苫米地式コーチングで本気で変わっていく人のためのブログ

Mind Architecture代表 文野義明(苫米地式コーチング認定コーチ)のオフィシャルブログ。
苫米地式認定コーチである文野義明が本気で変わりたいと考える人に向けて発信するブログです!
ブログを通じて、本気で変わりたい人のマインド設計を促していきます。

タグ:ホメオスタシス

ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


ホメオスタシスとは、私たちが良く知るように生体の恒常性を担保する極めて重要な機能です。

暑ければ汗をかき、寒ければ産熱する、物理に対して起こる機能です。

本来は物理にのみ働くものでしたが、人間の脳が進化しすぎたために情報空間にまでその到達範囲が広がっています。

これは進化論ベースの言い方です。
なので、いつの間にかホメオスタシスが表れたように感じますが、ホメオスタシスはわいて出たものではありません。

もっと大きな議論として、生命そのものがホメオスタシスであるという理解はなかなかに示唆に富むものです。

福岡先生が生命の本質であると主張する動的平衡とは、寸分違わずこのホメオスタシスのことを分子生物学的に主張していると感じます。

ホメオスタシスとは生命そのものであり、生命現象をこの世に留めるだけのパワーで私たちを現状に縛りつけているのなら、私たちがホメオスタシスの抵抗に苦しめられるのは仕方ないように思います。


そう考えるとゴール設定の持つ意味は、極めて偉大です。

生命現象がある系から別の系に能動的に移動するための唯一の手段であるからです。


ホメオスタシスが私たちを何処へもいかせないように、同じ場所にとどまらせるように、何でもやるというのはよく知られた事実ですが、口で事実を主張することと、実際に経験してうちひしがれるのとでは、その持つ意味合いが全くもって変わります。

悠々自適、順風満帆なゴールへの道のりが、ある日突然瓦解します。

最初は何かに取り憑かれたかと錯覚するほど、いつも通りの仕事でイージーミスを連発し、肝心なところで馬力が効かず、強烈な倦怠感と疲労感に苛まれて崩れ落ちるように床に入ります。

『今日は俺らしくない』、『私らしくなかった』、そんな教科書通り忠実に実行したアファメーションでは、さざ波すら起こりません。

ホメオスタシスは、ある均衡点を中心にとどまらせる機能であることを思い出すと、そこで初めて自分は本当は変わりたくなかったのだと知るわけです。


ホメオスタシスの抵抗は非常に強力です。

生真面目に努力してきた人間からすれば、それは反逆以外の何ものでもありません。


そのとき私たちが出来るのは、自分をきちんと見つめることだけです。

特別気持ちを昂ぶらせて、無いエネルギーを無理に消費することはありません。

きちんと自分をみつめることだけで、複雑に絡まったホメオスタシスの糸が解けます。



ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


10月のパーソナルコーチングの募集人数を限定させていただきたいと思います。

非常にありがたいことに、多方面から仕事の依頼をいただき、スケジュール的にどうしても募集を限定せざるえなくなった次第です。

パーソナルコーチングは6ヵ月という非常に長い時間で、変革を促す必要があります。


本題の募集ですが、10月は2名様までとさせていただきます。

パーソナルセッションの依頼はこちらから!



なお、11月以降の募集は不明です。

わかり次第告知させていただきたいと思います。


大変勝手ですが、よろしくお願いします!


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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


先日大阪で藤本コーチと開催したセミナーについて非常にうれしいご感想をいただけました!

といういのも、このセミナーには、なんと苫米地式認定コーチである、斎藤貴志コーチにもお越しいただきました!

彼は島根在住のコーチですが、島根からわざわざ来てくれました。
エフィカシーが高いです!

斎藤貴志 写真
@斎藤貴志コーチ(こちらから写真を拝借


そんな彼が彼のブログにて、私の担当講座についての振り返りを行っていくれています!

私の講座より、上手くまとまっています!笑


彼がブログで振り返ってくれているように、コーチングにおいて重要なのは、ゴール設定です。

そして彼の振り返りのタイトル通り、ゴール設定が私たちの生きる力であり、原動力です。

フランクルが主張するトリックとは、私たちのコーチング理論におけるゴール設定を意味します。

ゴールを設定することで、私たちの認知が変わり、そして生き抜き、ゴールを達成することに成功します!


