苫米地式コーチングで本気で変わっていく人のためのブログ

Mind Architecture代表 文野義明(苫米地式コーチング認定コーチ)のオフィシャルブログ。
苫米地式認定コーチである文野義明が本気で変わりたいと考える人に向けて発信するブログです!
ブログを通じて、本気で変わりたい人のマインド設計を促していきます。

タグ:重要性関数

ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


という風に、昨日の1対1のパーソナルコーチングに際、軽く叱られてしまいました!

『私、毎日チェックしてますから!』とプレッシャーをかけられたのも、もしかしたら初めてかもしれません!ww

確かに前回の記事が2月24日に公開だったので、2週間近くブログを更新していないことになりますが、個人的にそんなにきちんと読んでいただけたことに、感謝です!


言い訳をすると、ネットワークの不調により、これまで全くブログ等の媒体にアクセスができませんでしたが、昨日の夕方にようやく諸々が復旧しました。

もうひとつ言い訳をすると、私もこんなにブログの更新が止まることがなかったので、「ブログ書かなければ!」と内心結構焦っておりました!

ここ数年間、ずっとブログを書き続けていたので、今考えればコンフォートゾーンになっていたということでしょう!

何にせよ、これでまたブログやメルマガなどの情報発信が行えます!


さて、昨日は6ヵ月コーチングの最後の1回でしたが、最後も色々な発見がありましたね!

今の大きなテーマはご自身の未来のことです!

もちろん守秘義務があるので、この場で具体的な内容には一切触れませんが、未来に眼を向けたなら、そのゴール一点をただひたすらに見つめ、そしてその臨場感をどんどんあげていくことです! 

私たちはついつい、自分の今やっている選択肢が、本当に自分にとってよいものかであるかを悩みますが、結論をいえばどの選択をとっても正解です!

そしてその選択が常に最高の選択です。


言葉尻だけをとらえると、どうしても大ざっぱでいい加減に聞こえますが、実際にその選択が本当に正しいかどうかの結果は未来のその瞬間がやってこなければわかりません。

しかも仮にその選択を取ってみて、いい結果が返って来ても、次の機会にはそれをひっくり返すような出来事が起こるかもしれません!

もちろん逆も然りです。

人間万事塞翁が馬とか、禍福は糾える縄の如しということわざの通りです!


しかし、これがコーチングの面白いところであり、不思議なところですが、自分がゴールに向かってエフィカシーを高く持ち、ゴール側の臨場感を高く維持が出来たなら、どんなプロセスを通っても最終的にはそこに行き着います!

ダイソンもビックリの吸引力です!ww


他にも、あまり昔の嫌なことやネガティブな経験に対する臨場感も全く出てなかったですね!

6ヵ月の期間を通じて、ちゃんと不要なものも取り除けたので、ある日突然もう身体が動かなくなるということはないでしょう!

 
ちなみに苫米地式コーチングを受けてみて、過去のことが思い出せなくるということが頻繁に起こります。

その回答はとてもシンプルで、個人の持つ重要性が変わるからです。

重要性とは何かといえば、そのひとが五感から得る膨大な情報の中から、無意識の選択を通じて、意識の上にあがる基準のことです!

つまり、自分の重要性が高いものが意識の上にあがり、そうでないものは存在にすら気付かないということです!

例えば、FF13が好きならばライニングさんの姿に眼がいき、ルイヴィトンに興味があるならばルイヴィトンに眼がいくということです!


@ルイヴィトンとコラボしたFF13主人公ライトニングさん


話を戻しますが、その重要性が何かといえば、結局は自我であるということでした!

重要性関数とは、自我のことでしたね!

私たちのコーチングの流派は、他のコーチングの流派と決定的に違う点は、内部表現の書き換えを取り入れている点です。

簡単にいえば、コーチングを通じて別人になっていくこということです!


