苫米地式コーチングで本気で変わっていく人のためのブログ

Mind Architecture代表 文野義明(苫米地式コーチング認定コーチ)のオフィシャルブログ。
苫米地式認定コーチである文野義明が本気で変わりたいと考える人に向けて発信するブログです!
ブログを通じて、本気で変わりたい人のマインド設計を促していきます。

タグ:ブリーフシステム

ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


パラダイムシフトへの言及をした先日のブログ記事について、かなり反響があり、質問もいただいているので、もう少し具体例を用いて追記しようと思います!

手放すということをもっと身近に捉えるために、シャンプーを例にしてみましょう。


美容系に詳しい方なら、最近諸外国のセレブの間でノープーといって、ノーシャンプーが流行っているということをよくご存知だと思います。

知らない方のために少し補足すると、ノーシャンプーとは言葉の通り、お風呂で頭を洗うときにシャンプーを使わずお湯のみで洗うというものです。


生まれてからずっと、頭を洗う=シャンプーで洗うという一種の洗脳を受けている私たちからすれば、シャンプーを使わないことへとても大きな不信感と、皮脂が落ちないことへの不潔感を覚えることと思います。

なのでシャンプーを使わないと、頭が皮脂で油べっとりになるとか、フケやかゆみの原因になるといった反応が返ってくると予想します。

しかしきちんとロジックを辿ると、ノーシャンプーはかなり合理的な手段です。


シャンプーには往々にして界面活性剤が入っています。

界面活性剤は油と水を分離させない働きを持っています。

これは私たちが乳化という言葉で知っている現象です。

おそらくは皮脂=油という前提の上、また水と油は交わらないことから、シャワー(水)で皮脂が落ちないということから、乳化させ皮脂を落とすというロジックを形成していると思われます。

しかし実際は皮脂を落としすぎているだけであり、また皮脂は水で十分落とすことが可能です。

なぜなら、そもそも皮脂は汗と混ざり皮脂膜を形成していているためです。

水と皮脂が交わらないというロジックは崩れています。

そして正常な頭皮は、ここに常在菌が皮脂をエサとして、菌が繁殖しにくい弱酸性に肌を保ってくれており、肌の健康が保たれています。

ちなみに常在菌は確かに微生物であり細菌ですが、病原性を持ちません。


という事実を踏まえたとき、シャンプーは常在菌にエサとなる皮脂を大量に洗い流し、そして常在菌自体も殺してしまうというものです。

当然皮脂が落ちすぎれば、自己防衛機能として身体は皮脂を大量に分泌しようと動きます。

また、悪性の雑菌が繁殖しやすくなることやシャンプーの洗い残しによって、頭皮にトラブルが起こります。


洗い残しというとピンと来ませんが、シャンプーをした後いい匂いがするというのが、頭にシャンプーの洗い残しがある何よりの証拠です。

シャンプーの香料に対して私たちはいい匂いと感じていますが、シャワーですすいだことで界面活性剤は落ちるが香料だけが頭に残っているという論理は、とても不思議な論理です。


なので実際ノーシャンプーを始めると、最初こそ確かに頭は皮脂でベトベトしますが、徐々に分泌する皮脂の量が減ってきます。

だいたい目安は6週間です。

これはホメオスタシスの原理から容易に説明することが可能であり、これまで大量に分泌していた皮脂が、現状に必要な皮脂の分泌量に変わっていくためです。

もちろん個人差はありますが、フケやかゆみもなくなります。

そもそもフケやかゆみの原因がシャンプーの洗い残しや雑菌の繁殖による炎症にあるからです。

ジェシカ・シンプソンやロバート・パティンソンなどがノーシャンプーだそうですが、彼らからすればもうシャンプーを使うなんて考えられないそうです。

ダウンロード
@ジェシカ・シンプソン

300x
@ロバート・パティンソン


さて、いつの間にかノーシャンプーの宣伝にも似た、ずいぶん長い前置きとなりましたが、もちろんノーシャンプーの紹介が本記事の趣旨ではありませんw

何が言いたいかといえば、今持っているものを手放すということはこういうことだということです。


ノーシャンプーで語られる真実が、非常に整合的であるとともに、実際かなり信憑性がありますが、では今日から早速ノーシャンプーを始められるかということ、たいていはそこで待ったがかかります。

その論理になるほどと共感しても、それを受け入れ、自分の行動基準にすることは別のベクトルです。


もちろんコーチングにおいて重要なのはゴールであり、頭のトラブルを解決したいと考えている人とにとっては朗報ですが、かといって外国の高いシャンプーこそが良いと考えて来た人には、なかなか受け入れられない論理です。

外国の高いシャンプーを手放すことで、初めてノーシャンプーの論理を受け入れられます。

そして言うまでもなく、ノーシャンプーという現状の外側に飛び出すことで、初めて今までと全く違う風景が見えてきます。

自分が正しいと思っているもの、自分の古い自我を手放すことでしか、起こりえない出来事です。

普通シャンプーを止めようとは考えませんが、いつもいうように、自分でも思いもよらぬところにあるからスコトーマであるというのです。  


先日の質問でもありましたが、古い自我を手放すということを、自己否定すると捉える方もいるようですが、当然その理解は間違いです。


もっと直感的にいうならば、それはゴールに向かって梯子を掛けるようなイメージです。

私たちは往々にして梯子を早く駆け上がることにフォーカスします。

私たちは往々にして梯子を上手にのぼることにフォーカスします。


しかしどんなに早く梯子を駆け上がっても、どんなに梯子を上手にのぼれても、間違った場所に梯子を掛けていてれば、結局間違った場所にしかたどり着かないということです。

ゴールに不必要であるものは、どんどん手放していきましょう!

