苫米地式コーチングで本気で変わっていく人のためのブログ

Mind Architecture代表 文野義明(苫米地式コーチング認定コーチ)のオフィシャルブログ。
苫米地式認定コーチである文野義明が本気で変わりたいと考える人に向けて発信するブログです!
ブログを通じて、本気で変わりたい人のマインド設計を促していきます。

タグ:ルー・タイス

ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


コーチングをするにあたって、普遍のテーマとなるが『ゴール設定』です。

なぜなら、ゴールがなければどこにも行けないからです。

このときのコツは、現状の外側のゴールとは何か?といったことを深く考えず、とりあえず設定して走り出すことです!

よくご存知のように、現状の外側とは、定義上今の自分では観ることができません。

なので、このときの指針は以下のように極めてシンプルです。


今この瞬間を仮にAとすると、その場所から暫定の仮ゴールを設定し飛び出すことで、新しい現状Bに到達します。

そしてBという瞬間にも、同じく暫定のゴールがあるので、それを設定して飛び出すことで、さらに新しい現状Cに到達します。

これをC⇒D⇒Eという風に繰り返していくと、最初Aのころと比べてEは、Aのときでは全く考えが及ばなかった場所にいることになります。


つまり、現状Eは過去の現状Aからすれば、明らかに現状の外側になるのです!

ゴールを設定してひとつずつ先へ進むなかで、私たちはそこでようやく現状の外側のゴールと出会えます。


さて、このとき、同時に要請したいのは、自分の本質であり、自分の明確な価値観です。

これがわかると、かなりスッキリして、色々ものが整合的に見えてきます!


とういうことで、先日メルマガ読者向けの限定企画で、自分の本質を見つける方法を解説した特典動画を配布したところ、その中のお1人から、とても大切な気づきのあるフィードバックをいただきました!

匿名での掲載を許可していただいたうえで、シェアします!


(引用開始)

文野さま  

おはようございます。

この「本質」探し、物凄く負荷がかかっていました、メールするにも中々出来ず、
他の創造的回避とも相まっていて。

けれど、今やっと「自分を大切にしたい」と思えるようになりました。

食べ物関連に興味があるというのも
私が過食症っぽかったから。
(創造的回避でまずコレが来てました。もうえらいこっちゃ!!!な位。)
「依存」しやすかったんですよ。
「自立するんだ」とやっきになってました。


何だかやっと
「自分を大切にしないと」「わかっちゃいるけど 」
から
「自分を大切にしたい」になれました。

愛情の所だったのか、何なのか
色んなものが入り混じっているのですが、
ただ、「掴み取る」ことが(want toですね)
「大切にする」にも繫がるようです。

朝、今のうちに送らないと
子供が起きてきて、日常に流されそうになるから、
色々飛んでますが送ります。


ありがとうございました。


(引用終了) 



基本的に、私たちは皆例外なく生真面目です。

これは日本の教育が、得意なところを徹底的に伸ばすよりも、苦手なところを徹底的に直すことに重点を置くからです。

またこれに加えて、何事も自分ひとりでコツコツと取り組む姿勢が模範ともされていることも関係します。


そういったことを幼少のときから刷り込まれると、勤勉であることと独り善がりの区別がつかないようになってきます。

もちろん、私もかつてはこのパラダイムに存在していました。

また、そこは自分からすると、自分に厳しく律するという高潔な精神からきているという点がさらに問題をややこしくします。

しかし、この気持ちは非常によくわかりますし、その気持ちは非常に重要ですが、残念ながら独り善がりだと、自分だけが疲弊して何も上手くいきません。


つまり、極めて悲しい現実ですが、自分では非常に至極まっとうなことにチャレンジしていると感じているにも関わらず、ますます堂々巡りになってしまうということです。


そこを抜け出すきっかけは、フィードバックでもいただけた通り、まずは自分を大切にすることです。

今の自分をきちんと受け入れ、そこからどこへ行きたいのかと、考えることです。


故ルー・タイスも著書アファメーションのなかで、人生の三つの基本法則のなかに、自分を偽らないことをあげてます。

自分をしっかり受け止めることができると、びっくりするほど、好転していきます!

