苫米地式コーチングで本気で変わっていく人のためのブログ

Mind Architecture代表 文野義明(苫米地式コーチング認定コーチ)のオフィシャルブログ。
苫米地式認定コーチである文野義明が本気で変わりたいと考える人に向けて発信するブログです!
ブログを通じて、本気で変わりたい人のマインド設計を促していきます。

タグ:抽象度

ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明(ふみのよしあき)です。

6回のパーソナルコーチングを終えた方(厳密にはまだ期間中!)から、非常に示唆に富むメールをいただきましたので、匿名での掲載を許可していただいた上でシェアします!

自分でいうのもあれですが、今日のブログ記事は少し毒が効きすぎです!www


(引用開始)

文野様

こんにちは。〇〇です。
今日、沖縄での試験結果頂き、お蔭様でm(__)m合格しました(^_^)v

今思うと、かなりご迷惑おかけしながらですが、エキサイティングな数ヶ月でした。

沖縄まで行ったり、若干クレイジーなモードになりながら、 生徒集めから、モニターレッスン、何年ぶりかの指導案作りやら、レポートまとめたり、ペーパーテストや、実技テストやら。

飛行機も何年ぶり?飛行機どうやってチケットとった?どう乗った?(オイオイ) 泊まりでそんなに親しいってほどじゃない人達と密に過ごすのも、私には、かなりハードルが高いことですし。

きっと、コーチング受けていなかったら、この展開はやはりあり得なかったように思います。

何だかんだ言いながらも、チラシ…作れるでしょ。生徒…集まるでしょ。レッスン…楽しくできるでしょ。沖縄…行けるでしょ。試験…受かるでしょ。結構、エフィカシー高く持っていたのかもしれません。

(中略)

どう今後活かせるか。
ゴールですよね。

(中略)

よろしくお願いいたします。
今度は、発表会に向けて、進みます

(引用終了) 



まずは、試験合格おめでとうございます!

もともとちゃんと合格できる力を持っていたので、それがきちんと本番で出させれば問題ないと思っていました!笑

それとちゃんとエフィカシーはあがっているので、心配せずにドンドンいきましょう!!


さて、改めて読み返しても、非常に自身の巡り巡る情動の動き、そして躍動感の伝わる内容だと思います。


このフィードバックメールを通じて、最も伝えたいメッセージは以下です。

>何だかんだ言いながらも、チラシ…作れるでしょ。生徒…集まるでしょ。レッスン…楽しくできるでしょ。沖縄…行けるでしょ。試験…受かるでしょ。
>結構、エフィカシー高く持っていたのかもしれません。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^


エフィカシーとは何かをという難解な回答を、とても秀逸に表現してくれた言葉だなとつくづく思います。

なぜなら、エフィカシーとは高揚感でも、モチベーションでもないからです。

エフィカシーとは、ゴール達成の自己評価です。


ゴールを達成できるときちんと自己評価することができれば、高揚感のあるなしに関わらず、『淡々と』必要な行動を起こせますし、移せます。

そういう意味で、もしかしたらコンフォートゾーンという言い方をした方が理解としては適切なのかもしれません。


例えば、資産運用の世界で2億円を運用するひとは、自分の行為に特別な高揚感はありません。

淡々と資産を運用して、自分の資産を大きくしているだけです。


しかし、資産2億円を運用するという行為がコンフォートゾーンに存在しないならば、2億円を運用しているひとに対して、なんてエフィカシーの高い人なんだと感じます。

なぜなら、2億円を運用するなんてことは、自分の現状にとって考えられないことだからです!


もし高揚感等の感情の有無によって、エフィカシーがあがったさがったの基準にするのであれば、ドーピングでもドラックでも何でもやればエフィカシーがあがるということになります。

確かにドーピングやドラッグを仮にやって、高揚感を得た場合、何でもできるという一種の全能感のような感覚は得られます!

そして、何の抵抗もなく今までチャレンジできなかったことにチャレンジできるということはあり得ます!