ゴール設定の深淵さを感じるばかりです。

私たちにおけるゴール設定とは、数学における公理のような存在であり、公理があってそのあとの定理が成立します。

公理なくして定理は成り立たないのです。

ゴールなくして、それを達成させる最適な方法もないのです。

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


コーチング通じて、自分と本気で向き合うと、自分の生涯をかけていいような、そんな壮大かつ偉大なるテーマに出会います。

それを実現した社会の幸福値は、今まで以上のさらに高いところにあがっていき、そして横の誰かも笑顔でハッピーな優しい世界です。

そんな社会の実現に向け、それ自体が自分のゴールであることもそうですが、自身を献身的に世界に捧げます。

世界の豊かさは、世界のどこかで生まれた付加価値であることは間違いありませんが、高邁なる理想が、気づけば自分のことを顧みない無理なゴールとなっています。

社会的情動という言葉を聞いたとき、ついつい周りの笑顔を考え、自分の笑顔を忘れる悲しい現実に直面します。


しかし冷静に考えればわかるように、自分も笑顔で、他人も笑顔であるから素晴らしく、他人だけが笑顔な世界とは、言葉を選ばなければ、ただの虚像であり偽善です。

もちろん自身の献身的な態度自体は、とても尊いことであり、誰かのために動くことは、自分のために動く以上にパワーが溢れる行為です。

しかし往々にして献身的な態度は、自分を摩耗させ、いつの間にかゴール達成を減速させるホメオスタシスの抵抗にすり替えられます。


このときキーワードとなるのが、自分の幸福です。

一見抽象度が低く感じる基準が、実は自分を突き動かす原動力であると気づきます。

自分が幸福になっていいという単純なことでさえ、忘れてしまうのです。


自分の人生を捧げていいと思えるテーマは、往々にして社会の機能を果たす素晴らしいゴールです。

ですが、そこで自分の笑顔を忘れてしまっては本末転倒です。


ゴールを達成した世界には、すべからず自分も含まれます。

自分が楽しく、周りも楽しいことが必要であり、それがゴール達成までの、大きな継続力につながります!

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※どこまでいってもみんな楽しく!

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


シルバーウィークもあっという間に過ぎ去り、今日から仕事が始まるという方も多いのではと推測します!

今年のシルバーウィークはカレンダー通りなら、5日間の大型連休であり、ちなみに次の大型連休は11年後だそうです!

割とどうでもよい、小話です。


さて、シルバーウィークといえば、藤本和博コーチとのセミナー@大阪でした!


本セミナーのテーマは、いわずと知れたアウシュヴィッツ収容所ですが、アウシュヴィッツ収容所と現在に住む私たちを比較すると、その相関の多さに驚かされます。

もちろん安易な比較は論外ですが、収容所内で行われた残虐非道な行為の数々を受けた人々が壊れていく様は、現在にも通じるものが多々あります。

もちろん通じるだけではNGで、そこからきちんと何かを獲得しなければなりません。


過去の学者が観れば、それらは往々にしてただの事例研究になりますが、コーチングを知る私たちからすれば、とても良いケーススタディーです。

フランクルは、過酷な収容所内で、見事にコーチングに通ずるマインド操作で、生き抜きます。

ただフランクル自身の主張は確かに王道のど真中をいくものですが、少し自己啓発気味に偏っています。

そのあたりはきちんと最新の認知神経科学の観点から補足しています。


また、その過酷な事例のなかには、一番コアな『ひとの自由意思』についても教えてくれます。

ひとの自由意思とは、何者にも侵犯されない、最後の領域です。

そこに踏み入れられるのは、自分の除いて他にありません。


であるならば、私たちが他人に良くなってほしいと心の底から願う、とても純真で無垢な願いでさえ、容赦なく切り捨てられます。

アウシュヴィッツのような過酷な領域のなかでも、侵犯されないのだから当然です。

私たちはひとに良くなってほしいと願うとき、せいぜい信じて待つことくらいしかできないのです。


しかし、とてもパラドキシカルですが、自分の願いが届かないことを心の底から知ったとき、初めて相手にその願いは伝わります。

そしてそのとき、むくりと人は立ち上がるのです!

このとき、一人一宇宙という深淵さをいつも感じさせられます。


改めまして、藤本コーチ、ならびに参加者の皆さま、ありがとうございました!

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