現状を知るというのは、それだけ強いのです。

東京に行こうと考えるなら、飛行機を使うか、新幹線を使うかを考える前に、最初に自分は今大阪にいるということを知ることが重要です。


ただ、この向き合うとか受け止めるというのは基本容易ではありません。

なぜなら、ひとは自分に起こったネガティブなことを反射的に、なかったものとして蓋をするからです。

何かタイミングで怒ってしまって、その怒った自分そのものが許せないというロジックに、これはとてもよく似ています。


しかし、そこはきちんと意識的に、向き合うことで不思議と次へ向かうことができるようになるのです。

ぜひ、自分を大切にするなかで、ますます自分に向き合われてください! 

もしひとりではどうしても向き合えないという方は、ぜひ一緒に向き合っていきましょう!

そしてもっと大きなところに飛び出して、自己実現を成し遂げていきましょう!

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


アファメーションとは、ルー・タイスが発明した言語を使ったゴール達成のための方法です。

世界トップコーチであるルー・タイス自身も愛用した、以下の11のルールからなる極めて再現性と効果の高い方法です。

1.個人的なものであること

2.肯定的な表現のみを使い、肯定する対象のみを盛り込むこと

3.「達成している」という内容にすること

4.現在進行形で書くこと

5.決して比較をしないこと

6.動作を表す言葉を使うこと

7.情動を表す言葉を使うこと

8.正確に描写し、記述の精度を高めること

9.バランスを取ること

10.リアルなものにすること

11.他人に教えず、自分だけのものにすること


この方法を忠実に実践すれば、ゴール達成へのスピードは圧倒的に速まります。

なので、アファメーションを実生活に取り入れて実践している方も多々いると想像します!


さて、そんなセルフコーチングの極意とも取れるアファメーションですが、巷ではしばしばアファメーションをやっても効果がないという言葉を耳にします。

効果がないのではなく、自分のやり方が何処か間違っていると正直思ってほしいところですが、認定コーチですらときどき理解を間違えているひともいるので、ある意味仕方ないのかもしれません。

この勘違いの原因は、ポジティブな言葉を自分に語り掛ける、とても安易な理解にあります。

これはただの暗示です。

そしていうまでもなく、アファメーションは暗示の技術ではありません。


では、アファメーションとは何かといわれれば、それは言語を用いた内部表現の書き換えです。

その本質は、抽象度の高いところのゴールと、それを抽象度の一番低い言語で表現することで、その間の位置エネルギーを取り出し、そのエネルギーを使って内部表現を書き換えます。

現状のPという状態からP´という状態に移行することを、内部表現の書き換えと定義するわけですが、その移行にこのエネルギーを使います。

理論モデルとその定義から考えても変わらない方がおかしいわけです。


このときとても大きなポイントとなるが、ゴールの存在です。

私たちがアファメーションを用いようとするとき、そこには必ずゴールが存在します。

そしてそのゴールに向かっている、なしいはゴールを達成している自分の姿が見えてきます。

そしてその躍動感あふれる自分の姿を、明確な言語にして落とし込み、唱えるわけです。

ここでは他人はその文章を観ても何にも感じませんが、自分には明確な世界観(ビジュアル)が臨場感を持って見えています。


ゴールがなければもちろん、それは現状維持というゴール一直線のアファメーションです。

アファメーションが効いていないというより、むしろ現状を強化することにきちんとその効力が働いています。


言語という日頃から慣れ親しんだものを使うので、どうしても本質がスコトーマに隠れてしまいます。

そういったゴールの姿を忘れたアファメーションとは一体何か?

それは残念ながらただの念仏です。

念仏は坊主に任せていればいいのです!