しかし、それらは一生持続しない、借り物のなんちゃってエフィカシーです。


もっといえば、一過性の感覚で、エフィカシーが測れることはありません。

本物のエフィカシーは、ずっと自分はゴールを達成できるという確信だけが存在します!


エフィカシーの上げ方は、もちろんオーソドックスな回答は『自分であげる』というものですが、これは私たちが持つ現状の世界観の中で解釈すると、たいていは上記のような感情至上主義に陥ります。


ひらたくいうと、エフィカシーをあげていもいないのにエフィカシーがあがったと自分を鼓舞するということです。


そしてエフィカシーが1ミリもあがっていないので、どこかで失敗すると(現状の外側に飛び出したことは大いに素晴らしいことです!!)、「コーチングはやっても効果がないでは?」と頓珍漢な意見を主張し始めます。


そもそもエフィカシーが本当に高ければ、そこで「自分らしくなかった」と考え、別の違うもっと上手くいく方法を考えますが、そこに全く考えが及びません。


最近はそういう意見を小耳にはさむ中で、自分がかかわったクライアントには、そういった世界へ一緒にシフトしていくことも、コーチとしての機能なのかなと思います!

ただ基本コーチは、クライアントの価値観に関与しないものなので、正直難しいところです。


それを踏まえても、コーチングを通じると、正直本人の自覚の有無に関わらずエフィカシーは勝手にあがります!


何にせよ、自分の判断基準では測れないほど遠くに来てしまうから、「激変した」といえるわけです。

それは故スティーブ・ジョブズではありませんが、過去を振り返ったときに初めて、そのときの意味がわかります。


そういう意味で、シェアしたフィードバックはとても素晴らしいものです!

今の高いエフィカシーをますますあげて、今後の成果やゴールをもっと達成していってください!


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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明(ふみのよしあき)です。


コーチングで最も重要な概念は、このゴール設定です。

兎にも角にもゴールです!

コーチとは、もともと馬車の意味ですから、コーチングは目的地があって機能します。


つまりゴールがあるから先に行けるということであり、そして裏返せばゴールがなければどこにもいけないということです。

いつもいうように、ゴールは達成することよりも設定することの方が100倍難しいのです!


ある程度物理的にほしいものが簡単に手に入ってしまうという豊かな社会事情もあいまって、このゴールがなかなか設定できません。

実際私個人でいうなら、今のゴールにたどり着くまでに1年半以上かかっています。

自分でいうのもあれですが、よく1年半程度で見つかったなと思います。

それくらい幸いです!

そしてそのゴールはまた、近い将来変わっていくでしょう。 

なぜなら時代にあわせて、ゴールも抽象度をあげていく必要があるからです。 


またそれと同じく、ゴールには賞味期限も存在します!

なので、一回見つかったら万々歳というわけではなく、そこから素早くどんどんゴールを更新していくことです! 

鮮度の高いうちが、ゴールから受けられる恩恵も多いです!

例えば鮮度が高いとそれだけゴール側の臨場感が高く、勝手にガシガシゴールに進んでいくことも可能です!


さて、私の場合、実を言うとコーチになってから大きくゴールが3回変わっています。

厳密にはもっと変わってますが、わかりやすいの3回です。


一番初めは、コーチ補の頃で、世界のエフィカシーレベルをあげたいと考えました。

純粋にドリームキラーのいない世界というのは、それだけで素晴らしいものです。
自分の本気に対して、それを全面的に肯定しくれるのは、とても心強く楽しい世界です。


次のゴールは、ブログでもおなじみの文言である、
自灯明自燈自帰依(じとうみょうじとうじきえ)です。

これは自分を照らし、自分を拠りどころとし、自分に由って立つということです。
コーチングとは、必然的に自分と向き合っていくことになりますが、このプロセスを順当にたどると、上記のような言葉を踏襲した人が社会にたくさん生まれればと考えました。


最後のゴールは自律です。

これは何かに依存することなく、自分の足で立って、自分の考えで行きたい方向に行くということです。

自律とは、他からの支配・制約などを受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動することです。 

また少し拡大解釈すれば、自分の行動に対して自己責任を持つことです。


イメージで言うと、起業家が近いと思います!


