苫米地式コーチングで本気で変わっていく人のためのブログ

Mind Architecture代表 文野義明(苫米地式コーチング認定コーチ)のオフィシャルブログ。
苫米地式認定コーチである文野義明が本気で変わりたいと考える人に向けて発信するブログです!
ブログを通じて、本気で変わりたい人のマインド設計を促していきます。

タグ:ビル・ゲイツ

ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明(ふみのよしあき)です。

 
先日のお昼も、
起業スクールの受講生と
個人セッションを行いました。
 
 
セッションの中身は終始、
ビジネスの骨子ともいえる
メインストリームとその外枠の形成です。
 
 
 
おかげで難なく
次のステージに到達しました!
 
 
 
 
実をいうと
ゴールでもビジネスでも、
素早く目標を達成するために
意識すべきことは、
 
ver0.2を創ることです。
 
 
 
完成は目指しません。
 
 
 
ver0.2を創ったあとに、
どんどんブラッシュアップをします。
 
 
 
 
この考え方の良いところは、
パラメータ(変数)を分離できることです。
 
 
だから問題が複雑になり過ぎず、
かつ適切なアプローチが取れます。
 
 
 
 
経験の浅いひとは
完成を先に目指し、
さらに重要なパラメータを間違えます。
 
 
 
 
表層の割どうでもいい問題を
重要だと勘違いして
いたずらに時間だけを消費します。
 
 
 
 
この見極めは、
正直「慣れ」です。
 
 
なので、
わかっているひとに
早々に聞くことです。
 
 
聞けば一瞬で解決します。
 
 
 
この感覚は投資にとても近いです。
 
 
「かけるコスト」と
「還って来るリターン」の
勘定をきちんとしないといけません。
 
 
 
これからビジネスが大きくなったとき、
最終的にこの感覚がものを言います。
 
 
例えば、
工場を建てるのに1億円必要で、
見込まれる利益が3億円なら
間違いなくGOです!
 
 
躊躇すれば
ただ商機を逃します。
 
 
 
話が少しそれましたが、
重要度の高いパラメータを
見抜いてフォーカスすれば、
それだけでとても早く前に進みます!
 
 
 
 
作業が止まる瞬間は脳科学的にいうと
無意識の演算が終わらなかったとき、
 
つまり、
 
「何をしていいのかわからない」
 
ときです。
 
 
 
 
 
さて、脳科学ついで
人間が合理的な判断ができない
脳の仕組みをひとつ紹介します。
 
 
それは専門的には
「論理誤差」と呼ばれるものです。
 
 
 
例えばひとは、
 
字が綺麗なひとを観ると、
そのひとは整理整頓も出来る人だと思います。
 
スーツをカッコ良く着こなしたひとを観ると、
そのひとは仕事が出来る人だと思います。
 
大学を中退したひとを観ると、
あきらめが早い人だと思います。
 
 
 
当然ですが、
上記に関して明確な因果関係は
証明されていません。
 
 
なので、反例はいくつでもあります。
 
 
中退がもしあきらめの早いひとならば、
ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズも
同じくあきらめの悪いひとということになります。
 
 
 
 
論理誤差は言い換えれば、
 
「優先順位の誤り」
 
であり、
 
「正しい問題設定の誤り」
 
を導くひとの機能です。
 
 
 
 
無駄なことをしていないか?
 
もっとスマートに解決できないか?
 
果たして自分の考えは論理的に正しいのか?
 
 
今のやり方で問題が解決しない場合、
認識している問題点を疑ってみましょう!
 
 
 
 
物理学者のアルベルト・アインシュタインの
名言にもこうあります。
 
 
私は1時間あったら、
正しい問題を探すのに最初の55分をかける。
 
 
 
あなたが本当に向き合うべき問題は
一体どこにありますか?


