苫米地式コーチングで本気で変わっていく人のためのブログ

Mind Architecture代表 文野義明(苫米地式コーチング認定コーチ)のオフィシャルブログ。
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タグ:プライミング

『脳と心の洗い方』

本書は、脳が生得的に持つ特性を用いて自己実現を目指す方法(プライミング)を紹介した著書である。

このときキーワードとなるのが、ドーパミンである。

ドーパミンとは渇望ホルモンのことで、この脳内物質の特性を利用して自己洗脳する技術がプライミングである。

ドーパミンはよく快楽ホルモンという理解が世間ではなされているが、厳密には正しくない。
正確には、ドーパミン分泌後にセロトニンが分泌され、これが我々が感じる幸福感や、やすらぎといった感覚をもたらしている。

ドーパミンがアクセルならセロトニンはブレーキの役割を持つため、ドーパミンが分泌されると、結果的にセロトニンが分泌する。
厳密ではないものの、最終的には幸福感を感じるため全てが全て間違っているわけではない。

プライミングを用いた詳しい自己洗脳の方法論は本書に譲るが、プライミングを利用するにあたって、重要となるのがドーパミンに対する理解である。


さて、ドーパミンについて改めて紹介すると、中枢神経系に存在する神経伝達物質であり、運動調節、ホルモン調節、快の感情、意欲、学習などに関わっている。

実際まだドーパミンそのものは未解明な部分が多いことを付け加える。


ドーパミンの発見は、1953年にカナダのマギル大学のジェイムズ・オールズとピーター・ミルナーという2人の研究者が行ったラットの実験にさかのぼる。

彼らはラットの脳に電極を埋めこむ手術をして、傷が治ってから、電極を通じて脳に電気刺激を与える実験のなかで、たまたま見つかったものである。


この実験では、脳の特定の部位に電気刺激を与えることで、最初ラットがその場所に固執しているかのように見えたことに興味を持ち、この特性をさらに調べるために行われた。

実験内容は、容器にレバーをつけ、そのレバーを押すとラットの脳内の電極に電流が流れるよう工夫し、その固執の強度を調べるというものである。

その結果は驚くべきもので、ラットは空腹状態でも食べ物に一切眼もくれず、また発情期のラットが横にいても、それを無視してレバーを押し続けるというものだった。

ひどい個体の場合、24時間にわたって1時間あたり2000回もレバーを押し続けた。


ラットはレバーを押すことで、脳内の電気刺激を通じてドーパミンが分泌され、そしてその結果レバーを押すことだけに強い快感を感じ、それ以外に一切興味を示さなくなったのである。

この実験結果からも理解できるように、レバーを押すという行為に対して、中毒症状になった表現する方が言葉としては適切である。
またその中毒症状は、食欲や性欲といった、生物の中で最も根底にある欲求でさえも勝るものであることを押さえたい。

この結果は達磨大師を連想させる。

達磨大師とは、中国禅宗の開祖とされているインド人仏教僧である。

彼は禅を組み、瞑想していたところ、気づいたら自分の足が腐っていたという逸話を残している。

これは瞑想を通じて、脳内で大量のドーパミンとセロトニンが分泌され、本人はあまりにも気持ちが良く、現実世界の不調に気付かなかったためと思われる。


ここで、プライミングがなぜこれほどまでに強力であるのか考えたい。

プライミングがなぜ強力なのかいうと、それは生物の基本的な行動原理がドーパミンと密接に絡み合っているからであると考えられる。

このときのキーワードは『報酬系』である。

報酬系とは、欲求が満たされたとき、あるいは満たされることが分かったときに活性化し、その個体に快の感覚を与える神経系のことである。
厳密にいえば、報酬系は主にA10と呼ばれる中脳の腹側被蓋野から大脳皮質に投射する神経系である。

ここにドーパミンが通ることが確認されている。

そしてこのときの報酬とは、性欲や食欲を満たすことで得られる生物的報酬と、他人から賞賛されたり、承認されることで獲得てきる社会的報酬に大別されるが、端的に言い換えれば、自分の行動によって自分が最終的に気持ちよくなるかが争点である。