ノーシャンプーのような身近なことから始めることもおすすめです!
 
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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


ゴール側の自分とは、基本今の自分にないものを持っているものです。

なので、私たちはゴールに向かうとき、『ゴール側にあって今の自分にないもの』を積極的に手に入れようと考えます。


それはもちろんいいことであり、ある程度まではそれでうまくいくことが可能です。

しかし、劇的にさらにその向こうへいくためには、残念ながらそれでは足りません。


なぜならその理由は極めてシンプルで、今持っているものが、新しい概念とぶつかり合うからです。

別の観方をすれば、古い概念で新しい概念を捉えようとするからです。


例えば、苫米地式コーチングは現状の外側という強い縛りを持ったゴール設定から始まります。

しかしゴール設定自体は、小中学校といった義務教育や自分の勤める会社でも、今学期の目標や今期の売上目標といった様々な形で出会いをしています。

事実ゴール設定という言葉を聞いたことがない人がいないぐらい、とてもありふれた言葉であり概念です。

つまり、ゴール設定=小中校ないしは会社で出会うゴール設定であり、その延長線上で私たちのゴール設定を無意識に捉えようとしていまいます。

それで私はゴール設定を出来ているといわれても、うーんとしか言いようがありません。

中古の弦がガタガタのギターを買って必死に練習し、ある程度弾けるようになったところで、中古とは比較にならないくらいの超高級なギターを弾いて、音がずれるようなイメージです。

ゆるゆるガタガタの弦で最適化された指で、ピンと張った弦は勝手が違いますが、本人にはもちろん今までこれで弾けたという強いリアリティがあるために、往々にして超高級なギターこそが悪いと考えます。

だって同じギターじゃんと言いたげですが、それはただの都合のよい解釈です。

このカラクリは私たちの言葉でスコトーマと呼ばれるものです。


私たちのゴールは今持っていないものを手に入れることであり、超高級なギターを華麗に弾きこなすことであるはずです。

ではそこで何が必要かといえば、答えは非常にシンプルで、今持っているものを手放すということです。

ゴール=自我という等式から考えても、古い自我が新しい情報を阻害し、古い自我が新しい縁起を隠すことは明白です。


(引用開始)

この世で一番むずかしいのは新しい考えを受け入れることではなく、古い考えを忘れることだ。

(引用終了)



keynes
@ダンディーな雰囲気漂うジョン・メイナード・ケインズ


私たちは別に、新しい概念が認識できないわけでも、理解できないわけでもありません。

量子力学の、私たちの存在は確率的という結論でさえ、その言葉の意味はわかります。

ただそれが私たちの感覚と合わないために、往々にして摩擦が起こるだけです。

今ここにいる自分は揺らいでいるのはなく、アプリオリだという錯覚です。


理屈は理屈のままでは、知識は知識のままでは、知っていても残念ながら明日の行動を変える礎になることはありません。

本当にそれらを血肉にするためには、不要なものや古いものはドンドン手放していくことが必要です。

そうなれば否応なく新しい概念が、中心にやってきます。

また古い概念から発生するスコトーマをが外れ、新しい概念が古い概念の色眼鏡なしに、新しい概念のまま入ってきます。


言うまでもなく、今までの概念では説明がつかないことが、説明ができるようになるからパラダイムシフトであると言えるのです。

ニュートン力学から相対性理論が説明できないように、相対性理論から量子力学が説明できないように、古いパラダイムから新しいパラダイムをのぞくことは不可能です。

逆はもちろん説明することが可能です。


私たちが本当に興味があるのは、知って楽しいトリビアではなく、自分をドラスティックに書き換えるようなクリティカルな情報です。

これは古いパラダイムを捨てるコツであり、気付いた瞬間は自分でも泣きたくなりますが、たいていは自分がこれまで正しいと信じてきたものが成長を妨げる要因です。

そういったことを体感すると、ブリーフシステムを変えるとは言葉以上に重い概念だと思います。

古い自我を拠りどころにし、古い自我にすがりつくことはとても楽な方法です。

現状の外側を目の前にして、私たちが出来ることはそこから淡々と跳ぶことだけです。


捨てることによって、新しい何かが入ってきます。

ゴール側の情報をたくさん浴びて、ドンドン脱皮していきましょう!

