苫米地式コーチングで本気で変わっていく人のためのブログ

Mind Architecture代表 文野義明(苫米地式コーチング認定コーチ)のオフィシャルブログ。
苫米地式認定コーチである文野義明が本気で変わりたいと考える人に向けて発信するブログです!
ブログを通じて、本気で変わりたい人のマインド設計を促していきます。

タグ:TPIE

『まずは親を超えなさい』

本書籍の内容の全体像は、TPIE(セルフコーチング)を題材にしたゴール達成の指南書である。

そのエッセンスは、騙されやすい脳の習性を利用して、未来の記憶を作り、自身のゴールを達成していくことに集約できる。

脳は毎秒約1100万ビットもの情報のなかから有益な数ビットの情報を取り出すために、非常に高度な演算を逐次繰り返している。

もちろんこのとき、大半の情報が不要な情報として処分されわけだが、それらは未来永劫にわたって綺麗にデリートされるわけではなく、意識が到達できない無意識の奥深くに貯蔵される。

その貯蔵された情報が、次に入ってくる情報群のなかから、有益である情報と、そうでない情報を切り分けることに再利用され、私たちのコンフォートゾーンの形成・強化が行われる。

無意識が物事を判断する価値基準を時間とともに作り出しているわけだが、それらをもっと身近な事例に落とし込むと、その最大の功労者は『親』であるというのが、本書の裏側にある背景である。

もちろん例外的に親戚や祖父母のもとで育ったという可能性もあるが、本質的には自分の価値基準を作る点において、長く共に生活した人の価値基準をトレースするという意味では同じである。

守秘義務があり、詳しく綴ることはできないが、確かに私がこれまで実際にコーチングをしていくなかで、ゴール側へ飛び出すことを妨げる根底に横たわる原因のひとつに、親の姿がうっすら浮かび上がってくることが少なくない。

それらは親の施した幼少のときの教育や、親自身の過去の経験、今現在も引きずっている縁起などである。

親は親として、自分の見聞きしたものや経験の中で、親なりの最適解が導かれ、そして子供に良くなってほしいという純真な願いが根底にあるため、余計に根が深い。

なぜなら、子供自身も親の気持ちをきちんと理解しているからだ。


親と子供は血縁関係にあるものの、全く違う時代と、全く違う環境で、全く違うパーソナリティーを形成した、全く異なる個人である。

それらを打開する詳しいコーチング理論についての解説は本書に譲るが、自分が親と全く異なる人生を、自分らしい人生を謳歌するために必要なことは、まさにタイトル通り、まずは親を超えることから始まるのである。


さて、以上の前提を踏まえたうえで考えると、自分が無意識下す判断や、物事を意思決定する価値基準が本当に自分できちんと培ったものであるかという点は、非常に悩ましい。

コーヒーにするか紅茶にするか程度のささいな選択ならば、あえて問題として取り上げる必要もないが、仕事・結婚・人間関係といった、自分の未来における選択全てにかかわって来るのだから深刻である。

私たちが親の価値基準で判断し、行動するのなら、寸分違わず私たちも親と同じような人生を選択することだろう。

また、もちろん親が最大の洗脳者だからといって、親にだけ注意を向けるのは早計である。

なぜなら、家族はひとつのコミュニティーであり、家族は社会、国家に包摂され、そこには文化、規範、宗教といったもっとクリティカルな価値基準が潜んでいるためである。

これだけのファクターがあるなかで、自分のもつ価値基準が、自分のものだけの価値基準だと主張する方が難しい。


そういった終わりのない堂々巡りの議論を続けるなかで、指針となり、必要性が明確に高まるのが自帰依である。

つまり、外からの要請で獲得した価値基準を一度すべて再評価し、そしてそれを自分の価値基準に置き換えていくことである。

きちんと自分を拠りどころにし、物事を判断することは、近代社会においてもっとも重要なテーマのひとつであるが、日本の社会ではあまり必要とされない概念である。

なぜなら私たちの民主主義はGHQにもたらされたものであり、国民が血を流して獲得したものではないからだ。

欧州のように革命を通じて民主主義を獲得していない以上、その必要性が文化のなかに埋め込まれていなくても何ら不思議ではない。


価値基準を自分にもってくることを考えたとき、それは言葉以上に難しい概念だと痛感するが、自分らしい人生を謳歌しようと立ち上がるとき、それはどうしても避けては通れない問題である。

そして私はコーチングを日々実践するなかで、コーチングには価値基準を自分に取り戻すパワーがあると強く感じている。


本書を手に取り、ぜひその一歩を踏み出してほしい。

 

ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


勘違いという言葉を聞くと、私たちはとてもネガティブな印象を覚えます。

実際勘違いとは、単純に「天然」という意味での運用なら可愛らしいのですが、たいていの場合は逆鱗に触れる場合に用いられることが多いでしょう。

実際会社業務などでは勘違いでは済まない問題が存在し、勘違いを避けようと私たちは非常に神経質に構えます。

ネットスラング(?)でも『勘違い、乙』という言葉があり、これは分不相応な言動に対する批判でよく使われます。

出る杭は叩かれるというか、勘違いという言葉のネガティブな使われ方は、あらゆるところで直面します。


実際自分の無知が露呈するような勘違いは願わくは避けたいですが、思慮深くなると往々にして私たちの行動は結論が出せずストップします。

それではゴール達成も何もないでしょう。

停滞はただの現状維持です。

かといって、本気の自らの無知さを棚にあげ、好き放題言いたいことをただぶちまけることを推奨しているわけではありません。

こんな袋小路に陥ったとき、私たちに唯一出来る選択はただひたすらに抽象度をあげていくことです。


さて、そんな堂々巡りの伴う勘違いにも、コーチングにおいては非常に大きな武器になり得ます。


苫米地式コーチングでは、ゴール達成へのテクニックとして、臨場感の強化を薦めています。

このカラクリは非常にシンプルで、脳はゲシュタルトをひとつしか持つことが出来ず、複数ゲシュタルトが存在する場合、最も臨場感の強いものが選択されます。

もっと直接的にいいかえるならば、現状の臨場感と未来の臨場感を比較した場合、未来の臨場感が強ければ、そちらを自分の自我として脳が採用するということです。

ここだけ言われても、若干まだぼんやりしますが、脳という抽象度において勉強も運動もテレビゲームも、全ての情報はただの電気信号に過ぎず、どれでも脳からすれば同じものであるという事実を考慮すると、とてもスッキリして俯瞰することが可能です。

もちろん電気信号の採択する基準が臨場感であり、臨場感さえあればそれが脳にとってのリアルになります。

であれば、好きな電気信号を選べばいいので、ゴール設定がある意味勘違いでいいというといえるでしょう。

映画マトリックスで主人公のネオがIs this real?(これは現実か?)とモーフィアスに問うたときに、彼からWhat is real?(現実とは何だ?)と聞き返されたシーンを思い出します。

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@マトリックス


苫米地式コーチングとルー・タイスのTPIEがまだタッグを組む前の話ですが、実際苫米地式コーチングにおいてゴール設定のことを『大いなる勘違い』と呼んでいました。

大いなる勘違いとは、私たちが今、『現状の外側のゴール』として広く認識している言葉です。

また、ここで脳のカラクリに添うならば、どうせ勘違いするならドデッカく勘違いした方がいいということにも頷けます。

勘違いでいいというのが非常にシンプルな結論ですが、このカラクリを知ると、大いなる勘違いというネーミングは非常に秀逸だなと思います。


ただここで気をつけたいのは、ハッタリと勘違いは違うということです。

ハッタリは自分が出来ないと理解しながらも出来ると主張することですが、勘違いはそもそもそんなことを考慮せず、自分が出来ると確信して主張することです。

本気で願えば叶うというと、とても安っぽく聞こえますが、勘違いでいいのなら、容易に出来そうな気がします。

ゴール設定の本質は、ただの勘違いであるということです。

ただの勘違いをドデッカくすれば、それが私たちのゴールです。

思いっきり勘違いしていきましょう!

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


ルー・タイスとは、コーチングの元祖であり、苫米地英人博士とTPIEの開発を手掛けた人物です。

私のブログを読まれている方で、この名前を知らない人はいないでしょう!笑

実際にお会いしたことはありませんが、彼は私が尊敬する人のひとりであります。


彼の功績といえば、全世界3300万人が受講するコーチングプログラムを開発したことや、アイルランドの紛争を止めたことなどです。

他にもたくさんあり、あげるときりがありません。


そんな彼はもともとフットボールのコーチであり、そこから自分は今の年収の2倍は稼げる人間だ、つまりもっと出来る人だとの確信にいたり、今のコーチングの礎を気づきました。

日本全体での知名度は、確かに知る人ぞ知るという感じが否めませんが、アメリカでは抜群です。

そんなルーのもっともすごいと私が思うエピソードは、自身のコーチングプログラムの見直しを苫米地英人博士に依頼したことです。


そのときの彼の発言は、「誰にでもスコトーマはある。私にもこれまでの成功でスコトーマが必ずあるはずだ」だと記憶しています。

普通偉くなると、自分のやってきたことに疑いは持たないものです。

日本の場合だと、ずーっとその成功体験を胸に、延々と自慢話をする人が多いですよね。


さて、何がいいたかったかというと、私のこのルーの生き方が非常にかっこいいと思うということです。

別にこれまでの成功を捨てるわけではありませんが、現状に満足せず、常に上を目指したこともそうですし、自分の成功にもスコトーマがあると認めた点には頭が上がりません。


彼の心理は、成功者ほど厄介なスコトーマを持つというものでした。

確かにこれほど時代は刻々と変化しているのですから、今までの成功がこれからの成功であるはずはありません。 


これは今よりもっと前へ進むことを決めた人間は絶対に押さえておかなければならないポイントだと思います。

現状に満足することなく、もっとその先へ。

私たちはもっと先に行けます!

自戒を込めつつ、ルーの生き方に敬意を評して。

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