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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


コーチングにおけるスタートは、兎にも角にもゴールです。

私たちはついついゴールを達成するための方法に眼が行きますが、これは本質的ではありません。
なぜなら、方法とはゴールが先にあって初めて意味が生まれるものであるからです。

ただ良く切れる包丁を持っていたとしてもそれはただの宝の持ち腐れです。
そしてこのとき美味しい料理を作るというゴールがあるからこそ、良く切れる包丁が機能します。

美味しい料理を作るゴールがあるから、自分の指を切るかもしれないリスクを抱えることが可能です。

美味しい料理を作るゴールがあるから、包丁を手に取って次に何をすべきか明確になります。


私たちはゴールがあるからこそ、前を観ることが可能であり、迷子になることがありません。

そんなゴールは達成することよりも、見つけることの方が大変です。


ゴールについて考えることは非常に大切なことです。
しかし『自分のゴールとは?』と、ざっくり過ぎる質問は脳をただ単に眠たくするだけになってしまいます。

そんなときはもう少しリアリティーがつかめるよう、『10年後の自分』という文言を質問に加えてみると良いかもしれません。

10年後というだけで、かなりリアリティーに締りが生まれてくるように感じます。


さて、ここで突然ですが10年後とはどんな未来でしょうか?

インターネットの登場により、情報が生まれるスピードも伝達するスピードも指数関数的に膨れ上がる現在ですが、当然10年後にはもっとドラスティックに社会情勢も変わっているでしょう。
もちろん情報も今以上に増えています。

人間の脳は無限の力があるという、半分幻想に近い信仰もありますが、脳という媒体が物理空間に存在する以上、明らかに有限な存在です。
有限である以上、どこかで必ず限界を迎えます。

そこから導かるひとつの未来は、ソフトバンクの孫正義CEOが指摘するように、10年とまではいいませんが、機械が人間を超える世界と思います。

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@ペッパー君


最近はイミテーションゲーム然り、チャッピー然り、コンピュータやロボット、人工知能をテーマにおく映画が多く発表されているように感じます。

それは近い将来間違いなく人工知能が登場する未来が非常に現実味を持っているからだと思います。

人工知能が登場し、人間を滅ぼす可能性があるという論争が、西洋ではすでにさかんにされており、ビル・ゲイツやスティーブン・ホーキング博士は、人工知能に対して否定的な見解を示していることはあまりにも有名です。


近い将来本当に人工知能が登場するのか(Watsonなどはすでに銀行に入ろうとしてますが)どうか、そして人工知能によってもたらされるのは繁栄か衰退かどうかは、非常に面白い問いかけです。

ですが、それ以上に必要なのは私たちのあり方であり、社会的機能です。

ここにもっと追加するなれば、そんなパラメータを外乱として扱えるほどのマインドです。
それにはそのパラメータ以上に大切なものがあることを意味します。

もちろん10年後人工知能のあり方をきちんと議論して、社会にちゃんと還元できるような人工知能学者というあり方がゴールになれば、上記のパラメータは外乱どころか、きちんと押さえておくべき情報です。


ただひとつ確実にいえそうなことは、情報が氾濫すればするほど、大事なものが観えなくなることもそうですが、それ以上に情報一つ一つが相対化されることを意味します。

そうなると益々自分の『意思』というもののウェイトが大きくなってくるでしょう。

より直接的な言い方に変えるならば、世界でどう生きて行きたいのか、世界でどうありたいか、大きなグランドデザインから現状が決まるということです。

それは階段を降りてくるような風景です。


このように考えたとき、私たちのひとつ指針は間違いなくWant-toですが、Wantの意味を『ほしい』と訳すより、『欠乏』と訳す方が適切なように思います。


実際Wantの語源は古期北欧語からで、「欠けている」という言葉からきています。
つまり、欠けている→ほしいとなったということです。

『ほしい』や『したい』という気持ちは非常に重要ですが、それだけではゴールに行きつくまで足りないように感じます。

Want-toという言葉には、楽しいものをやり続ければいいとの理解がありますが、本気の楽しさと娯楽のような楽しさを誤解されると困ります。
前者の楽しさは、その根底に飢えや渇きという言葉が潜んでいると思います。

もちろん本気の楽しさが娯楽のような楽しさなら言うことはありません。


言葉が変われば、そこから観える景色も違ってきます。


社会には一体何が『欠けている』と思うのか。

これを突き詰めると、社会的機能のヒントが観えてくるように思います。

そしてそれが自分の飢えや渇きなどの欠乏感を解消するものなら言うまでもありません。

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