別人になれば、過去に経験した出来事への意味合いが変わることは当然です。

またひとによれば、重要でなくなるので、思い出す必要もありません。

昨日はいたズボンを今日の洗濯に入れそびれたかどうかはどちらでもよいことです。
なぜなら、入れ忘れたらまた次の機会の洗濯で洗えばいいからです。


そういう意味で、私のコーチングでは期間中のメールのやり取りを頻繁にすることを薦めています!

もちろん楽しくWant-toという前提です!


どんな内容でも必ず返信をお書きするのは当然として、それはサービスの一環というより、私個人の本音では、その方が変化が早まるし、何より過去の自分が書いた文字情報を残しておくことで、ふっと見返すと、その差分で自分の変化がようやく明確になるからです!


『え!こんなこと考えてたっけ?』というのは結構ザラに起こります!

モチベーションをあげるだけあげて、そのときはいい話聞いたわーと満足するけれど、3日くらいでその効果も消えて、結局何も変わらないよりは遥かに良いでしょう!

しかし、変化が自覚しにくいという点で、効果がありすぎるというのは、ある意味問題なのかもしれません!

明らかに贅沢な悩みですが、どちらがよりクライントの利益かを考えれば、もちろん答えは明白です。


ということで、とある企画にご協力いただけた特典のボーナスセッションはまた来月です!


こちらもまた、楽しみにしています!!


もっともっと先にいけますよ!

これからも応援しています!!

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『幻想と覚醒』

本書は21世紀の悟りを紐解きながら、我々の幸福とは何かについて書かれた書籍である。

なお、ここで21世紀と形容しているのは、釈迦が行った思考実験のみによる悟りではなく、現代数学や現代分析哲学等を踏襲した形式化を経た悟りであるためである。
形式化とは、数学で記述されたということである。


さて、私たちの幸福ついて考えるにあたって、はじめに現実(Reality)とは何かについて定義したい。

なぜなら幸福とは、『恵まれた状態にあって、満足に楽しく感ずること。しあわせ』と定義され、現実世界において要請される概念であるからである。
 
もちろん現実世界でないところでも幸福という概念は成り立つが、誤解を恐れずにいうなら、それはただの妄想である。


早速だが、現実とは、『いま目の前に事実として現れている事柄や状態』であると広辞苑では定義される。

この定義に当てはめて、「現実」をブログの文字情報を映すPCのモニターだと考えてみよう。
無論、スマートフォンのモニターでも構わない。

この文字情報を集中して真剣に読めば読むほど、その他の視覚情報がどうでも良くなる。
なぜなら、重要性が下がるために、目に写っていても脳に意識されないからだ。

つまりそれは見えていないということになり、見えていない以上は、脳にとってそれは現実ではないということになる。

コーチングの父である故ルー・タイスが好んだワークのひとつに腕時計を使ったスコトーマ実験がある。

まず最初にルー・タイスは「いま時間は何時ですか?」と聴衆に聞く。
そして、時間を確認してもらったあとに、その腕時計を見ないで、ノートにその腕時計をデッサンしてもらう。
 
そうすると驚くことに、いま見たにも関わらず、腕時計の絵が正確に描けないのである。
 
別に上手に描かなくても良く、特徴を押さえてあれば良いのだが、ひとつも間違えないで描ける人はほとんどいない。
3カ所、5カ所、10カ所以上も間違えている人が続出する。

ある人は無い数字を書いてしまったという。
例え、デザインが気に入って買った時計にも関わらず、買ってからは脳はもうデザインを見ていない。


この要因は、端的に我々のRASによるものである。
 
RASとは、獲得したたくさんの情報から必要な情報を選別するフィルターシステムのようなものである。
つまり、ひとつの目的が決まれば、無作為な情報の中から必要な情報だけを抜き取り、その他一切を処分する機能である。

また、このとき私たちが認識する情報のことをゲシュタルトという。
ゲシュタルトとは、全体と部分の双方向からなるひとつの意味を持つ塊のことである。


我々が知るべき脳科学や心理学の歴史を物理学や数学を踏まえて解きほぐしてくれる必読の書であるユーザーイリュージョンから、この事実をもう少し掘り下げる。

トール・ノーレットランタージュ著 ユーザーイリュージョン p.233
(引用開始)
 