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


私たちは各々ゴールを持っています。

そして当然言うまでもなく、ゴールとはおしなべて理想の自分です。

理想の自分とは、もちろん現状の外側に存在する、スコトーマに隠れた未だ観ぬ自分のことを意味します。


そう考えたとき、消去法的に、現状の自分とは、理想の自分ではないと安易に考えてしまいます。

もちろんその考え方は間違いでなく、苫米地式コーチング的にもどちらかといえば正しい理解といえますが、個人的には及第点ではありません。


ここでもう一歩先の理解に踏み込みたいと思うなら、目的的志向からきちんと演繹的に考えていくことが大切です。

つまりいうなれば、それは私たちはゴールを達成するための最適なブリーフシステムを構築するという事実です。


私たちは常に目的的志向に準じています。
つまり私たちの無意識には、意識の上では気づかない隠れた目的が存在します。

最も強く、最も普遍的な目的とは、いうまでもなく生命活動の維持です。

そこから丁寧にきちんと論理を展開するならば、私たちすでに現状が自分が理想の自分であると考えることが可能です。

生命維持にとって現状ほど最適な環境はありません。

ハビットもアティチュードも、全ては理想の自分を整合的に保つために働きます。

そして私たちの思う現状ど真ん中に飛び込みます。

ここでさらに面白いのは、このときエフィカシーが必然的に高まるということです。
そしてそれは基本揺ぐことはありません。


現状維持に対してエフィカシーが高いとは、なかなか直感的にイメージ出来ないように私たちは感じます。
しかし、それは私たちの感覚が誤った古い自己啓発に毒されているからです。

モチベーション至上主義の手垢にまみれた自己啓発です。

もっといえば、高揚感の高さがエフィカシーだと理解した誤ったパラダイムを持つからです。


前に一歩進んだひとならば、誰でも一度は経験するであろうこんなはずではない『現状の自分』ですが、それは明らかにゴールに忠実な『理想的な自分』です。

私たちはこの認知的不協和について、なかなか事実とは思えない点が非常に面白くも残念である点です。

しかしそれがスコトーマであり、私たちが前に進めぬ要因のひとつです。

スコトーマの存在に気づいたとき、私たちは初めて先に進むことが可能です。

スコトーマとは、いつでも私たちを阻む存在ですが、そこで悲観する必要はありません。

逆向きにいうならばスコトーマがあるからこそ、私たちは新たな可能性に気づき、先に進むことが可能です。

そういう意味で、いつでもスコトーマは私たちの成長の源です。

今の自分が理想の自分であるという事実を認識することから観える風景が存在します。

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※まずは現状を観るところから!

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


ファンクショナリズムとは、日本語で機能関数主義といい、認知科学を構成するにおいて最も根幹にある考え方です。
ファンクショナリズムはざっくりいうと、私たちの脳や心の機能を入力と出力を駆使して関数として捉えようとする取り組みのことをいいます。
これでまで心理学等でメジャーであったストラクチャリズム(構造主義)との大きな違いは、細かいことを抜きにして大ざっぱに言うと、同じ入出力の関係から定義されるその間のブラックボックスが変化するかどうかにあります。

つまりストラクチャリズムは入出力の関係でカッチリとした間のブラックボックスが定義されるのに対し、ファンクショナリズムは柔軟に変化します。

私たちは脳機能や心は機能(ファンクション)として定義される以上、変えることができるのです。
自我も、ゲシュタルトも、ブリーフシステムも全てはファンクションです。


そして、この純然たる事実において特筆すべきことはもちろん、良質なインプットにあります。

良質なインプットとは、例えば古典です。
新約聖書、国家、純粋理性批判、国富論、資本論、リヴァイアサンなどがこれにあたります。

もちろん古典に限らず、岩波新書等から出される物理学や数学等の本も良質です。
最近名著フラットランドが復刻しましたが、これは数学系の文献の引用元にされることも多く必見です。
ひとつ上の次元をひとつ下の次元から観るとどう映るかに対する風刺は非常に学びが多いです。


もちろん良質なインプットは古典に限らず、人や周りの環境も重要でしょう。
私たちの五感から入る外界の情報は、意識的に捉える以上に膨大で、どんどん自分が更新されていくわけです。

意図的に人間関係やその他環境をいきなり変えることが難しいこともあるので、少なくともつまらないバラエティや〇chといったエフィカシーの下げ合いが必須の記事は見ないようにするべきでしょう。


小言のようなことが前半多くなりましたが、結局なぜ良質なアウトプットがほしいかといえば、私たちはなしたいことがあるからです。
それはゴールを達成という言葉で置き換えてももちろんいいわけですが、今の状態のままでは達成が難しく、何かしらアウトプットを変えたいわけです。


アウトプットを変える方法は、大きく2つあり、『入力を変える』か『自我を変える』かです。
そしてそのどちらにも、良質なインプットが不可欠です。

IQも抽象度も地頭の良さも、全てはこれからいくらでも変えることができます。

より良いアウトプットのためには、より良いインプットを!

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