ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


自分の価値は自分で決める。

これは非常に大切な概念ですが、言葉以上に大変です。

私たちは小中高大と学校教育の中で、他人から価値や目標を決められることにあまりにも慣れています。
大企業に就職することは将来安泰ですよとか、一流大学にいくことはブランドもあって世間から評価もいいですよというものです。

人によっては、親に医者を目指しなさいとか、弁護士を目指しなさいといったことをいわれ、いつのまにか自分のゴールといして刷り込まれている人もいるでしょう。

自分が求めたかどうかは別として、そんな環境に慣れ親しむと自分で価値を決めることは容易ではなくなります。

自分で価値が決められないなら、私たちは誰かに決めてもらうことを本質的に望みます。
その誰かとは、もちろん人に限りらず、アプリオリなる真理もその範疇です。


自分で価値を決めると考えたとき、一番身近な例はお金(給与)であると考えます。

仕事は何でもいいですが、そのとき自分に投げかける質問は、自分の給料は一体いくらが相応しいかということです。

相応しい額を提示しようとしても、なかなか提示することはできません。

仮に相応しい額が2000万円だったと思ったとしても、その額の決め手となるアプリオリなる根拠を無意識のうちに求めます。

そしてそれが出来ず、現在の日本社会の制度を暗黙のうちに受け入れます。


社会一般的には、20~30代は会社に搾取される世代です。

そして40代から給与が上がり始め、50代でピークを迎えて、60代でまた少し下降するのが平均的な日本社会での給与の制度です。

この論理がどうやって決まったのかは諸説あると推測しますが、仮に終身雇用制度の名残であると推測したとき、その終身雇用制度を発案したのは誰かということに行きつきます。

終身雇用制度の発案者も色々発案理由があったと推測しますが、結局は誰かの発言であり発案です。

つまり主観が関わっています。

ただそれに慣れ親しむと、あたかも真理のように振る舞い、誰も疑問に持たなくなることは言わずとも知られた事実です。


また、経済学にその答えを見出そうとしときも、結局主観が入らざる得ないことに行き着きます。

例えば環境経済学という比較的新しい経済学では、温室効果ガス(地球は温暖化どころか寒冷化していますが)といった環境税の基準として使われます。

環境経済学のひとつの問いとして、二酸化炭素はどれくらい環境にダメージを与えるかを考えたとき、そのダメージを貨幣を単位として、そのあたいをアンケート形式で求めます。

これはCVM(仮想評価法)といわれるもので、環境経済学の世界で実際に使われてる方法論です。

少し見れば私たちは人よってアンケートの答えが右にも左にもずれるので、違和感しかないことに気づきますが、かといってそれ以外に特に評価する方法もなく、反論する側と精度をより高めようとする研究が並行してなされています。

つまるところ、アンケートという極めて民主的な取り組みにも、誰かが主観が入っているということです。
誤解を恐れずもっといえば、根底に主観があることを認めているということです。
そして初めてこの評価が成り立ちます。


さて、そのように考えたとき、基準などないことがひとつの事実なら、コインの裏表のように、自分で勝手に作ってしまってもいいという風に考えることが可能です。
もちろん突拍子のないものではなく、きちんと理路整然としている限りにおいては。

こう考えると、成功体験があるからエフィカシーが高いのではなく、エフィカシーが高いから成功体験がついて来ると考えることが妥当であることにも気づくでしょう。

それはただの主観で構わないのです。

何もないところからでも上げられるのが、エフィカシーのいいところです。

なら、その言葉に従って、どんどん上げましょう!

もちろんただあげれば全てOKというのような、脳内お花畑な解釈は論外として、エフィカシーは突き抜けるくらいがちょうどいいのです。

そして堂々と自分の相応しい価値を、自分で決めましょう。

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※エフィカシーはあげてなんぼ!

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