苫米地式コーチングで本気で変わっていく人のためのブログ

Mind Architecture代表 文野義明(苫米地式コーチング認定コーチ)のオフィシャルブログ。
苫米地式認定コーチである文野義明が本気で変わりたいと考える人に向けて発信するブログです!
ブログを通じて、本気で変わりたい人のマインド設計を促していきます。

タグ:Want-to

ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


最近私のブログの内容へのお問い合わせをちょくちょくいただくようになりました!

熱心にも過去のブログもどんどん読まれているみたいで、恐縮であり、ありがたいと思います!

ただ正直にいうならば、初期の頃のブログは今の自分からすれば、抽象度低すぎて 少し泣きそうなったりします。

もちろんたまに良いことも言っているので、そのあたりはちょっと自画自賛しておきます!w


さて、そんな問い合わせの中で、少し印象に残った言葉に、急に書いている内容が変わりましたよね?というものがありました。

そんな意識はさらさらないですが、あえて言うなら、その答えはパラダイムシフトが起きたということです!

当時はもちろんですが、そんなことを全く思っていません。
今もいわれるまで、特別気にしていませんでした。

スティーブ・ジョブズの『人は過去を振り返ったとき、初めて点と点を線で結ぶことができる』というスタンフォード大学の卒業公演での一説ではありませんが、それらに少しばかりの意味づけをすれば、それらは今の自分にとって必要な階段だったのだなと思います。

もちろん当の本人はそんなことは全く意識していませんし、当時はWant-toのまま気持ちだけで進んでいるところもあって、一貫性もへったくれもありません。

部分部分で急な方向展開はありますが、その方向転換した部分のなかではもちろん一貫性が保たれています。たぶん

一貫性もへったくれもない急な方向転換を、今の私個人の率直な感想をいうなのら、コーチとしてどんどんパラダイムシフトしたということでしょう。

抽象度の階段において下から上は観えませんが、当然上から下はスッキリです!

それはニュートン力学から、相対性理論や量子力学が説明できないような風景です。

これは私に限らず誰でもこれからゴールに進む過程で、突然起きてくるものです。


しかし、こういう言い方は事実ですが、あまり好きではありません。

なぜなら、それは私の過去の話であるからです。

私の過去のパターンが、そっくりそのままあなたのパターンになるわけではありません。

それは、野球の本から理想的な投球フォームを学んでみて、その通りに実践できないのと同じでしょう。

いきなりポーンッと上にいっていいわけです。
 

こういう言い方だと少し誤解を生みそうなので補足しますが、もちろん、気づきや理解の助けになるものはあるのでパターンを知ること自体、無駄になることはありません!

ただ、そこからキャッチできる情報はどうしても自分の今の抽象度の高さまでの情報だということは知っておくと少し幸せになれるような気がします。

下から上が観えないというのは、純然たるプリンシプルです。
自分でいっていても、この事実はただただ悲しくなりますが。
 
下から上は観えないが、早く上に行きたいときはどうすればいいでしょう?