ちなみにですが、自己責任という言葉が出てきたのでさらに言及すると、面白いのが何事にも自己責任を持てるようになると、周りのひとから色々な悩み事やトラブルを解決してほしいと頼まれることが増えてくるようになりです。

そしてそれを実際に解決してあげます。


ひとの悩みやトラブルを解決してあげていると、 だんだんとこういう人を救いたいとか、こういう社会にしたいとか問題意識を持つようになります。

それらの解決のために、もっとマスに対してのアプローチをしようとなると、実は勝手に起業になってしまいます。

少し卑近な言い方ですが、自律できると社会の役に立てるし、そこから堂々と独立して稼せげるようになります。

自律というゴールをもっと具体的にするならば、そういったことができる大人をコーチングを通じてどんどん輩出したいと考えています。


前述の通り、その過程にいくつもゴールがありましたし、最初から こんなゴールになったわけではありません。

上記の例で特出すべきは、ゴールは抽象度が違うだけ、結果的に存外同じことをいっているということです!


いうまでもなく、ゴールはいづれ達成されるものですから、ゴール設定に更新は付き物です。


しかし、ここで更新というと、どうしてももっと別世界のゴールになると思いがちです。

例えば、看護師から弁護士になるみたいな感じです。

もちろんそれも正解ですが、そうではなく、自分の中でロジックが置き換わることでも十分ゴールの更新です。


こうやって文字に起こすと、同じことを言っているということが良くわかると思います。


しかし、本人からすれば、全く新しい概念を産み出しかのように、強烈な体感が生まれています!

なので、ゴールを更新できたときは、いつも新鮮で色艶やかな感じです!

そしてその躍動感を使って、さらにガシガシ前に進んでいきます!

気付けば、最初に設定していたゴールは達成してたくらいにです。
 

そういう意味で、ゴールはある種使い捨て燃料みたいなものです。

うまくゴールを切り替えながら、もっと先に進んでいきましょう!


ゴールを更新し、うまく切り替えていった先には、いつの間にか過去の自分のゴールを達成しているのです。 


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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明(ふみのよしあき)です。


現状の外側のゴールを掲げて、そこに向かってエフィカシーをあげる。


これがコーチングの全てといいといってくらいのエッセンスです。


エフィカシーとは、自分のゴール達成の自己評価のことで、エフィカシーが高ければ高いほど、ゴールは達成しやすくなります!

なので、ゴールがすでにあり、それの達成を考えるなら、日ごろからどんどんエフィカシーをあげていきましょう!


さて、このエフィカシーをあげようとしたとき、実践は言葉以上に難しいことがわかります。

言うは易し行うは難しといいますが、何をもって自分のエフィカシーがあがったのかを担保することができず、いたずらに自分の高揚感にその答えを求めます。


もちろん高揚感があるのは楽しいし、それ自体を否定するつもりはありません。

しかし感情ばかりに囚われると、大事なところを見過ごしてしまうのも事実です。


例えば、自分のエフィカシーがあがっていると感じているのに、全くエフィカシーがあがっていないケースとして、自分を大きく見せるというものがあげられます!


誰々の弟子と名乗ってみたり、元外資系企業出身と語ってみたり、人が聞いて「おお!すごい!」と思われるような鎧を集めて着飾ります。

自分の本来持つ凄さを認めず、自分は凄くないとどうしても考えてしまうことは根の深い問題ですが、かといって自分は凄いと思い込み、ナルシストに陥ることもこれはこれで問題です。

着飾ることで、本人は実際に高揚感とやる気に満ち溢れ、自分は何でもやれると本気で思っています。

そして、最初はそれでもある程度までは上手くいきますが、そこから先へ行こうとすると、それではうまくいきません。


話は飛んで、ここにショーン・マクアードル・川上の学歴詐称の本質が潜んでいると考えています!


