の人生の幕開けです。

なぜなら、自分で自分の選択を行えず、あるいは自分の選択に自己責任がとれず、一生私が横で選択をしてあげないといけなくなるからです。


ハッキリいうと、そういうのはまっぴらごめんです。

依存者が増えて喜ぶのは、過去の手垢にまみれた自己啓発です。


少なくとも私はコーチングを自由になるためのツールだと考えています。

自分の意思を相手に預けるのは、自由とは真逆の発想です。

もちろん頼ってくれることは歓迎です!

自分に出来ないことを人に頼ることと、依存することは違います。



コーチングは2人3脚なので、色々なことに向き合いながら一緒に前に進むことは歓迎ですが、それがどうしても出来ないというのなら、あるいは私に全てを選択してほしいなら、私はにっこり笑ってあなたを置いていきます。

もちろん今後また大きく飛翔して、そのときのレベルに相応しい大きな悩みと大きな課題を抱え、再びコーチングを受けに来ることは歓迎です!


答えが出ないということは、基本とても苦しいことです。

しかし私は、「あーでもない!」、「こーでもない!」と頭を悩ませながら葛藤して、自分の答えを必死に導こうとしている姿勢に心から敬意を表しています。


確かにゴールが見つかれば、AがよいかBがよいかが決まります。

そしてそれは往々にして現状の外側であり、現状の外側とはコンフォートゾーンから離れることなので、色々な情動が洪水のように溢れ出します。


そういった大きな感情のうねりのなかで、『それでも!』と、一歩外の世界に踏み出すから現状の外側です。

様々なややこしい手続きをいくつも踏みながら、そこで命がけの跳躍をするから現状の外側です。


よくある現状の外側の誤解は、これらの葛藤を真正面から受け止めず、ただ思考を停止させ、倫理的にもおかしい、程度の低い欲求を爆発させるというものです。

確かに現状の外側とは、自分にとってなじみのないものであることが往々ですが、程度の低いを欲求を爆発させるのは、勇敢でもなんでもなく、ただのドンキホーテであり幼稚園以下の論理です。

軽犯罪を犯すことが現状の外側とは言わないし、サラ金でお金を借りることがノットノーマルというわけではありません。

それはただの都合のいい解釈です。


忘れず実践してほしいのが、答えが出るか出ないかではなく、そこにたどり着くまでのプロセス(ロジック)の方が100倍重要であるということです!

その過程には様々な悩みと葛藤を抱え、血と泥と汗に塗れながら前に進む泥臭いメンタリティーです!

そんな重たい身体で飛び出すからこそ、その一歩がゴールに行き着くための大きなエネルギーを産み出します。

私はそれが人の強さだと思っています!

そこに人の可能性が潜んでいると思っています!


だから、一歩を踏み出しましょう!

それが本気で変わっていくことだと考えています。

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