ゲシュタルト心理学は、行動主義が全盛を極めた20世紀初頭には影が薄かったが、今日、名誉と権威を回復しつつある。

全体性と仮説の観点からでないと視覚を理解しえないことが明らかになったからだ。

私たちは感知したものをそのまま目にするのではない。感知したと思うものを見る。

意識に上るのは解釈であって、生のデータではない。

意識されるよりはるか以前に、無意識のプロセスによって情報が処分され、その結果、私たちは一つのシミュレーション、一つの仮説、一つの解釈を目にする。

しかも、私たちに選択の自由はない。

(引用終了)



上引用を理解するために、ここで有名な錯覚のひとつである「老婆と若い女」を取り上げたい。

これはある一方では老婆であるように見えるが、もう一方では若い女が見えるという馴染み深いだまし絵であるが、「認識する」という観点から考えると、錯覚とはとても奇妙な事例であることに気付く。

それは、内在する2パターンのゲシュタルトのうち、どちらか片方だけが勝手に選ばれたということである。

本来一枚のだまし絵の中には、もともと老婆と若い女という2通りのゲシュタルトが内在していた。
しかし、例えば老婆が見えた場合、若い女が切り捨てられ、実際取れる情報は老婆だけである。
つまり、図と地における、老婆が図となり、若い女が地となる。

この現象を説明するには、意識するという行為の前からどちらか片方の意味付けがすでに完了していたという風に考えることが妥当である。

つまり、私たちの経験する事柄は、意識される前にすでにどちらか片方のゲシュタルトを獲得していたということである。

これはあくまで、話を簡潔にするために、だまし絵という内在している2パターンの情報を全て知っているという前提で考えているが、今こうしているだけでも得られる毎秒約1100万ビットもの情報に対しても同様のことがいえる。

つまり無数のパターンが内在し、ひとつのゲシュタルトを残し、その他大多数の内在していたであろうゲシュタルトが全て処分されているということである。


では、ここでなぜそのひとつが選ばれたのかということについて考えるために、バインディング・プロブレム(結び付け問題)を取り上げたい。


具体的に乗馬を例としてバインディング・プロブレムを考える。

乗馬中、五感を通じて様々な情報が外界から獲得され、それが分別されて脳内の様々な領域へ送られる。
 
その後、さらに無数の神経細胞の間で細分化され、個々の細胞は辺、形、動き、色、光景、コントラストといった特徴を残らず分析してからそれを再構築し、乗馬の合成イメージを組みあげる。
 
さらに、ここに視覚だけではなく、聴覚、触覚、嗅覚、乗馬の嬉しさや楽しさといった情動とこのイメージを関連づける。


もちろんここだけ見れば、誰しも同様に脳内で刻一刻と結び付けがされているが、個人ごとに各要素の結び付けの割合が違うことは自明である。
個人によって結び付けられる要素と、そうでない要素も当然存在する。

何を持って個々人の結び付けがなされているのかを問うたものが、バインディング・プロブレムの本質である。

 
バインディング・プロブレムについては、細かい学説が多々存在し、現在でも非常に多くの論争が存在するトピックであるが、この場では個人の過去の情動をともなった記憶と経験によって、結び付けの割合が異なるという立場をとる。
コーチングのコンテキストで考えるならば、これはブリーフシステムである。

また、この結び付けの際、各要素が結び付いたこと(ゲシュタルト化)で初めて意味をもつが、単一の各要素だけではその意味を持たない。

つまり、世界にある無数の情報は、単一では意味を持たない情報の連続であり、そこから取り出すゲシュタルトは、個人個人で異なる。

言い換えれば、それは自分の観たいものだけを観ているということであり、もうひとつ踏み込んで言及すれば、それは幻想である。

なぜなら、絶対的な客観的現実など存在ぜず、また意味を持たない情報群のなかから、勝手に自分独自の意味を見出しているからである。


さて、悟りとは『空を体感する』という言葉で置き換えることができる。

厳密にいうならば、歴史的背景として釈迦は空という概念を提唱しておらず、釈迦が行き着いた結論は、あくまで縁起思想である。
その後、大乗仏教を大成し、理論化に成功した龍樹(ナーガールジュナ)やツォンカパが縁起の説明原理として空を用いた。
 