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@ショーンKことショーン・マクアードル・川上



今回のショーンKの学歴詐称問題の概要を述べるなら、彼はこれまでにテンプル大学で学士を、ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得、パリ第1大学パンテオン・ソルボンヌに留学していたとプロフィールで紹介していましたが、週刊文春によるとこれらは全くのウソだということを指摘されたそうです。


正確には、「学位は取っていない」「パンテオンソルボンヌ(パリ第1大学)には入っていない。オープンキャンパスの中で聴講した」「ハーバード・ビジネス・スクールには、オープンコースの3日くらいのコースに1回行った」などと、ショーンK自らがインタビューで回答しています。


別に学位をとっているとっていないは関係ないと思いますが、ショーンKにとって学位があることは極めて重要な問題だったのでしょう。

つまり、学位という鎧が、自分の自己肯定感(エフィカシー)をあげるためにどうしても必要だったということです。

前述の論理に準えるなら、彼の外資系コンサルタントに相応しくないエフィカシーが、前述した自分を大きく見せたいというなんちゃってエフィカシーとして現れたのではないかなと思います。
 
それが今回の学歴詐称を引き起こしたきっかけだと、コーチング的には読み取れます。

その証拠に、実際ショーンKは高校生のとき、わけのわからない分厚い辞書を7~8冊持ち運び、プライドが高くて気が短ったそうです。


では、着飾ってもダメならば、本当にエフィカシーをあげるために必要なことは何でしょう?

それは自分を肯定することではなく、自分を受け入れることです。

その本質は、自分で自分をきちんと認めているからこそ、初めて自分を肯定できるということです。


自分を認めずに自分を肯定するとは、そもそも論理矛盾であることは明白ですが、何故か私たちはついつい汚いものに蓋をするように自分を受け入れることはせず、偽りの肯定感ばかりに眼を向けます。

学歴や職業や過去の功績ばかりで着飾って、肝心なところに眼を向けようとは一切しません。


それではそもそも上手くいくはずがありません。

なぜなら、全く自分のエフィカシーをあげていないからです。

もっといえば、ただエフィカシーを上げた気になっているだけです。

 
もちろん借り物でも最終的にエフィカシーがあがったならば問題ありませんが、自分を偽っているという事実は残念ながらどこかで自分に返ってきます。

ゴール側に向かって直進するなかで、自分の本質を問われるような、バイタルな課題にどこかで直面しますが、このとき一番の拠り所になるのが、自分に誠実であるというスタンスです。

自分に誠実であるということは、エフィカシー向上には極めて重要です。


清原和博に、ベッキーに、ショーンKと、芸能界は非常にコーチングが必要な業界であると如実に感じます。

というより、日本社会に必要です。


自分と向き合い、本当に自分を良くしていきたい方にこそ、コーチングが必要です。


当面はリスタートを切る意味でも、ショーンKさんからのコーチングをご依頼をお待ちしています!

ショーンKさん、コーチングのご依頼はこちらからです!(^o^)


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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明(ふみのよしあき)です。


さて、今日はコーチングに関係ない原子力のことを少し。

昨日で東日本大震災と、福島第一原発事故という、未曽有(みぞう)の事故が起きてから、はや5年となりました。

ご冥福をお祈ります。


当時はまだ大学で原子力についての研究を行っていました。

ちなみに私の研究テーマは「原子力船の経済性」です。

原子力船の経済性とは、かなりニッチな研究テーマで、原子力といえば陸上原子炉の研究がホットであり、船といえばコンテナ船を初めとするディーゼル船の研究がホットです。

なので、あまりにもニッチ過ぎて先行研究がほとんどなく、かなり苦労しましたが、それゆえその研究の希少性が評価され、アメリカの国際学会でも発表する機会をいただきました。

