苫米地式コーチングで本気で変わっていく人のためのブログ

Mind Architecture代表 文野義明(苫米地式コーチング認定コーチ)のオフィシャルブログ。
苫米地式認定コーチである文野義明が本気で変わりたいと考える人に向けて発信するブログです!
ブログを通じて、本気で変わりたい人のマインド設計を促していきます。

タグ:ホメオスタシス

ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


フロイトやユングの頃から、私たちは無意識に深淵なる世界を垣間見ています。

無意識とは意識できないから無意識というわけであり、知覚できない世界の中の出来事が、私たちを形作っていることを経験的に知っています。

有名な言葉はまさに”氷山の一角”で、私たちが意識できる顕在意識よりも、無意識の方が私たちの大多数を占めています。

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@海に浮かぶ氷山


意識よりも無意識の方が、圧倒的に強大なら、今の私たちの言動そのものが、一体どれほど無意識の影響を受けているのかとても気になります。

またその無意識の判断は一体何を基準にしているのかも同時に気になります。


という大きな問いを考えたとき、グッドガイ/バッドガイ実験がとても参考になるでしょう。


グッドガイ/バッドガイ実験とは、無意識下の決定が意識にどのように知覚されるかを確かめた実験です。

パーティーにて、被験者と意気投合するグッドガイと被験者と全く意見のかみ合わないバッドガイをあらかじめ接触させます。

その後しばらく時間がたったあと、同じ被験者に『第一印象の実験がしたい』と偽って、個室に呼び出し、グッドガイとバッドガイがランダムにちりばめたデータベースを見せます。

すると面白いことに、被験者は見事仲良くなれそうな人にはグッドガイを、仲良くなれなさそうな人にはバッドガイをきれいに選択します。

理由を尋ねてみても、なんとなく程度の回答しか返ってきません。


また、事前に個室付近にバッドガイを配置させ、被験者が角を曲がってバッドガイを観た瞬間も、一瞬身体が硬直します。

もちろん本人に身体の硬直の理由を聞いても、『いつ身体が固まったんですか?』と聞き返されます。


私たちの人間もひとつの生物であり、種である以上、生命の存続が最も大きなゴールのひとつです。

自分にとって嫌なこととは、往々にして危険のともなうものであり、それはネガティブな感情をトリガーに、強烈に無意識下に書き込まれます。


一度無意識にそのような処理が書き込まれれば、基本意識にあがることなく、そのように振る舞います。

もちろん意識の上にあがっても、不安や恐怖といった、ありとあらゆる情動を引き起こして、その行動を阻害します。


そのように考えると、私たちの意識が出来ることは、ほんのわずかなことのような気がします。

なぜなら氷山の一角の言葉の通り、大多数の処理が、無意識下で行われているからです。

しかし、私たちの意識はただ非力で無抵抗でやられたい放題でありません。

最後にGOサインを出すのは、いつも意識であり、意識にあげることで、きちんと操作が可能になるからです。


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マインドアーキテクチャーの文野義明です。


私たちの世界とは、自分の心が産み出した世界です。

自分が産み出した世界ということは、ひらたく言えば誰一人として同じ世界を観ていないということです。

これは特別突飛由もないこといっているわけではなく、自分の認知の仕組みをきちとたどれば、誰でも行き着く事実です。


観ている世界が自分勝手に作られた世界なら、当然自分の好きなように観ていいとも解釈することも可能です。

それが私たちのゴール設定のもうひとつの姿であり、それが情報空間の移動です。


自分だけの、自分が好きなように作った世界なら、その移動や作り変えも、とても簡単に出来そうな気がします。

しかし実際はそうできないように、ホメオスタシスという機能を持ちいて、同じ状態を担保します。

なぜなら、ホメオスタシスがなければ、それ自体がすぐに崩れる砂の城のように、自分の世界が何処かへ霧散するからです。


もちろん長く砂の城を保たせるという意味では正解ですが、もう一度同じ場所に別のデザインの城を作ろうとした場合、崩すことは極めて困難です。

その困難さを、私たちはメンタルブロックという言葉で表現します。

ではそのメンタルブロックがなければとても簡単にうまく機能するかといえば、それはもちろん早計です。

なぜならメンタルブロックは意味があってきちんとブロックしているからです。

それはたいてい自分を護る盾のように出来ています。


もちろん自分を護るための盾だとしても、相手と自分が明確に遮断される以上、自分だけが相手に干渉できるはずがありません。

その場合は、躊躇せず、相手から自分が干渉されるリスクを冒して、盾から自分の身を乗り出すことが必要です。

となる場合、それが現状の外側なのか、それともただのメンタルブロックなのかは、とても微妙なラインです。


では現状の外側なのか、それともただのメンタルブロックなのかを明確に切り分けるにはどのようにすればよいでしょう?