私たちはゴール側のイメージをきちんと言語にすることで、それをゴール達成のエネルギーとして取り出しましょう!

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『幻想と覚醒』

本書は21世紀の悟りを紐解きながら、我々の幸福とは何かについて書かれた書籍である。

なお、ここで21世紀と形容しているのは、釈迦が行った思考実験のみによる悟りではなく、現代数学や現代分析哲学等を踏襲した形式化を経た悟りであるためである。
形式化とは、数学で記述されたということである。


さて、私たちの幸福ついて考えるにあたって、はじめに現実(Reality)とは何かについて定義したい。

なぜなら幸福とは、『恵まれた状態にあって、満足に楽しく感ずること。しあわせ』と定義され、現実世界において要請される概念であるからである。
 
もちろん現実世界でないところでも幸福という概念は成り立つが、誤解を恐れずにいうなら、それはただの妄想である。


早速だが、現実とは、『いま目の前に事実として現れている事柄や状態』であると広辞苑では定義される。

この定義に当てはめて、「現実」をブログの文字情報を映すPCのモニターだと考えてみよう。
無論、スマートフォンのモニターでも構わない。

この文字情報を集中して真剣に読めば読むほど、その他の視覚情報がどうでも良くなる。
なぜなら、重要性が下がるために、目に写っていても脳に意識されないからだ。

つまりそれは見えていないということになり、見えていない以上は、脳にとってそれは現実ではないということになる。

コーチングの父である故ルー・タイスが好んだワークのひとつに腕時計を使ったスコトーマ実験がある。

まず最初にルー・タイスは「いま時間は何時ですか?」と聴衆に聞く。
そして、時間を確認してもらったあとに、その腕時計を見ないで、ノートにその腕時計をデッサンしてもらう。
 
そうすると驚くことに、いま見たにも関わらず、腕時計の絵が正確に描けないのである。
 
別に上手に描かなくても良く、特徴を押さえてあれば良いのだが、ひとつも間違えないで描ける人はほとんどいない。
3カ所、5カ所、10カ所以上も間違えている人が続出する。

ある人は無い数字を書いてしまったという。
例え、デザインが気に入って買った時計にも関わらず、買ってからは脳はもうデザインを見ていない。


この要因は、端的に我々のRASによるものである。
 
RASとは、獲得したたくさんの情報から必要な情報を選別するフィルターシステムのようなものである。
つまり、ひとつの目的が決まれば、無作為な情報の中から必要な情報だけを抜き取り、その他一切を処分する機能である。

また、このとき私たちが認識する情報のことをゲシュタルトという。
ゲシュタルトとは、全体と部分の双方向からなるひとつの意味を持つ塊のことである。


我々が知るべき脳科学や心理学の歴史を物理学や数学を踏まえて解きほぐしてくれる必読の書であるユーザーイリュージョンから、この事実をもう少し掘り下げる。

トール・ノーレットランタージュ著 ユーザーイリュージョン p.233
(引用開始)
 
ゲシュタルト心理学は、行動主義が全盛を極めた20世紀初頭には影が薄かったが、今日、名誉と権威を回復しつつある。

全体性と仮説の観点からでないと視覚を理解しえないことが明らかになったからだ。

私たちは感知したものをそのまま目にするのではない。感知したと思うものを見る。

意識に上るのは解釈であって、生のデータではない。

意識されるよりはるか以前に、無意識のプロセスによって情報が処分され、その結果、私たちは一つのシミュレーション、一つの仮説、一つの解釈を目にする。

しかも、私たちに選択の自由はない。

(引用終了)



上引用を理解するために、ここで有名な錯覚のひとつである「老婆と若い女」を取り上げたい。

これはある一方では老婆であるように見えるが、もう一方では若い女が見えるという馴染み深いだまし絵であるが、「認識する」という観点から考えると、錯覚とはとても奇妙な事例であることに気付く。