これは簡単で、その人に会いにいくなり、直接学ぶということです。
 
私の感覚でいえば、場を共有すると、発信する情報も受け取る情報もビット数の桁が変わります。

ドクターにも、空海にも、プラトンにも、偉人は例外なく、優秀な先生がついています。 

本質は身体と身体を合わせなければ学べないということです。 


なぜこんな要点が見にくい話を長ったらしくしたかといば、人はすぐわかった気になるからです。

そしてこれは、私が一番残念だと思うパターンだからです。

わかった気になるとそこで成長は止まります。
仮に理解が正しくても、その先は見ないようになってしまいます。

せっかく無限の可能性を秘めた光る原石を持っているのに、これほどもったいないことはありません。


実際アインシュタインもいうように、知れば知るほどわからないことが増えていくものです。

ニュートンの言葉を借りれば、真理の大海を目の前にして、きれいな貝殻を拾って喜んでいるような風景です。 


知れば知るほどわからないことが増えていく風景は、私自身も往々にして直面します。

そして結論がなかなか出ないことが圧倒的に増えてきます。


そうして、そんな右にも左にいかない議論に、非常にモヤモヤして仕方なくなりますが、だからこそどこに行きたい?という質問は重要です。

私たちの良く知る言葉で、ゴール設定というものです。
 

そして、それが決まるから、右にも左にも行くことが可能です。

別に右にも左にもいかず、道なき道をまっすぐいってもいいでしょう。


何気なくふらっとトイレにいくのでも、スーパーに買い物にいくのでも、そこにはきちんとゴール(目的地)が存在します。

またゴールに着けば、次のゴールが待っています。
スーパーではその後必要な食材を買うし、それ以上のものは手に入りません。

夕飯がすき焼きのはずなのに、ジンギスカンを買おうとは思わないわけです。

現状から飛び出すためにやってもいいでしょう!
ただそれさえも、何気なくゴールが更新されています。

何事もゴールはきっちり更新するし、ゴール以上のことができないのが通常です。


サッカーでワールドカップ1位を目指して4位になることはあっても、4位になるといって1位になることはまず無理です。


まずはゴールを決めましょう。

そして、もっと先のゴールを見据えましょう!

そうすれば、一意に決まり、ドンドン勝手に進んでいくでしょう!

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※ゴールは遥か遠くまで!

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


『ゴールをどれだけ達成したいのか?』

これは非常に重要な問いかけです。

ゴールはWant-toであることもそうですが、臨場感も重要です。

もし自分のゴールがWant-toと臨場感をきちんと満たすなら、おそらく認知的不協和も起こるでしょう。
勝手に脳がゴールへ向かって動き始めます。


脳が勝手に動くとは、言葉の通り、どんどん能動的にゴールの達成の方法を考えるということです。

どうすればゴールを達成できるのか?

どうやったらもっと早く達成できるのか?

ゴールを達成したら、どんな未来が待っているのか?


頭のなかで、勝手にどんどん思考が進みます。

仕事中、通勤時間、家事育児、日常の何気ない私生活のいたる全ての時間で勝手に問いかけます。

それも誰に強制されたのでもなく、勝手にです。
自分がそうしたくて、いてもたってもいられない状態だから、普通です。

そしてたくさんのアイディアが浮かびます。


そういったことを繰り返していると、感情もヴィヴィッドに巻き起こり、自然と臨場感も上がります。
ゴールのイメージがより鮮明になり、そこにいない自分が不思議でなりません。


Wantとは欠乏を意味します。

欠乏とは、補わなければ非常に苦しく、とても不快で仕方がありません。


『ゴールをどれだけ達成したいのか?』という問いかけのは非常に重要ですが、それと同じくらい重要なことはこの質問を投げかけた時間です。

1日の何時間、この質問を問いかけるのでしょか?

欠乏という以上、1時間・2時間程度では足りません。

常に同時並行で、24時間問いかけるくらいがちょうどいいです。


それがホメオスタシスの鎖を引きちぎることにつながります。


自分に問いかけて、問いかけて、問いかけていきましょう!


自分のゴールのこと、自分の未来のこと、誰よりも一番に。

誰よりも真剣に。

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


かつて私たちが原始人だった頃、それは飢えとの戦いでした。

そういう意味で、私たちが雑食なのは、肉でも野菜でも、何でもいいからカロリーを摂取して、少しでも餓死するリスクを抑えるための成果のように思います。
もちろん狩猟だけでなく、農耕を編み出したのも、飢餓に抗った結果です。

現在はカロリーベースでいうならば、飢餓の克服に成功しています。

しかし、未だに世界で餓死する人が存在するのは、世界というシステムのどこかに何かしらのエラーが存在するからと考えられるでしょう。

そして後に貨幣による価値の交換というシステムを創造し、現代は貨幣が飢えというDNAレベルの恐怖と合致します。

現在を生きる私たちは、お金という煩悩が強いことにも納得です。


さて、遺伝子レベルでお金が飢餓と紐づいていると言及すると、途端にお金を稼ぐことにマイナスのイメージを持ってしまいます。

それはお金を稼ぐことは卑しいことだと感じてしまうということです。

しかし、いつも言うように日本は資本主義を掲げている以上、お金を稼ぐことは当然です。
もちろん犯罪はダメですが、他人に役に立つプロダクトなりサービスなりを提供し、堂々とお金を稼ぐことはむしろいいことです。

人の役に立っているのだから当然です!