これはいい思い出のひとつです。


もちろん今の専門分野はひとの脳と心ですが、原子力も実は専門のフィールドです。


当時はやれ産・官・学が一体となって、小型原子炉を中東や東南アジアに輸出しようとする流れ、いわゆる原子力ルネッサンスと呼ばれた時期です。

そこでの大転換は今でも鮮明に覚えています。


自分が参加するはずだった学会やシンポジウムが全て自粛になったこと、原子力関係者の学会誌があまりにも何の発展性のない雑多な議論で埋め尽くされたこと、原発肯定派と否定派の結論ありきの討論など、色々なことに嫌気が指した時期です。


福島原発事故がなければ、親の欲目として私の研究がどうなっていたのかは大変気になるところではありますが、最も優先されるべきは、当然現地の被災者の方々です。



さて、せっかくなので、福島原発事故にまつわるエトセトラをこの場で少し踏まえたいと思います!

この場では書きつくせないマニアックなトピックもたくさんあるので、後半部分まではご参考までにどうぞ。


福島第一原発事故は、何故起きたのかと考えると、それは人が起こした(人災)と考えています。

その心は利益優先から来るものです。


まず前提として、原子力発電のメリットは何かといえば、圧倒的に燃料費が安いことです。

しかしその反面、デメリットとして、普通の火力発電プラントと比べると、建造費が割高になり、メンテナンス維持費がかさみ、使用済み燃料の廃棄コストなど本来発生しないコストまで生まれます。

まさに私の研究は経済性、つまりお金の計算をしていたのでよくわかりますが、いわゆる原子炉の経済性の論理で考えると、安い燃料費が他の割高になるコストを、トータルでペイできるかということになります。

ペイ出来れば黒字です。

ペイ出来なけば赤字です。

もっといえば、他の発電プラントと比べて、トータルのコストが安ければ、原発を使うべきという論理が成り立ちます。

ここで難しいのは、技術は日進月歩であることもそうですし、そういったコストも発電プラントでまちまちです。

また企業はそういった細かい数字を基本外部に出しません。

実際大学の教授を通じて東芝の方に聞いてもらいましたが、お教えできないとこのことでした。

それで他のホームページ上の資料のリンクを張られ、ここの数字は近いと思いますとの回答でした。


なので、色々な仮定から導かれた結果がありますが、なかなか「これ!」というのは難しいところです。

もちろんその過程が違うという主張の論文も存在します。


ですが、ひとつ言えることは何かというと、原子炉については長く運転すればするほど、ペイしやすくなるという事実です。

長く運転できれば、それだけ燃料費の占める割合が大きくなります。


第2世代型の陸上原子炉の耐用年数は約40年といわれています。

そして何を隠そう福島の原発群は、まさに第2世代型の原子炉(現在は第4世代まで存在)であり、ロールアウトしてから40年くらいのものばかりです。

技術的な側面でみれば、事故が起こったことは色々と議論があり、中々結論のだしにくいところですが、なぜそんな耐用年数ギリギリのものを今でも採用していたのかという疑問は成り立ちます。

これはただの憶測ですが、経済性を優先したのだと思います。

仮に事故がなかった場合、そのまま廃炉にせず、耐用年数が過ぎても使い続けたのではと思います。

というのも、現場のエンジニアは事故があってすぐに海水を注入するべきだと指示したそうですが、上に却下されました。

というのも海水を注入すると、炉が塩まみれになって、廃炉は確実になるからです。

廃炉になれば、廃炉のための割高なコストがかかります。

その場だけのコストなら止む無しですが、原子炉の場合、廃炉にしてからもコンクリートでがちがちに固めてそのまま放置しておかないといけません。

半減期が訪れて、放射線がなくなるのを待つためです。

そこからさらに維持費がかかります。


そして、海水を注入したならば、あそこまでの大事故にならなかったのではと思います。

なぜなら、今回の福島原発事故の最も大きな原因は、炉自体の冷却が出来なくなったことです。


原子力発電とは、核燃料を核分裂させて、その時発生する熱エネルギーを取り出して発電します。

福島の原発は、このときの熱交換の際に、核燃料に直接水を当てるタイプの炉(BWR: Boiling Water Reactor)ですが、熱交換するとは、水を蒸発させて発電タービンを回す目的と、もうひとつは核燃料そのものを冷却することが目的です。

