苫米地式コーチングで本気で変わっていく人のためのブログ

Mind Architecture代表 文野義明(苫米地式コーチング認定コーチ)のオフィシャルブログ。
苫米地式認定コーチである文野義明が本気で変わりたいと考える人に向けて発信するブログです!
ブログを通じて、本気で変わりたい人のマインド設計を促していきます。

タグ:扁桃体

ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


私たちの脳は大きく、感情の脳と論理の脳を持っています。

進化の過程でもともとは爬虫類が持っていた感情の脳に覆い被さるように、論理の脳が出来ています。

なので私たちは論理の脳という理性を身につけることができ、とても文化的な生活を手に入れることができました。


ただもちろん論理の脳を最大限使っているとはいえ、感情の脳も持っています。

そしてこの感情の脳は古い脳であるにもかかわらず、とても強力に私たちの意思決定に作用します。

ゴールに向かって進めるのは、それを楽しいと思っているからです。

ゴールに向かって進めないのは、それを不安に思っているからです。


行動の源泉が感情であるならば、私たちの理性とは何でしょうという本質的な疑問が浮かびます。

結局感情に基づいて判断を下しているのなら、いちいち理性というフィルターに掛けてモヤモヤせずとも、何も考えずそのまま感情に基づいて出してしまって良いような気がします。

ただそうやって感情の赴くままに動く姿を、私たちは『動物的』という言葉で表現して嫌っています。

秩序とは理性から導かれるように、私たちは動物的でなく、理性的という方に重きを置き、理性的な分類のなかに人間という姿を紐付けています。


さて、『人間とは?』という哲学的定義は個人の判断にゆだねるとして、少なくともきちんと理性的に考え意思決定していくことに焦点をあてるなら、存外私たちは『人間になること』を問われているのかもしれません。

別に選民思想でも過激論でもなく、西洋の伝統哲学では、子供から大人への成長を、動物から人間への移り変わりとして捉えています。

赤ちゃんを英語で受ける際、HeやSheを用いず、It(物)で受ける点はこういった背景からであるように思います。

赤ちゃんから大人になるとは、理性的・論理的な思考力を身につけて、初めて人間へ昇華するというパラダイムです。


感情という生理現象にきちんと抗うことが出来て初めて、大人になるという解釈は私個人嫌いではありません。

感情を抑圧するのではなく、真正面から抗うということに、泥臭くも、むしろ清々しさを感じます。

コーチングを通じて、自己成長をしていくときも、往々にして苦渋や葛藤を強いられることが多々あります。

スコトーマが外れて見える世界は、いつでも輝かしい薔薇色の世界ではなく、観ない方が幸せな現実だった方が多いものです。

例え観ない方が良かったことでも、伝統的な西洋哲学に文脈に添って考えるなら、そこで初めて大人になれたと考えることができ、全体的にはそれはそれで良かったのはないかなと思います!


結局最後は感情に自分の行動が決定されていると事実は科学であり、覆しようのない実証されたものですが、かといってそれに自分の歩みが邪魔されるのは、とても許容できる物ではありません。

ゴールへの障害は、あって嬉しいものではないからです。 

しかし感情が自然現象ないしは生理現象である以上、発生すること事態に対して、どうすることもできません。

物理上の実体パズルのように上手くいくようピースをコロコロ変えることは不可能です。


ただかといって諦めるということではなく、それをきちんとコントールしたり、書き換えてやればいいというのは十分可能であり、その発想自体はとても自然な発想です。

その技術がセルフトークであり、アファメーションであり、内部表現の書き換えです。

技術はアプリオリでなく、自分のより障害なく前に進むためのツールです。

それを学び、それを使いこなすヒントは、すでにたくさん存在しています。


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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


Business Journalにて見つけた記事ですが、目を通しみるとあれれという感じです。

この手の話題の記事は読みながら、書いてある内容についてもっと抽象度を高くしてと思ってしまいます!

いつも言うように大事なことは抽象度であり、抽象度という観点が抜けるとそれは往々にして無駄な事例の紹介になりがちです。

統計的に傾向を取り出す分にはいいですが、その因果関係があまりにも乱暴です。

因果関係と相関関係の違いをもう少し明確に意識すべきかなと思います。 


といいつつこの記事の発行元はCyzoであり、Cyzo→苫米地英人ということで、この記事の迂闊な批評は、形だけみればブーメランとなりますが、Cyzoの編集権限をドクターは持ってないよと少し補足しておきますw 


さて、私のこの記事を読んで感じることは、やはり抽象度の高い人が稼ぐということだなと思いました。

年収300万円以下の共通点だそうですが、コーチングの観点から解説すれば、結局のところ、これは私たちが目指したい自帰依(自分に帰依しているかどうか)に関係することだと思います。 

シメにラーメンというパターンは、きっとやっている本人はそれが楽しくてやっているわけですが、冷静に考えれば結構不毛な行為であることは自明だと思います。

暴飲暴食は身体にとってマイナスであることを知りつつも、最後にガツンと食べたいという食欲がコントロールされず、ある種の暴走状態に陥っているということです。

これと同じ構図として、吐くまで飲みたいという人や、ウコンを飲まないと二日酔いなるといいながらお酒を飲む知人がちらほらいますが、吐くなら飲まなければいいとか、どのみち二日酔いになって翌日苦しむなら今飲まなければいいという指摘はとても至極真っ当な内容だと思います。


その点に関して、高収入に該当する人は、そのあたりのコントロールが出来ているように感じます。

全ての人がそうだとは思いませんが、記事の上では少なくともそうであり、私の周りのお金持ちは基本そうです。 

抽象度が高いという言い方だと少しぼんやりするので、前頭前野がきちんと扁桃体へ介入しているという言い方に変えるとどうでしょう?

日頃から前頭前野を使って、論理的に物事を考えるクセをつけると、 前頭前野が扁桃体へ反射的に介入するようになってきます。


また、もう一点こだわりが強いというのが、高年収の方の特徴だそうです。

コーチングにおいても自分の趣味のゴールを持つことは重要だといっていますが、こだわるということがいいのはそもそも何故でしょう?

簡単にいえば、こだわるとは考え続けるということだからです。

世間では〇〇すれば儲かるというような安っぽい宣伝を多数見かけますが、お金の定義をきちんと辿ると、お金の源泉は付加価値です。

付加価値とは何かと言えば、それは誰かの思考を指しています。 

つまりはこだわるとは考え続けるということであり、それが他人が認める価値となってお金が発生し、お金持ちになるというロジックです。

考え続けろといわれると、これまたぼんやりしますが、趣味にこだわれといわれると、もう少しクッキリして見えてきます。

好きなことは徹底的に考え抜ぬくと、独自の目線でその対象物の情報場をつかめるようになってきます。

それは私たちが独創性という言葉で評価している状態です。

独創性が出るまで考え続けるとは、これはなかなかハードルが高いですが、好きなことであればいくら時間を使って苦でないところがポイントです。


ある意味脳を酷使するというトレーニングがこだわるということであり、こだわった結果には往々にして他人が驚くような、想像も出来ないような論理が潜んでいます。

そして自分の現状と、独創性のある別の現状との大きなギャップに、私たちは『すごい!』という感嘆を覚えます。 


そう考えると、ひらたくいえば、高収入と低収入の違いは、脳の働きの違いであるといえそうです。

そしてコーチングは、その脳はフルに使い切るメソッドがたくさんつまっています! 

コーチングがきちんと身につけば、勝手にお金持ちになるという論理は、極めて自然な事と思います。 

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