この構図で考えたとき、お金が減ったり増えたり、ただ単に移動するだけのように感じます。
買えばお金は減るし、売れればお金は増えるということです。

しかしお金を払う、物を買うという行為を、抽象度あげて観たときは、全体の富は増えることしかないことに気づきます。


とても簡単になるように、AとBの2人だけの世界を想定します。

この世界に流通するお金はたったの1万円です。
そしてこの1万円はAさんが持っています。

このときBさんはとても良く切れる包丁を作ることに成功します。

そしてあまりの切れ味に感動し、Aさんはその包丁を1万円で購入します。

このとき所持金はAさんが0円で、Bさんが1万円となりますが、包丁という1万円相当の財も存在ます。

合計2万円の価値があることになります。


また、今度はAさんが非常に丈夫で熱伝導にも優れたフライパンを開発します。

そのあまりのフライパンの火の通りの良さに感動し、BさんはAさんに1万円でフライパンを購入します。

このときの所持金はAさんが1万円で、Bさんが0円です。

しかし1万円相当の包丁と、フライパンと、合計2万相当の財が存在することになります。

合計3万円の価値があることになります。


これを繰り返せば、どんどん世界で富が増えることは容易に想像可能です。

そしてこれを70億人でやるのが、世界経済です。


もちろん言うまでもなく、貨幣が勝手に増殖したわけではなく、そこには私たちの考えた付加価値が存在するから、富は増えていくことが可能です。

付加価値というといまいちピンときませんが、それは古い言い方で労働のことを表します。


富の源泉とは私たちの労働であると看破したのは、19世紀に資本論を残したカール・マルクスですが、カロリーベースでも飢餓を克服し、寿命という意味でも膨大な時間を手に入れた私たちは、自分たちが考える以上に好きなものに熱中することが可能です。

ある対象に時間を使えば使うほど、当然人よりもその対象はひとつ高い抽象度に行きつくことができるでしょう。

そして、そのインパクトをきちんと誰かに評価されれば、そこに財の交換が発生します。

つまり、自分を含む社会の富が増えることを意味します。



@異常なスピードと精度でゴールを決めまくるおじさん(左側)のフリースロー


誰が、何に、どれだけの価値を見出すかは、言うまでもなくわかりません。

しかし、ただのバスケットボールのフリースローさえ、これだけ出来るようになると、新しい可能性が観えてきます。

テレビで報道されたり、芸として他人から呼ばれたりなどするかもしれません。
そこは最後にゴールがものをいうでしょう。


同じ時間をかけるなら、好きなものに使った方が合理的だと思います。

才能というより、好きやWant-toで、抜きん出る何かで豊かになりましょう。

私たちは好きなことを突き詰めるだけで、豊かになることが可能です。

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


コーチングにおけるスタートは、兎にも角にもゴールです。

私たちはついついゴールを達成するための方法に眼が行きますが、これは本質的ではありません。
なぜなら、方法とはゴールが先にあって初めて意味が生まれるものであるからです。

ただ良く切れる包丁を持っていたとしてもそれはただの宝の持ち腐れです。
そしてこのとき美味しい料理を作るというゴールがあるからこそ、良く切れる包丁が機能します。

美味しい料理を作るゴールがあるから、自分の指を切るかもしれないリスクを抱えることが可能です。

美味しい料理を作るゴールがあるから、包丁を手に取って次に何をすべきか明確になります。


私たちはゴールがあるからこそ、前を観ることが可能であり、迷子になることがありません。

そんなゴールは達成することよりも、見つけることの方が大変です。


ゴールについて考えることは非常に大切なことです。
しかし『自分のゴールとは?』と、ざっくり過ぎる質問は脳をただ単に眠たくするだけになってしまいます。

そんなときはもう少しリアリティーがつかめるよう、『10年後の自分』という文言を質問に加えてみると良いかもしれません。

10年後というだけで、かなりリアリティーに締りが生まれてくるように感じます。


さて、ここで突然ですが10年後とはどんな未来でしょうか?