それは、内在する2パターンのゲシュタルトのうち、どちらか片方だけが勝手に選ばれたということである。

本来一枚のだまし絵の中には、もともと老婆と若い女という2通りのゲシュタルトが内在していた。
しかし、例えば老婆が見えた場合、若い女が切り捨てられ、実際取れる情報は老婆だけである。
つまり、図と地における、老婆が図となり、若い女が地となる。

この現象を説明するには、意識するという行為の前からどちらか片方の意味付けがすでに完了していたという風に考えることが妥当である。

つまり、私たちの経験する事柄は、意識される前にすでにどちらか片方のゲシュタルトを獲得していたということである。

これはあくまで、話を簡潔にするために、だまし絵という内在している2パターンの情報を全て知っているという前提で考えているが、今こうしているだけでも得られる毎秒約1100万ビットもの情報に対しても同様のことがいえる。

つまり無数のパターンが内在し、ひとつのゲシュタルトを残し、その他大多数の内在していたであろうゲシュタルトが全て処分されているということである。


では、ここでなぜそのひとつが選ばれたのかということについて考えるために、バインディング・プロブレム(結び付け問題)を取り上げたい。


具体的に乗馬を例としてバインディング・プロブレムを考える。

乗馬中、五感を通じて様々な情報が外界から獲得され、それが分別されて脳内の様々な領域へ送られる。
 
その後、さらに無数の神経細胞の間で細分化され、個々の細胞は辺、形、動き、色、光景、コントラストといった特徴を残らず分析してからそれを再構築し、乗馬の合成イメージを組みあげる。
 
さらに、ここに視覚だけではなく、聴覚、触覚、嗅覚、乗馬の嬉しさや楽しさといった情動とこのイメージを関連づける。


もちろんここだけ見れば、誰しも同様に脳内で刻一刻と結び付けがされているが、個人ごとに各要素の結び付けの割合が違うことは自明である。
個人によって結び付けられる要素と、そうでない要素も当然存在する。

何を持って個々人の結び付けがなされているのかを問うたものが、バインディング・プロブレムの本質である。

 
バインディング・プロブレムについては、細かい学説が多々存在し、現在でも非常に多くの論争が存在するトピックであるが、この場では個人の過去の情動をともなった記憶と経験によって、結び付けの割合が異なるという立場をとる。
コーチングのコンテキストで考えるならば、これはブリーフシステムである。

また、この結び付けの際、各要素が結び付いたこと(ゲシュタルト化)で初めて意味をもつが、単一の各要素だけではその意味を持たない。

つまり、世界にある無数の情報は、単一では意味を持たない情報の連続であり、そこから取り出すゲシュタルトは、個人個人で異なる。

言い換えれば、それは自分の観たいものだけを観ているということであり、もうひとつ踏み込んで言及すれば、それは幻想である。

なぜなら、絶対的な客観的現実など存在ぜず、また意味を持たない情報群のなかから、勝手に自分独自の意味を見出しているからである。


さて、悟りとは『空を体感する』という言葉で置き換えることができる。

厳密にいうならば、歴史的背景として釈迦は空という概念を提唱しておらず、釈迦が行き着いた結論は、あくまで縁起思想である。
その後、大乗仏教を大成し、理論化に成功した龍樹(ナーガールジュナ)やツォンカパが縁起の説明原理として空を用いた。
 
なお、龍樹の主著が「中論」であり、ツォンカパはチベット密教のゲルグ派の開祖である。

空とは、存在論における最上位に位置する概念である。
すなわち、現代分析哲学の存在論において、宇宙は包摂半順序束集合として記述される。
包摂関係のある情報が情報量の大小で並べられたときに、そのTopとなるのが空である。


最上位に位置するとは、全ての存在を包摂するということであり、全ての存在が同列に位置するということである。
つまり、「空」に達するとは重要性関数が無くなるということであり、すなわちすべての存在が同列に位置することになる。

