苫米地式コーチングで本気で変わっていく人のためのブログ

Mind Architecture代表 文野義明(苫米地式コーチング認定コーチ)のオフィシャルブログ。
苫米地式認定コーチである文野義明が本気で変わりたいと考える人に向けて発信するブログです!
ブログを通じて、本気で変わりたい人のマインド設計を促していきます。

タグ:自己肯定感

ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明(ふみのよしあき)です。


現状の外側のゴールを掲げて、そこに向かってエフィカシーをあげる。


これがコーチングの全てといいといってくらいのエッセンスです。


エフィカシーとは、自分のゴール達成の自己評価のことで、エフィカシーが高ければ高いほど、ゴールは達成しやすくなります!

なので、ゴールがすでにあり、それの達成を考えるなら、日ごろからどんどんエフィカシーをあげていきましょう!


さて、このエフィカシーをあげようとしたとき、実践は言葉以上に難しいことがわかります。

言うは易し行うは難しといいますが、何をもって自分のエフィカシーがあがったのかを担保することができず、いたずらに自分の高揚感にその答えを求めます。


もちろん高揚感があるのは楽しいし、それ自体を否定するつもりはありません。

しかし感情ばかりに囚われると、大事なところを見過ごしてしまうのも事実です。


例えば、自分のエフィカシーがあがっていると感じているのに、全くエフィカシーがあがっていないケースとして、自分を大きく見せるというものがあげられます!


誰々の弟子と名乗ってみたり、元外資系企業出身と語ってみたり、人が聞いて「おお!すごい!」と思われるような鎧を集めて着飾ります。

自分の本来持つ凄さを認めず、自分は凄くないとどうしても考えてしまうことは根の深い問題ですが、かといって自分は凄いと思い込み、ナルシストに陥ることもこれはこれで問題です。

着飾ることで、本人は実際に高揚感とやる気に満ち溢れ、自分は何でもやれると本気で思っています。

そして、最初はそれでもある程度までは上手くいきますが、そこから先へ行こうとすると、それではうまくいきません。


話は飛んで、ここにショーン・マクアードル・川上の学歴詐称の本質が潜んでいると考えています!


ダウンロード
@ショーンKことショーン・マクアードル・川上



今回のショーンKの学歴詐称問題の概要を述べるなら、彼はこれまでにテンプル大学で学士を、ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得、パリ第1大学パンテオン・ソルボンヌに留学していたとプロフィールで紹介していましたが、週刊文春によるとこれらは全くのウソだということを指摘されたそうです。


正確には、「学位は取っていない」「パンテオンソルボンヌ(パリ第1大学)には入っていない。オープンキャンパスの中で聴講した」「ハーバード・ビジネス・スクールには、オープンコースの3日くらいのコースに1回行った」などと、ショーンK自らがインタビューで回答しています。


別に学位をとっているとっていないは関係ないと思いますが、ショーンKにとって学位があることは極めて重要な問題だったのでしょう。

つまり、学位という鎧が、自分の自己肯定感(エフィカシー)をあげるためにどうしても必要だったということです。

前述の論理に準えるなら、彼の外資系コンサルタントに相応しくないエフィカシーが、前述した自分を大きく見せたいというなんちゃってエフィカシーとして現れたのではないかなと思います。
 
それが今回の学歴詐称を引き起こしたきっかけだと、コーチング的には読み取れます。

その証拠に、実際ショーンKは高校生のとき、わけのわからない分厚い辞書を7~8冊持ち運び、プライドが高くて気が短ったそうです。


では、着飾ってもダメならば、本当にエフィカシーをあげるために必要なことは何でしょう?

それは自分を肯定することではなく、自分を受け入れることです。

その本質は、自分で自分をきちんと認めているからこそ、初めて自分を肯定できるということです。


自分を認めずに自分を肯定するとは、そもそも論理矛盾であることは明白ですが、何故か私たちはついつい汚いものに蓋をするように自分を受け入れることはせず、偽りの肯定感ばかりに眼を向けます。

学歴や職業や過去の功績ばかりで着飾って、肝心なところに眼を向けようとは一切しません。


それではそもそも上手くいくはずがありません。

なぜなら、全く自分のエフィカシーをあげていないからです。

もっといえば、ただエフィカシーを上げた気になっているだけです。

 
もちろん借り物でも最終的にエフィカシーがあがったならば問題ありませんが、自分を偽っているという事実は残念ながらどこかで自分に返ってきます。

ゴール側に向かって直進するなかで、自分の本質を問われるような、バイタルな課題にどこかで直面しますが、このとき一番の拠り所になるのが、自分に誠実であるというスタンスです。

自分に誠実であるということは、エフィカシー向上には極めて重要です。


清原和博に、ベッキーに、ショーンKと、芸能界は非常にコーチングが必要な業界であると如実に感じます。

というより、日本社会に必要です。


自分と向き合い、本当に自分を良くしていきたい方にこそ、コーチングが必要です。


当面はリスタートを切る意味でも、ショーンKさんからのコーチングをご依頼をお待ちしています!