インターネットの登場により、情報が生まれるスピードも伝達するスピードも指数関数的に膨れ上がる現在ですが、当然10年後にはもっとドラスティックに社会情勢も変わっているでしょう。
もちろん情報も今以上に増えています。

人間の脳は無限の力があるという、半分幻想に近い信仰もありますが、脳という媒体が物理空間に存在する以上、明らかに有限な存在です。
有限である以上、どこかで必ず限界を迎えます。

そこから導かるひとつの未来は、ソフトバンクの孫正義CEOが指摘するように、10年とまではいいませんが、機械が人間を超える世界と思います。

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@ペッパー君


最近はイミテーションゲーム然り、チャッピー然り、コンピュータやロボット、人工知能をテーマにおく映画が多く発表されているように感じます。

それは近い将来間違いなく人工知能が登場する未来が非常に現実味を持っているからだと思います。

人工知能が登場し、人間を滅ぼす可能性があるという論争が、西洋ではすでにさかんにされており、ビル・ゲイツやスティーブン・ホーキング博士は、人工知能に対して否定的な見解を示していることはあまりにも有名です。


近い将来本当に人工知能が登場するのか(Watsonなどはすでに銀行に入ろうとしてますが)どうか、そして人工知能によってもたらされるのは繁栄か衰退かどうかは、非常に面白い問いかけです。

ですが、それ以上に必要なのは私たちのあり方であり、社会的機能です。

ここにもっと追加するなれば、そんなパラメータを外乱として扱えるほどのマインドです。
それにはそのパラメータ以上に大切なものがあることを意味します。

もちろん10年後人工知能のあり方をきちんと議論して、社会にちゃんと還元できるような人工知能学者というあり方がゴールになれば、上記のパラメータは外乱どころか、きちんと押さえておくべき情報です。


ただひとつ確実にいえそうなことは、情報が氾濫すればするほど、大事なものが観えなくなることもそうですが、それ以上に情報一つ一つが相対化されることを意味します。

そうなると益々自分の『意思』というもののウェイトが大きくなってくるでしょう。

より直接的な言い方に変えるならば、世界でどう生きて行きたいのか、世界でどうありたいか、大きなグランドデザインから現状が決まるということです。

それは階段を降りてくるような風景です。


このように考えたとき、私たちのひとつ指針は間違いなくWant-toですが、Wantの意味を『ほしい』と訳すより、『欠乏』と訳す方が適切なように思います。


実際Wantの語源は古期北欧語からで、「欠けている」という言葉からきています。
つまり、欠けている→ほしいとなったということです。

『ほしい』や『したい』という気持ちは非常に重要ですが、それだけではゴールに行きつくまで足りないように感じます。

Want-toという言葉には、楽しいものをやり続ければいいとの理解がありますが、本気の楽しさと娯楽のような楽しさを誤解されると困ります。
前者の楽しさは、その根底に飢えや渇きという言葉が潜んでいると思います。

もちろん本気の楽しさが娯楽のような楽しさなら言うことはありません。


言葉が変われば、そこから観える景色も違ってきます。


社会には一体何が『欠けている』と思うのか。

これを突き詰めると、社会的機能のヒントが観えてくるように思います。

そしてそれが自分の飢えや渇きなどの欠乏感を解消するものなら言うまでもありません。

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


私たちはすべからくゴールを持っています。
というより、ゴールがない人は存在しません。

一番強烈なゴールは、生命の維持に関するものですが、もっと他にも自分が気づかない無意識下のゴールはたくさんあるでしょう。

どんなゴールがあるかはもちろん個人個人で千差万別です。
ビックリ箱のように開けてみるまで基本わかりません。


さて、私たちがよく知るように、スコトーマの原理によって、自分の観たいものしか基本観ることはありません。
もっと言えばゴールに合致している情報が、RASを潜り抜けて意識にあがるということです。
この観点でもうひとつ深堀すれば、ゴールと自我は同じものであるということが可能でしょう。


そう考えたとき、私たちが今まさに悶々と湧き上がるネガティブな感情は、ゴールの責任です。
それと同時に、煌々と湧き上がるポジティブな感情も、間違いなくゴールのおかげです。

ゴールが自分にとってのWant-toならば、楽しくて仕方がないように、ゴールが自分にとってのHave-toならば、嫌で仕方がないのはある意味当然です。


現状の外側のゴールと自我を縁起で結ぶことが、ゴール設定と考えることができるでしょう。

そして自分の自我をゴール側の自我に評価関数的な意味で置き換えていくことです。


今の楽しい気持ちも嫌な気持ちも、全てはゴールからやってきます。

逆をいえば、自分のゴールが何かがわかれば、自分の自我も現状もよくわかります。

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