全ての存在が同列であるということは、全ての存在がただの情報であると知ることに他ならない。

全ての情報が同列であり、そこから意味を勝手に作り出すことが無意識の機能であれば、自分の望む意味を勝手に作っていいとも解釈できる。

そして、自分が選択することとは、本来その機能として幸福である。

なぜなら、選択とは常に我々が今よりもっと良くなるために行う行為だからである。

また、選択には当然義務と責任が伴う。
それは、言い換えれば束縛である。

しかし、その束縛も自分が望んで選んだものであれば、それは本質的には束縛ではなく、自由である。
そして、いうまでもなく、束縛を選ぶこととは、自分の幸福を選ぶことである。


ぜひ本書を手に取り、幻想から覚醒し、心から望む束縛を選んでほしい。










『夢が勝手にかなう脳』

本書は、情報空間と物理空間の連続性を背景に、自分らしい人生を生き、そしてゴールを達成するメソッドを公開した書籍である。

情報空間から物理空間へ渡る情報の連続性についての議論は、苫米地理論における中心概念のひとつであり、また苫米地式コーチングが苫米地理論から生まれた歴史を鑑みると、確実に押さえたいパラダイムである。

なお、本書ではこれまでの著書のうち、唯一A次元(アブストラクト次元)について言及された著書でもある。


情報空間と物理空間の連続性の理解には、情報空間と物理空間の包摂関係についての定義から始める必要がある。

この問いを考えるにあたって、哲学の世界にて長く議論されてきた「存在VS認識」の論争を取り上げたい。


この論争は言葉の通り、存在があって初めて認識が生まれるのか、それとも認識があって初めて存在を知覚することができるのかについての議論である。

例えば、物理世界に存在する「木」を見て、初めてそれは木であると私たちは認識している。
つまり、「木」という存在が先にあって、後から木という名前を付けたということである。

しかし、iPadのような精密機器は、確かに現在物理空間に存在しているが、古来よりずっとあったものではない。
故スティーブ・ジョブズの頭の中にあったものが、様々な創意工夫を得て物理空間に現れたものである。
つまり、これは認識が先にあり、そして存在が知覚されたということである。


我々の一般的な感覚では、前者の方が経験的にも馴染深いものであるが、苫米地理論の結論では逆で、正しい方は後者であると考える。

この理解のために、不確定性原理を考えたい。

不確定性原理とは、量子の位置と運動量(速度)の両方を正確に知ることはできないという量子力学における定理である。

不確定性原理を温度の測定を例として考える。
熱いお湯の入ったビーカーに温度計を指したところ、温度計が70℃を指したとき、お湯は70℃ではないというのが、不確定性原理の主張である。
正確には近似的に70℃であるというものだ。

正確に温度測ろうとした場合、お湯の熱はもちろんビーカーや温度計に伝播し、空気中にも逃げていることを加味しなければならない。

量子とは原子より小さいスケールの存在であり、その測定は困難である。

なぜなら、先の温度計もそうであるが、測定する行為自体が、測定する対象に影響を与えてしまうからだ。

ここだけ踏まえると、量子はアプリオリに存在し、私たちの測定技術の低さに基づく結果であると感じるが、そうではない。

専門的になりすぎるので詳細は割愛するが、量子は存在自体が揺らいでおり、そして確率的である。



話を元に戻すが、温度計が70℃を指したとき、それは確かに近似的に70℃であるが、それ以外にも実際に目盛りを読む人間にも差が生じる。
 
例えば、大雑把な学生ならば70℃と読むが、生真面目な学生は70.1℃と読むという具合だ。

大雑把な学生にとってお湯は確かに70℃であり、生真面目な学生にとっては70.1℃である。
 
そしてこれを逆向きにいうのなら、大雑把な学生にとってお湯は70.1℃ではなく、生真面目な学生にとってお湯は70℃ではないということである。

ここに不確定性原理のもうひとつの重要な知見が隠されている。

それは観測できないものは存在しないことと同義であるということである。


先ほどの「存在VS認識」における木の例に立ち返るならば、私たちが木を認識して初めて木の存在を知ることができるということである。
 
これは仮に木が認識できなければ、目の前にあってもその存在を認識することはできないことを意味する。
 
それはあくまでどのように認識するかの違いに過ぎないという結論に基づくが、木と認識できなければ、それはただの棒であり、ただの柱であり、あるいはただの円柱の壁であるということである。