自分の行動に快の感情をいだくかどうかが、自分にとっての行動原理であるとの主張は、簡単には納得しがたいものである。

しかし、これを裏付ける面白い事実が、リストカットを初めとする自傷行為である。

自傷行為とは、自身を傷つける心の病であると一般的に認識されている。
自傷行為自体に幸福感など微塵も得られないように感じられるが、実際はリストカット後の脳内をfMRIでのぞいてみると、きちんとセロトニンが分泌されている。

つまり、リストカットを最初はじめてしまった原因を抜きにして考えると、これを何度も繰り返してしまうのは、本人の自覚の有無にかかわらず、当人にとって気持ちいいために繰り返しているということである。


この事実は我々にとって馴染み深いランナーズハイとも符号する。

ランナーズハイとは、マラソンなどで長時間走り続けると気分が高揚してくる作用のことである。

ランナーズハイが起こったとき、脳内ではβ-エンドルフィンが大量に分泌される。

エンドルフィンはエンド(体内で生じるものの意)とルフィン(モルヒネのルヒネの部分)との合成語であり、鎮痛作用をもつ物質である。

余談だが、エンドルフィンはモルヒネよりも約6.5倍もの強力な鎮痛作用を持つ。

そしてエンドルフィンが分泌された後は、もちろんセロトニンが分泌される。

そのため、長時間走ることは、紫外線で肌がやられ、足裏の圧力で血液が多量に壊される行為であっても、最後の多幸感が忘れられず、再び走りたいという欲求が訪れるのである。

先のリストカットの例も、自傷行為において苦痛を緩和させるためにβ-エンドルフィンが脳内で分泌され、結果的にセロトニンが分泌されるのである。


以上からも理解できるように、快不快の2択で考えたとき、我々の行動原理はほぼ確実に快の方が選ばれる。

これは我々が動物のときから受け継いだ要素であると考えられる。
なぜなら、快なものとはたいてい生命維持を安定させ、不快なものとはたいてい生命の危機に基づくものであるからだ。

つまり、報酬系を働かせることは、生命維持にとって非常に強力な意味を持つのである。

ゴール達成に向けて、このプライミングを用いるというのは、言い換えるとゴール対してストーカーになることである。

プライミングとは、我々がすべからく持つ欲求という武器を最大限に発揮させる機能である。


確かにプライミングは強力な技術であり、欲求を解放することでゴールまでの道のりは遥かに平坦なものとなるが、この考え方はなかなか受け入れ難いものである。

なぜなら、上記までの内容で考えた場合、ひらたくいえば自分の欲望を爆発させることが、ゴール達成への近道であると理解できるからである。
そこだけを取り上げると、それはただの野生動物と同じである。

また、そこに一見高度そうな論理がそこに重なれば、それはヒトラーになる可能性を孕んでいる。

なので、我々の感覚的には欲求を満たすということは否定的に捉えることが多く、むしろ親や社会から自制の方が重要であると学ぶ機会の方が圧倒的に多い。


ここで自制に関する研究として、マシュマロ・テストを取り上げたい。

ウォルター・ミシェル著 マシュマロ・テスト p.11
(引用開始)

就学前にマシュマロ・テストで長く待てた人は、二七歳から三二歳にかけて、肥満指数が低く、自尊心が高く、目標を効果的に追求し、欲求不満やストレスに上手く対処できた。

中年期には、一貫して待つことのできた(先延ばしにする能力の高い)人と、できなかった(先延ばしにする能力の引い)人では、中毒や肥満と結びついた領域の脳スキャン画像でははっきりと違いが見られた。

(引用終了)


マシュマロ・テストとは、4歳以下の未就学児における自制心と社会的成果にかかる実験のことである。

マシュマロ・テストは本来、「先延ばしにされたものの、より価値のある報酬のために、未就学児が自らに課した、即時の欲求充足の先延ばしのパラダイム」という長い名前であったが、ニューヨークタイムズによって、マシュマロ・テストというわかりやすい名前を獲得した。