その答えはとても簡単です。

ゴールに合致するかどうかです。

ゴールに合致するならば、それは現状の外側であり、克服すべきメンタルブロックです。

そうでないのなら、現状の外側ではなく、克服の必要がないメンタルブロックです。


このとき論理は役に立ちません。

私たちが良く知るように、理性で高度な推論を決定させることはできないのです。

そこには『行きたいか』だけであり、『行きたいか』だけが争点です。


もし行きたいが根底にあるのなら、そのときは怖れをなさず、自分から思いっきり飛び込むことです。

それ以上の理由は不要です。

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※飛び出したかったなら飛び出すだけ


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マインドアーキテクチャーの文野義明です。


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お待ちしています!!

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


エフィカシーをあげることは非常にゴール達成において重要です。

しかし、概念や知識としてエフィカシーをあげることの必要性を知っていても、実際なかなかに上手くいかないことが大半です。

なぜなら、エフィカシーをあげればいいといわれても、どうやってあげていいのかわからないからです。

よくあるエフィカシーの議論として、エフィカシーは『あがるもの』ではなく『あげるもの』だという議論がありますが、結論は後者でも、それであげれたら苦労はないよと思います。

エフィカシーは基本眼に観えませんし、触ることもできないから当然です。

眼に観えない以上、触れない以上、どうすることも出来ないように思います。


しかしといいつつも、経験則として、成功体験があるとエフィカシーがあがることを私たちは知っています。

もちろん一度や二度の成功体験では、容易にホメオスタシスに絡め取られてしまいますが、例え小さなものでも繰り返し継続的に成功を収めることで、それが自然とコンフォートゾーンに変わります。

それは段階的なエフィカシーの向上ということができるでしょう。


もちろんそれは正解です。

ただの経験則ではなく、認知心理学でも小さな成功が自己肯定感の向上に一役買うことがわかっています。

きちんと学問として証明されている以上、誰がやっても同じ効果が得られる可能性が高いでしょう。


ですがここでおもしろいのは、実際やり方がわかったとしても、同じ場所から全く動けません。

やるべきことが明確になっても、今度は何が小さな成功にあたるだろうかと、別の疑問が浮かんできます。

そして気づけば、時間だけが過ぎていき、やり方を知る前と何もかわっていないことに気付きます。


ここで重要な事実は、別にやり方の問題ではなかったということです。

エフィカシーはあがるものではなく、あげるものだという押し問答しているときと、この事態は本質的に何も変わりません。

というより、問題の出所は同じであるから当然です。


それはつまり、ゴールがなかったということです。

ゴールがないのに、エフィカシーをあげる必要がなければ、やり方を見つけても仕方ありません。


ゴールがあり、ゴールに向かっていく必要があるからこそ、エフィカシーをあげることも、小さな成功を収めながら自己肯定感を高めることも、その必要性が浮き彫りになってきます。

エフィカシーが高いだけでは残念ながら何も生まれません。

まずは、最初に自分のゴール設定から始めましょう!

エフィカシーをあげる必要が生まれてくるのは、その後です。
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※まずはゴールを見つけることから!

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


私たちにはすべからく自分に対して希望を持っています。

自分はこんなものじゃない。

自分はまだまだやれるのに!

現状の自分と理想の自分とのギャップが強い認知的不協和を産み出します。

そういったモチベーションは世間からの逆風を受けがちですが、最初のスタートは誰しもみな同じです。

特別恥ずかしがることでも、悲嘆することでもありません。


そこから生まれた感情というガソリンが満タンのときは、どんどんパワフルに障害をかき分けていくことが可能です。

しかし、感情とは消費可能なエネルギーである以上、補給されなければ、どこかで必ずガス欠を起こします。

一度ガス欠を起こせば、最初の頃の威勢の良さはどこへやら、途端に今の自分の行動に疑いを持ち始めます。


自分の行動を顧みることは極めて重要ですが、顧みることとなった発端が何のかはきちんと明確に意識すべきトピックです。

仮に顧みることとなった発端が、ホメオスタシスにあるならば、全ての原因は紛れもなく自分の責任です。


さて、この純然たる事実の前で、私たちはどのように振る舞うべきでしょう?

いうまでもなく、認めることから議論をスタートさせるべきですが、往々にして事実の否定から私たちは議論を始めます。

なぜならそれを認めることは、今までの自分の経験や蓄積を、一気に水の泡とさせることに等しく感じられるからです。

これは誰しもが持つ人としての機能です。

ひとは何より損失を嫌います。

余談ですが、ギャンブルで負けを認めらずもう一勝負したくなるのも、この損失を嫌う性質ゆえです。


しかしひとが損失を嫌い、先延ばしにするだけでは、何の解決にならないことも存在します。

言い換えれば、もっと手痛い損失を被る可能性があるということです。

受け入れなければいけない損失もあるでしょう。

このときささやかな希望も、ささやかな絶望も不要です。

なぜなら、ささやかな希望は自分を無意味に慰めるだからです。

なぜなら、ささやかな絶望は自分を無意味にあきらめさせるからです。


事実をきちんと受け止める。

これは字面以上に、持つ意味は深淵です。

そしてこれが一番正直辛いプロセスです。

しかし、そこを受け止めると、今までの余計な重りが外れ、本当の自分に向き合えます!

本当にやりたいことが見つかります!

自分がフタしたパンドラの箱にこそ、無限のパワーが眠っているものです。

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