今まで人生の中で木を見たことがないひとに、木を見せれば、それは木という存在を理解できない。

つまり、我々の一般的な感覚として、物理空間に情報空間が包摂しているように感じているが、実際は情報空間に物理空間が包摂されているということである。


なお、この事実を認知科学として落とし込むなら、それはRASによる情報遮断を指す。

RASとはReticular Activating Systemの略であり、日本語では網様体賦活系と訳され、背側縫線核(脳幹)から新皮質にかけて広く伸びている神経系のことである。

RASは五感から拾い上げた膨大な情報を、フィルターする役割であると考えられている。

フィルターを超えたものが、意識にあがって知覚することが可能であり、フィルターで落ちればそれは知覚できず、その人にとっては存在しないことになる。

繰り返しになるが、認識して初めて存在が確認できるということである。

なお、余談であるが、RASは覚醒時に活動し、就寝時には停止することから、認知神経科学ではRASそのものが意識の正体であるとの学説もある。


アントニオ・ダマシオ著 無意識の脳 自己意識の脳 p.300~301
(引用開始)

網様体についての伝統的見解は、1940年代から50年代初めにかけてH・W・マグーン、G・モルッツィらが行った一連の注目すべき実験そのものがあるといってよい。

(中略)

この賦活系の仕事は、大脳皮質を覚醒状態に維持することだった。
 
そしてこの覚醒状態は、当時も今もたいてい意識の同義語として受け取られる。
 
網様体は、それより上部に位置する事実上すべての神経系部位、とりわけ大脳皮質に大きな影響を及ぼした。
 
その影響は大脳半球全域に及び、この影響の比喩的表現として「目覚めさせる」とか「活性化させる」といった言葉がしばしば使われた。
 
網様体賦活系は大脳皮質を覚醒させ、大脳皮質を知覚、思考、意図的行動が可能な作用モード--要するに意識的な状態に--置いた。

(引用終了)

少し結論をいそぐが、私たちが同じ世界を生き、そして同じ世界を観ているという感覚は、実は錯覚である。

私たちは観測できないものやあいまいなものを無条件に切り捨てていることで、近似的にだいたい同じものを観ているという感覚を得る。

この近似的に同じものを観ている、つまりだいたいおおよそ共有出来ていると思われる世界を我々は物理空間と呼んでいるのである。

ここには、『その認識はどこから生まれるのか?』という素朴かつ核心的な問いが残るが、その結論がA次元があり、A次元の高いところに広がった情報空間を通して認識がもたらされ、物理空間を観るということである。

すなわち、物理空間は情報空間の写像であるということである。

写像とは、数学における橋渡しの概念であり、線形代数において写像は、単射、全射、全単射の3つに細分化される。
この場では、情報空間と物理空間における一対一、一対多、多対一、多対多といった対応関係と捉えてほしい。