この実験内容はとてもシンプルである。

未就学児に彼らのマシュマロのような好物を見せ、15分待つことができたらもうひとつマシュマロをプレゼントするというものである。

子供は当然脳の発達が大人と比べ未熟であり、脳内では扁桃体からのマシュマロを今すぐ食べろとのホットな衝動と、前頭前野からの15分後にマシュマロを2つ食べろとのクールな判断が対立する。

このとき、自制できた子とそうでない子にもちろん別れたが、その後の追試験の結果は非常に大きな差となったことは、上記の引用の通りである。

自制できた子とそうでない子を、40年にもわたる追跡調査することでこの事実が明らかになっている。

自身の欲求に対し、冷静に対処できる能力は、自身のゴールを達成するにあたって必要な努力を行うという意味でも大いに役立つ。

しかし自制は確かに有効な戦略のひとつであるが、自制をし続ければいいのかといわれれば、それはもちろん間違いである。

なぜなら、自制をし続ければ、我々は容易に壊れるからだ。 


欲求の充足と自制という二つの相反するパラダイムを踏まえたとき、そこからより明確に浮かび上がるのはゴールの存在である。

つまり、ゴールが先にあることで、充足すべき欲求と、自制すべき欲求が明確にセパレートされるということである。

適切な欲求の充足はゴール達成に非常に効果的であるものの、それはあくまでゴールを達成するために必要な欲求に限られる。

逆向きにいえば、その他のゴールを達成するために必要がないと思われる欲求には、自制が必要である。

欲求の充足でさえも選択であり、ゴールを達成するために必要なことかどうかという視点は常に確保したい。


人間にはすべからく欲求が存在し、そのおかげで我々は生きることが可能である。

しかしその欲求は使い方ひとつで、我々を幸にも不幸にもする。

また、プライミングとは我々の欲求が持つパワーを全開にする技術であるが、我々が重要だと認識するWant-toも同じく欲求である。

Wantの語源を辿ると、古期北欧語で「欠けている」という意味にたどり着くように、本来Want-toとは渇望と訳す方が適切である。

娯楽的に楽しく、ふわふわやることが、コーチングが要請するWant-toではない。

そこにはレバーを押し続けるラットのように、それがやりたくて仕方がないという強烈なモチベーションが重要である。

そしてそのWant-toが要請されたとき、ゴールの臨場感が高まり、初めてゴールを達成することが可能である。


ぜひ本書を手に取り、欲求と自制を最大限に高め、ゴールを達成してほしい。

 






ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


意気揚々とゴールを設定した初期は、それとなく効果はあるものです。
理由は簡単で、脳にブライミングが働くからです。

プライミングとは、この場合ゴールに向かって進んでいることが楽しくて仕方のない状態です。
脳内でいえば、何をせずともドーパミンがドバドバ出ます。


そのような状態だと、ゴールも明確で、臨場感も高く、Rもゆらぐので、ゲシュタルトがゴール側へと書き換わります。

しかし大抵の場合、誤解に始まり理解に終わる恋のように、その期間は長続きしないものです。


大なり小なりゴール側へ近づけば、本来の状態を保つべく、ホメオスタシスが強烈に働き始めます。
私たちのよく知る三日坊主と呼ばれる状態です。

ゴールへ前進しようとする力よりも、現状に留まる力の方が強いのです。

これは巨人と綱引きをするようなものでしょう。
勝ち目がないのは明白です。


@巨人といえば進撃の巨人w


巨人との綱引きに勝てないのなら、もっと大きな力の強い巨人を召喚すればいいと思うのは、子供でもできる発想です。
しかしこの発想は重要で、太陽系を50個くらい抱えられるほどの巨人ならば余裕でしょう。


この操作がゴールを現状の外へ置くということです。
いわずとも知れた苫米地式コーチングの重要なプリンシプルです。


もちろん太陽系を50個くらい抱えられる巨人でもいづれ使えなくなる日が来るものです。
何事にも耐用年数が存在します。

そのときはわずかな感謝とささやかな恩情を胸にしながら、誠心誠意巨人を燃やします。
自分が知りうる限りのとびきりの業火で。

そして太陽系を100個くらい抱えられる巨人を新たに創るのです!
私たちには巨人を創ることしか出来ません。


出来ることを粛々と続けましょう。

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