ショーンKさん、コーチングのご依頼はこちらからです!(^o^)


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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


ひょんなことからたまたま思い出したので、少し自分の昔話をシェアします。

表題の通り、実を言うと、私はとても自己否定の強い人間でした。

学生のときから意識高い系というとあれですが、色々なお勉強をたくさんしたことと、色々な活動を通じて経験したことを、大きな自負にしてきましたが、その自負は本当に自分の底から湧き上がった自信ではなく、ただ自分を大きく見せたい虚栄心から来たものです。


学びがあったならいいじゃないと感じるかもしれませんが、結局自分に肯定感がないと色々なところでこじらせます。

例えば、学んでも学んでもまだまだ自分の至らないところばかりが眼に入り、自分に厳しく接するという大義の下、「なんでこれくらいできないんだ!」と毎日毎日ネガティブなセルフトークを繰り返していました。

他にも自分の努力に対し、自分をきちんと肯定することができなかったので、あまり努力していないと思われる他人を見つけては、あいつは「何もしていない!」と心のなかで扱き下ろしていました。

今思うととても嫌な人間です。

ただ当時の自分からしてみると、藻掻きに藻掻いていたし、そこから抜け出すために毎日毎日必死でした。


こんな状態だと自分の強みも強みとは思えません。

「頭いいよね!」という何気ない褒め言葉でさえ、「何いってんの?」と 照れるどころか心の中で真顔で反論します。

エフィカシーが低いと、自分だけでなく周りにも非常に迷惑です


さて、そんな自己肯定感のかけらもない状態でしたが、今はもちろんコーチングを通じて、そんな自分を抜け出しています。

その過程に色々なひとの助けがあったことは事実ですし、自分ひとりで上手くやったなどと口が裂けてもいえませんが、ひとの変革の第一歩として、そんな自分を辞めようと思ったのは紛れもなく自分です。

私個人劣等感から導かれた必死さの裏側へ隠れてしまって、一切見向きもしようと思わなかった真実を、受け入れることは非常に苦しかったし、これまでの恥ずかしい自分を全て捨ててやりたいという気持ちに何度も何度もなりましたが、そこを受け止めることで大きく上のステージにあがることができました。

半分あきらめにも似たような感覚のもと、そこから曇りない眼で純粋に観えた風景は全ては自分の縁によるものだという事実です。


つまり、自分が自己肯定感のかけらもなく、毎日死に物狂いで取り組んでいたのは、実は自分が好きで望んで、その状態に留まっていたということです。

当時の自分にこの言葉を伝えても、「そんなことはない!」と全く響かないでしょうが、仮に本当に抜け出したいのなら、「頭いいね!」ときちんとひとから評価されたとき、自分はここまで来たのかと何処かで納得するはずです。

それを自分の主観で、そうではないと決めつけて、聞く耳を全く持たなかったのは、まさしくスコトーマの原理です。

観たいものだけを観ていたという動かぬ証拠です。


そして自己否定をやめたとき、実は自己肯定感を高めることも、自信は持ったらいいのも、エフィカシーは上げればいいというのも、ようやくその意味が理解できます。

なぜなら、自己否定をやめたように、それらもただの選択だからです。


結局は自分が無意識レベルで何を望むかであって、何を確信するかで、全て必然的に決まるということです。


自己否定は別にしなくていい。

まずはそんな自分を受け入れることから始めましょう。 

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


エフィカシーをあげることは非常にゴール達成において重要です。

しかし、概念や知識としてエフィカシーをあげることの必要性を知っていても、実際なかなかに上手くいかないことが大半です。

なぜなら、エフィカシーをあげればいいといわれても、どうやってあげていいのかわからないからです。

よくあるエフィカシーの議論として、エフィカシーは『あがるもの』ではなく『あげるもの』だという議論がありますが、結論は後者でも、それであげれたら苦労はないよと思います。

エフィカシーは基本眼に観えませんし、触ることもできないから当然です。

眼に観えない以上、触れない以上、どうすることも出来ないように思います。


しかしといいつつも、経験則として、成功体験があるとエフィカシーがあがることを私たちは知っています。

もちろん一度や二度の成功体験では、容易にホメオスタシスに絡め取られてしまいますが、例え小さなものでも繰り返し継続的に成功を収めることで、それが自然とコンフォートゾーンに変わります。

それは段階的なエフィカシーの向上ということができるでしょう。


もちろんそれは正解です。

ただの経験則ではなく、認知心理学でも小さな成功が自己肯定感の向上に一役買うことがわかっています。

きちんと学問として証明されている以上、誰がやっても同じ効果が得られる可能性が高いでしょう。


ですがここでおもしろいのは、実際やり方がわかったとしても、同じ場所から全く動けません。

やるべきことが明確になっても、今度は何が小さな成功にあたるだろうかと、別の疑問が浮かんできます。

そして気づけば、時間だけが過ぎていき、やり方を知る前と何もかわっていないことに気付きます。


ここで重要な事実は、別にやり方の問題ではなかったということです。

エフィカシーはあがるものではなく、あげるものだという押し問答しているときと、この事態は本質的に何も変わりません。

というより、問題の出所は同じであるから当然です。


それはつまり、ゴールがなかったということです。

ゴールがないのに、エフィカシーをあげる必要がなければ、やり方を見つけても仕方ありません。


ゴールがあり、ゴールに向かっていく必要があるからこそ、エフィカシーをあげることも、小さな成功を収めながら自己肯定感を高めることも、その必要性が浮き彫りになってきます。

エフィカシーが高いだけでは残念ながら何も生まれません。

まずは、最初に自分のゴール設定から始めましょう!

エフィカシーをあげる必要が生まれてくるのは、その後です。
goal
※まずはゴールを見つけることから!

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