さて、情報空間と物理空間における連続性の議論を終えると、私たちのゴール達成とは情報空間から物理空間への写像の完了であるということが理解できる。

このとき非常に重要なことは、正しく、かつ細部まできちんと、ゴール側の情報場を創るということである。

もちろんこのとき、自分が存在する情報場も正しく、かつ細部まできちんと認識できていることが望ましい。
 
なぜなら、認識が明確であればあるほど、それは臨場感を持っているということであり、その2つの場における移動がより容易になるからである。

我々がゴール側へ移行するとき、たいていはゴール側の情報場が創り込みが弱いため、移行が難しい。

しかしこの事実は特別悲嘆するものではない。
現状の外側とは定義上観えないものであり、必然的に創り込みが弱くなるからだ。

ただ別の事実として、移動する際そのプロセスにおいて途中別の情報場に移行することになるが、そのとき別の情報が新たに加算される。

つまり、ゴール側の情報場の創り込みが強くなるのである。


いうまでもなく、物理空間は情報空間に包摂され、対応関係があることから、情報空間における場の移動は、ダイレクトに物理空間の移動につながる。

故ルー・タイスの重要なメッセージのひとつに『重要な変化は全て心の中から始まり外へ広がっていく』というものがある。

心の中とは、苫米地理論における情報場の認識である。

そして外へ広がるとは、物理空間を包摂した情報空間における場の移動である。


コーチングのコンテキストで考えても、情報空間における場の移動がゴール達成であるという事実に、これはピタリと整合する。

心の中で明確にゴールを認識することで、きちんと物理が置き換わり、私たちはゴールを達成することができるのである。


ぜひ本書を手に取り、A次元に存在する情報空間に高い臨場感を持って、自由自在に移動してほしい。




『言葉があなたの人生を決める』

 本書はコーチングにおける重要なゴール達成の技術である、アファメーションについて書かれた入門書である。

難解であったルータイスの著書『アファメーション』を、もっとやさしく誰でも読めるようにすることが前提に書かれている。 
とはいえ、エッセンスは飛ばさずやさしく書かれた良書であるものの、アファメーションも同時に読むことを薦めたい。


アファメーションとは、言語を使ったゴール現実化の手段であり、それは以下の11のルールに基づいている。

1.個人的なものであること

2.肯定的な表現のみを使い、肯定する対象のみを盛り込むこと

3.「達成している」という内容にすること

4.現在進行形で書くこと

5.決して比較をしないこと

6.動作を表す言葉を使うこと

7.情動を表す言葉を使うこと

8.正確に描写し、記述の精度を高めること

9.バランスを取ること

10.リアルなものにすること

11.他人に教えず、自分だけのものにすること


詳しいルールの解説や実際の書き方は、本書とアファメーションワークブックに譲るが、実践するにおいて決して欠かすことができないのが言語空間とは何かの理解である。


言語空間を理解するにあたって、まず初めに『言語』と『言葉』の定義を広辞苑よりそれぞれ引用する。

言語:
思想・感情・意志などを互いに伝達し合うための社会的に一定した組織をもつ、音声による記号とその体系。
また、それによって伝達し合う行為。
音声によらない手話や文字の使用を含めていうこともある。

言葉:
人の発する音声のまとまりで、その社会に認められた意味を持っているもの。
感情や思想が、音声または文字によって表現されたもの。


上記の引用からも理解できるが、言語とは言葉の集合であり、その言葉には感情や思想と言った個人によって異なる情報が紐付く。

なぜなら、個人の感情や思想は、過去の経験や体感、親兄弟、友人、学校の先生、その他にも規範、文化、宗教といった要素が密接に絡み合っているからだ。

例えば、リンゴという言葉を聞いたとき、バラ科リンゴ属の果物を一般的に連想するように思われるが、プログラマーにとってはコンピュータであり、音楽関係者にとってはビートルズとなる。

もちろんこれ以外でも、言葉が現状のコンテキストから常にフィードバックを取り、最も最適と思われる意味として認識されると、言語学では意味論ベースで理解されている。


また、ヴィトゲンシュタインも、論理哲学論考にて、言葉の持つあいまい性を指摘している。

ヴィトゲンシュタイン著 論理哲学論考 p.26~27
(引用開始)