また、実は水はそもそも放射線を一切通しませんので、水が採用されています。


ちなみに、このとき発生した水素爆発ですが、これも燃料がきちんと冷却されなかったことに起因します。

核燃料とは、ウラン燃料の放射線を遮蔽するために、ジルコニウムという金属(厳密には合金であるジルカロイ)が使われています。

このジルコニウムは、安価であることも採用された要因ですが、上手く中性子を反発させて、核分裂反応を起こしやすくする意味も持っています。


ただ、ジルコニウムは高温になると酸素と異常に吸着するという性質を持っています。


つまり、今回の場合、核燃料が冷却できなくなったということで、ジルコニウムが高温になり酸素と吸着しました。

で、その肝心な酸素は何処から引っぱって来たかというと、水(H
2O)からです。

酸素を奪われたことにより、水素だけが残って原子炉の上部に溜まったというのが、水素爆発のカラクリです。

そこからはご存知の通り、放射性物質の拡散と、汚染水の垂れ流しです。

旧ソビエトのチェルノブイリ、アメリカのスリーマイルに並び称される、原発事故になりました。


原発事故の原因を人災と位置付けるなら、それはゴールの欠如から来るものです。

ゴールが欠如したことにより、長期的な利益よりも、目先の利益に眼が行ってしまいます。

そういった意味でも、ますます大きな組織にこそ、コーポレートコーチングという形で、組織を健全な方向へ導くという機能が極めて重要になってきます。


コーチングの普及に力を注いでいかなければと、改めて強く思います。

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明(ふみのよしあき)です。


私たちの物の考え方は、過去の情動を伴って記憶によって出来ています。

これをもっと別の言い方に換えると、過去に行った失敗を強く記憶して、それを自分の未来の行動の指針にしていくということです。


つまりは、私たちの行動の基準が失敗によってもたらされているということです。

私たちの行動の基準が過去の失敗によってもたらされているのなら、私たちの人生は失敗の連続の上に成り立っているといっても言い過ぎではありません。


例え失敗の連続だったとしても、過去の失敗とこれから起こることに何か因果関係があるかと聞かれれば普通ありません。

サッカーでボールを蹴るつもりが全くボールに掠りもしなかったことと、野球でバットを振ってボールを空振りすることの因果関係はないのです。

しかし、なぜかサッカーでの空振りと、野球での空振りを同じフィールドで考えてしまい、そして次も同じミスをすると錯覚します。


これは脳の機能に由来します。

いわば、自分の持っている情報と新しく入ってきた情報に対して、整合的に結び付ける機能です!

何故強引にでも結びつけるかというと、それによって私たちの自我を保っているからです。


私たちの自我とは、無数の小さな要素が複雑に絡み合った大きな構造物(ゲシュタルト)です!

ゲシュタルトを維持するとは、つまりは自我を維持しているということであり、ゲシュタルト化を外すと私たちが生きていくうえで、とてもまずいことになってしまいます。

なので、この強引にでも結びつけてしまうのは仕方ありません。


そういったことを踏まえたとき、やるべきことはひとつだということがわかります!


それが『現状の外側』に飛び出すということです!


ひらたく言えば、自分がこれまでやったことがないことや、馴染みのないことをやってみるということです!