なお、龍樹の主著が「中論」であり、ツォンカパはチベット密教のゲルグ派の開祖である。

空とは、存在論における最上位に位置する概念である。
すなわち、現代分析哲学の存在論において、宇宙は包摂半順序束集合として記述される。
包摂関係のある情報が情報量の大小で並べられたときに、そのTopとなるのが空である。


最上位に位置するとは、全ての存在を包摂するということであり、全ての存在が同列に位置するということである。
つまり、「空」に達するとは重要性関数が無くなるということであり、すなわちすべての存在が同列に位置することになる。

全ての存在が同列であるということは、全ての存在がただの情報であると知ることに他ならない。

全ての情報が同列であり、そこから意味を勝手に作り出すことが無意識の機能であれば、自分の望む意味を勝手に作っていいとも解釈できる。

そして、自分が選択することとは、本来その機能として幸福である。

なぜなら、選択とは常に我々が今よりもっと良くなるために行う行為だからである。

また、選択には当然義務と責任が伴う。
それは、言い換えれば束縛である。

しかし、その束縛も自分が望んで選んだものであれば、それは本質的には束縛ではなく、自由である。
そして、いうまでもなく、束縛を選ぶこととは、自分の幸福を選ぶことである。


ぜひ本書を手に取り、幻想から覚醒し、心から望む束縛を選んでほしい。










ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


この世界にはありあとあらゆる情報が無限に存在します。

無限という言葉は、数学でも可能無限と実無限という言葉で二分されているように、非常にあいまいな概念です。

アプリオリにこれだと主張することはなかなかできません。

そういった中で私たちの行動は、もちろんある前提やある情報に基づいているわけですが、それらは当然無限に存在する情報の一部です。

無限にある情報のうち、私たちが得られる情報は高々毎秒約1100万ビットですが、それでも充分大きな量であり、今こうしている間にも取捨選択が逐次なされています。


さて、その取捨選択こそが評価関数の正体であり、私たちが往々にして自我と呼ぶものですが、自分を変えていくためには、この重要性のランク付けについてきちんと知っていく必要があるでしょう!

膨大な量の仕事をこなすには、効率良くもそうですが、可及的速やかに対応すべき事案とそうでないものが存在します。

言うまでもなく前者の優先順位は高く、そちらから普通取り組んでいくものです。

そして自分を変えていこうと考えたとき、私たちはこのプライオリティーをひとつひとつ変えて取り組む順番を変えることが大切です。


このランク付けは基本無意識が脳内で勝手にやっている作業です。

なので自分が意識的でなければ、基本関与することはありません。

ということは、これを極端に言い換えるならば、ランク付けは無意識に一任されているので、意識が無意識をコントロールするどころか、無意識に意識がコントロールされているという言うことが可能です。

株式会社の従業員が一斉に賃上げとストライキを行って、工場が全てストップするような風景です。

役員のメンバーの強硬な態度にも、従業員は全くひるむことはありません。

なぜなら彼らは無意識だからです。


従業員のストライキを解除するために、こちら側とあちら側がいくらか譲歩し合いつつ、打開策を探すことが重要ですが、如何せん従業員は無意識なので、交渉の余地は残念ながらないでしょう。