思考は命題で表現される。
そのさい、思考に含まれる諸対象に命題記号の諸対象が対応する。

この要素は私は「単純記号」と呼ぶ。
そこにおいて命題は「完全に分析された」と言われる。

命題において用いられた単純記号は名と呼ばれる。

名は対象を指示する。対象が名の意味である。

命題記号における単純記号の配列に、状況における対象の配列が対応する。

名は命題において対象の代わりをする。

対象に対して私は名を与えることができるだけである、そうして記号は対象の代わりをする。
私は対象について、その性質等を語ることができるが、性質を抜きして対象を単独で言い表すことはできない。
命題はただものがいかにあるかを語りうるのみであり、それが何であるかを語りうることはできない。

(引用終了)

まさに、言語や言葉のもたらす意味が、その都度その都度動的に変化し、最も最適であると思われる様相に変わっていることの証明である。

以上を踏まえると、言語空間とは、個人の過去の経験や、社会または現状のコンテキストによって動的に変化する言葉が集合した空間と定義できるだろう。


さて、言語空間における定義が明確になると、アファメーションとは単なる肯定的な言葉を語りかけでなく、もうひとつの深淵なる側面が見えてくる。

それは内部表現の書き換えである。

内部表現の書き換えにおいて、意識は重要な役割を果たす。

意識とは、何かを意識にあげるという働きであり、何かを、そして内部表現を意識にあげることで、我々は内部表現を操作することが可能になる。

意識できるとは、言語化できることであると心理学では明確に定義されている通り、言葉にするということは、ビジュアル的なイメージも含め、明確な個人個人で異なる世界が無意識に現れる。

つまり、アファメーションとは、自分が持つ現状の世界像を書き換え、ゴール側の世界像へ移行させることで、ゴールを達成することが結果的に可能になる。


余談だが、これは新興宗教に洗脳された信者に対して脱洗脳していくときと同じものである。

ドクターがかつて担当したオウム真理教の脱洗脳は、ディベートスタイルで、教義が内在的に持つ論理矛盾を浮かび上がらせてそれを指摘し、その結果として起こる認知不協和のときに、脱洗脳を仕掛けた。

また、教義とは新興宗教の掲げる世界やイメージが、言葉に直接紐付いていることをここで補足したい。

脱洗脳も、内部表現の書き換え術の別の側面であることに留意すると、アファメーションは現状を脱洗脳して、自分を拠りどころにした自分の価値基準に沿う自己洗脳ともいえるだろう。


また、Affirmation<アファメーション>とは、名詞で肯定という意味を持つが、動詞のAffirmの持つ意味は、「はっきり主張する」や「断言する」という強い意味を持ってる。
なお、法学においては、確約の意として用いられる。

それは先のアファメーションの理解と照らし合わせると、成功の方程式(R = I × V)とも合致する。

成功の方程式とは、ゴール側の現実(R:Reality)が私たちのイメージ(I:Image)と臨場感(V:Vividness)のかけ算によって成り立つことを定義した式である。

私たちがゴール側のリアリティーを高めようとする場合、それはただの妄想である場合が少なくない。
なぜなら、イメージだけが先行し、そこに臨場感が伴わないからだ。


ゴール側のイメージをアファメーションという形で明確な言葉にすることは、そこに臨場感が伴うという意味でも、これまで自分が持っていた世界観を覆すという意味でも、情報空間における新たな宇宙創世である。

現状の外側にゴールを設定することは定義上、基本的に可視化しずらく、生みの苦しみを伴うものであり、忠実に実践するためにはそれなりの訓練が必要である。

しかし、それがゴールを設定、達成するということであり、自らを書き換えるということでもある。

そしてアファメーションはそれを可能とする手段である。


本来言葉はただの記号に過ぎず、その持つ意味合いや世界を決定しているのは、紛れもなく自分の無意識下における脳内処理である。

脳内処理のアルゴリズムが、様々な価値基準に則っていることはいうまでもない。

その脳内処理から導かれる風景と、自分のゴール側のイメージが強固に結びついたとき、それは初めてアファメーションとなる。

そしてこれがゴールを確信することであると、私は考えている。


ぜひ本書を手に取り、壮大な言葉のパワーを体感して、ゴールを達成してほしい。
 







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