なぜなら、自分がの過去の経験群が、自分の行動基準を作って、それにしたがって生きているなら、その基準以外の行動をとらねば、いつもまでも同じところをグルグル周ることは自明だからです。


そしてこの現状の外側に飛び出すことを、苫米地式コーチングでは薦めています。


さて、現状の外側に飛び出すことは極めて重要ですが、ここだけいうと、今までやったことのないことをやれば正解ということになってしまします!

もちろん、それは半分は正解ですが、もう半分は間違いです。

なぜなら、ただやったことのないことをだけをやるのであれば、それは万引きや窃盗などの犯罪も正当化することになってしまうからです。


そうではなくても、今までやっていないことをやるのは基本勇気が必要です。

なので、ある種、発狂にも似た、感情を爆発させて、勢いでトライしようとしてしまいます!


これも実は間違いではありませんが、感情だけを爆発させてトライし続けると、いつの間にか何も考えずに脊髄反射するだけの、意味不明なただ声だけが大きいうるさいひとになってしまいます。

本人は非常に刺激的で楽しく前に進んでいると感じるかもしれませんが、実は何も変わらずどっぷり現状の内側ということが少なくありません。

それは本末転倒です。


では、どういう状態が現状の外側に飛び出すということなのでしょうか。

その理解には、「社会的チキンレース」がとても参考になります!


社会的チキンレースとは、ゲーム理論におけるひとつの数学モデルです!

ゲーム理論とは、戦略的意思決定や合理的な意思決定者間の紛争と協力の数理モデルを扱う応用数学の一分野です。

ゲーム理論は、ジョン・フォン・ノイマンと、オスカー・モルゲンシュテルンによって創始されました。

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@ジョン・フォン・ノイマン


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@オスカー・モルゲンシュテルン


話を戻して、社会的チキンレースのルールは以下のように簡単です!

2人がそれぞれバイクにまたがって反対に位置します。

2人がバイクに乗ったまま合図とともに向き合って突進します。

先にバイクのハンドルを切って逃げた方が負けで、残った方が勝ちです。

もちろん、確かに逃げなければ負けることはありませんが、お互いバイクで正面衝突しますので、命の保証はありません!



どうすれば、チキン(臆病者)にならず、自分の利益を最大化することができるでしょう?

自分の出方を決めるには、相手の出方を知る必要があり、相手の出方を考慮して、自分の出方を意思決定する必要が存在します。

そこには膨大な仮定と検証を伴う高度な推論が不可欠です。


そんな社会的チキンレースですが、実は必勝法が存在します!

それは、相手よりも先にバイクのハンドルを抜いて投げ捨ててしまうことです!


バイクのハンドルを抜いて捨ててしまえば、そのひとはバイクをコントロールできなくなってしまいます。

要するに、正面衝突を避けるためには、もう片方のひとがバイクのハンドルを横に切るしかないわけです!


緻密で論理的な数学の世界のなかで、それらの全ての演算を理性的に終えた結果、バイクをハンドルを抜くという非理性的な行為が最強であるというのは、とても興味深い事実です!

そして私はこれが現状の外側に飛び出す風景そのものだと考えています!


つまり、最後に出てくる(見えてくる)選択は、非常に非理性的で感情的なものですが、その裏側には膨大で緻密な論理が隠されているということです。

大胆さの奥底には、それを裏付ける確かな知性が存在するということです。


現状の外側のゴールに飛び出すことも同様です。

ゴールが先に存在し、そのゴールを達成するために、ありとあらゆる可能性や方法を考慮します。

そして考えに考え抜いて、様々な今まで体感したこともない情動の波に襲われながら、それでもバイクのハンドルを抜き捨てるように飛び出すのが現状の外側に飛び出すということです!


「えいやー!」と感情で物事を決定しているわけですが、最初から感情ではなく、最後に感情というのがそのポイントです。

そこにWant-toが重なると、無敵であることはいうまでもありません!

そう考えると、現状の外側とは、極めて理性的な行為だということがわかります。


それが現状の外側への飛び出し方です。

現状の外側へ飛び出すとは、とても静かで非常に大胆な挑戦です。

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