議論はいつも平行線です。


もちろん従業員の一方的な主張をなくなく丸呑みすれば、問題は滞りなく解決します。

これは個人の判断と個人のゴールに委ねられますし、それをそもそもの解決策と呼ぶかどうかは別として。

しかし普通の感覚を持ち合わせているならば、誰しも不服と感じるようにこれは簡単に認められるものではありません。

そして妙案があれば別ですが、基本すぐに思いつき誰でもできる方法は、そこで自分が立ち上がり、率先して前に出ることです。

従業員がこれまで圧倒的にこなしてきた量を自分ひとりですることです。

納期が遅れたり、品質が悪くなることはあるあるですが、そこは潔くあきらめて自分1人でやるしかないでしょう。

しかし、そうすることで従業員の工数の掛け方や品質について意見することが可能です。

もちろん彼らは彼らなりのプライオリティーを持っているわけですが、その基準を知ることで初めて打ち出せるアプローチが存在します。

恐らくたくさん存在するので、紙に書いてみることもおすすめです。


そして紙に書いてみた自分のランク付けを眺めてみて、それらのランク付けの上下を入れ替えたり、そこにランクインしていない項目をいきなりランクインさせてみます。

こうすることで初めて、これまで従業員がさぼってきたところにメスをいれ、自分の創意工夫で、より最適なランク表が出来てきます。


もちろん自分のなかでランク順位をどう変更すればいいのかわからないという場合もあるので、そのときは信頼できる人に聞いてみましょう。

そうして、新しいより強力な自分のランク表ができてきます!


いうまでもなく、このプロセスこそが自分を変えていくということです。

自分がどういう基準で仕事にとりかかかり、そしてこなすのか?

ここを知ることで、はじめて有効なアプローチをとれることになるでしょう。

Bundesarchiv_Bild_101I-297-1728-37,_Im_Westen,_Scharfschütze
※それは繊細に狙撃をするようなイメージで!

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


本当に変わるというのは、今のあなたが消えてなくなることです。

これは何も大げさではありません。

本当に消えてなくなります。


人の自我とは評価関数であり、重要性関数です。

つまりその評価の仕方や重要なものが変われば、確かに別人となることに納得できます。


ただ、ここがコーチングの難しいところでありおもしろいところなのですが、実はそこで本人は変わったという自覚は全くありません。

冷静に考えれば、それもそうです。

評価関数とはすなわち脳のことであり、その処理順序は インプット → 脳 → アウトプット です。

ここでインプットとは五感からの情報であり記憶であり、そしてアウトプットは思考であり意識です。


そして変わったという言葉をさらに掘り下げると、明確な基準が必要であることもわかります。

当然何か基準があって、その差分があるから変わったと理解できるのです。


関数が変わらなければ、先の処理順序は生きたままのなので、インバースを取ることでいくらでも参照可能です。


しかし、一端脳の処理の仕方が変われば、インバースによる参照はかなり困難を極めます。

例えば、指数関数からいきなり三角関数に変わったのに、どうしてその逆関数がどちらも同じものだといえるのでしょうか?


大抵の場合、人から指摘されることで、「あ、そうだっけ?」と気づきます。

私のクライアントでは、こんなことはざらです。

もちろん自分が変わったということを自覚できなければ、自分が戻ったということも自覚できないわけです。


なので、ここで外部記憶装置としてコーチの意味が表れます。


コーチはスコトーマ外しもそうですし、その変化を見逃しません。


話が少しそれましたが、本当に変わるとは得てして別人になることです。

なので、別人になるのですから、これまでの価値観も普通に変わってしまいます。

過去がどうのだとか、他人がどうのだとかもそうですし、いかにハワイに行くというゴールに対して飛行機のチケットを取らずに家で腕立て伏せを毎日していたかに気付きます。

くどいですが、本当に変わると自分ではそんなことすらわからなくなりますが。


最も過激な言葉を使うなら、自分を壊す覚悟のある人が、本当に変わる人です。

そこに命がけの跳躍(現状の外側)が必要だからです。

逆に、自分を壊す覚悟のない人は、別に本気で変わりたくない人です。

なんだかんだいっても、今の自分が好きですし、楽しいのです。

いつもいうように、別に私は一切現状維持を否定していません

本人がそこで納得していることを望んだなら、堂々と現状維持すべきしょう。


最後に誤解のないよう付け加えますが、壊すといっても、もちろん洗脳のようなものでは一切ありません。笑


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