苫米地式コーチングで本気で変わっていく人のためのブログ

Mind Architecture代表 文野義明(苫米地式コーチング認定コーチ)のオフィシャルブログ。
苫米地式認定コーチである文野義明が本気で変わりたいと考える人に向けて発信するブログです!
ブログを通じて、本気で変わりたい人のマインド設計を促していきます。

タグ:ドリームキラー

ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


私たちがゴールに向かって走るとき、往々にして最初の課題になるのがドリームキラーの存在です。

ドリームキラーは自分との関係が身近なひと、つまり自分という人間を良く知るひとほど、なりやすいのが特徴です。


自分に明確なゴールが出来たとき、自分が心の底から成したいものが出来てきたとき、普通のひとの心理として、やはり応援してほしいと感じます。

しかし、彼らはそんな淡い期待をかき消すように、「それは君には出来ない」と、「それはやめるべきだ」と、口を揃えていってきます。

それがあなたのためだと本気で思っているから余計に自体は問題です。

自分の身近なひとだからこそ、その言葉の持つインパクトは凄まじく、ドリームキラーの夢を殺す人であるという直訳の通り、身近な大切なひとたちが、とてもおどろおどろしい存在に変化します。

そうなると、間違っているのは自分の方なのかと、マジョリティーの彼らの方が正しいのかと、やっぱり自分の心が揺れ動いてしまいます。


そんな、彼らへの対策は極めて重要です。

なぜなら、彼らの発言は往々にして、より強烈に自分へ突き刺さっていくからです。


さて、そんなとき自分が何をすればいいかといえば、やれることは大きく2つです。

一番簡単なことは自分のゴールを一切公言しないことです。

そうすれば誰もあなたの変化を感じません。

もちろん敏感なひともいるでしょうが、何を聞かれても「気のせいじゃない?」と切り返すだけです。

もし仮にそれ以上の執拗な勘繰りを受けたなら、それは自分のひとを見る眼と相手が悪かっただけだけでしょう。


次に大事なことは周りの人間を変えていくことです。

誤解を恐れずにいうのなら、自分のゴールを共有できるひととの付き合いを増やし、自分のゴールを共有できるひとを自分の周りに置くことです。

こういうと、途端に付き合いを変えたことで、自分がそのひとたちを裏切った悪者のように感じます。

しかしそれはもちろん早計で、付き合うことを変えても、二度と縁が切れて関係が戻せないということを意味しているわけではありません。


なぜなら、いうまでもなく、本当に回避しないといけないドリームキラーは稀で、どんなに近しいひとであろうとも、きちんと自分のサポーターになってくれる人がいるからです。

そういうったひととは何事もなく付き合えばいいものです。

また、ドリームキラーになるひとには、ただひたすらにゴールを共有せず、いつも通り接すればいいだけだからです。


このように、劇的にひととの関係を変えなくとも、ドリームキラーには十分運用可能です。

そしてこのとき、身近なひとが、私たちの良く知るドリームキラーとならなかったとき、ドリームキラーとはただの概念であることがわかります。


自分がここから動こうと思ったのであれば、彼らは必ず現れます。

彼らが現れるという事実を知っているのと知らないのとでは、自分の振る舞いは明確に変わります。

ドリームキラーとはただの概念です。

そこにそれ以上の意味はありません。


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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


人の行動の原理を突き詰めて考えたとき、結局最後に行き着くところは『感情』です。

何故あなたはゴールに向かって進めるのかを考えたとき、それはゴールに向かうことが楽しいからです。

何故あなたはゴールに向かうことをたじろいでしまうのかを考えたとき、それはゴールに進むことが不安でしかたないからです。


そんな感情にどう向き合い、どう活用していくべきかについての内容が先日の第6期コーチング理論実装スクールの大きなテーマでした。



ダマシオが指摘するように、感情⇒思考の順で脳の計算が進むのであれば、いつでもどこでもポジティブな感情を誘発できれば、メンタルブロックなく、どんなことでも難なくへっちゃらに出来るようになるのではないかと思います。

創造的回避も、ドリームキラーも、私たちがあれやこれやと並べたてる障害の全てが、理論上存在しなくなくなります。


検証したことはないですが、この仮説は実際麻薬中毒者たちが行動パターンからも正であると考えることができるでしょう。

ある種、彼らに犯罪意識というネガティブな感情はありません。

むしろそれらが麻薬により、快楽に塗り替えらている状態です。

これも無検証ですが、外側部の機能が麻薬でマヒしているのかも知れません。


さて、その前提で考えたとき、感情をきちんとコントールして、上手く使うことがゴール達成のカギとなるでしょう。

しかしご存知のように、感情はただの生理現象です。

いつ起こるかわからないものです。

いつ起こるかわからないものに、自分の人生をあづけるのは、あまりにもギャンブルすぎるでしょう。

カイジのように自分の人生を賭けたギャンブルが好きな人もいるでしょうが、もちろんそれらの人は議論から外して考えています。


少々乱暴なようにも感じますが、この感情だけにフォーカスして議論を進めても、何故自分だけの抽象度の低いゴールは往々にして達成できないのかがわかります。

要するに、自分だけのゴールは弱いのです。


ではその中の感情に他人が入っていれば、どうでしょうか?

明らかに自分だけの生理現象と違い、感情がブートされる確率が平均化されるでしょう。

世界の成功者がひとのためなら、パワーが出るという意見が、少し説得力を持つと思います。

知り合いの経営者で『若いころは金が欲しくビジネスをしたが続かなかった』と以前何かときに告白していまいたが、それもこういう論理で結論づけることが可能な気がします。

もちろんその経営者は、当然今バリバリに稼いでいます。


人の役に立つということを大々的に言いすぎると、世間では偽善者と叩かれそうですが、やはり大きな成功を掴んだ人は、皆社会のより多くの人について考えています。

私たちが目指したい場所は、ここです。

これを社会的情動と位置付けたとき、社会的情動こそが、ゴール達成の指針です。


社会的情動を掻き立てる、もっと大きな悩みを持ちましょう!

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大きな悩みの向こう側の風景は第7期コーチング理論実装スクールで!

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


臨場感とは、言葉で言われて『はい!わかりました!』と簡単に言えるものではありません。

なぜなら臨場感とは、イコールで体感を意味するからです。

私たちがうれしいという感情を知っているのは、うれしいという感情を体感したことがあるからです。

仮に不幸にもうれしいという感情を今まで一度も経験したことがない人がいたならば、そのひとにうれしいという感情を説明してくださいといっても、簡単に説明できるものではないでしょう。

というより何も答えが返ってこないような気がします。


さて、私たちがうれしいという感情を知っているのは、過去にうれしいという感情を体験したからだと言いいますが、そこには必ず他人が入ってきます。

なぜなら、私たちが『うれしい』という感情を体感したとき、その感情をなぜ『うれしい』という感情と理解できたのかというと大きな問いに気づくからです。

自分一人なら『うれしい』を『かなしい』とか『つらい』という言葉で定義したかもしれません。

しかしそこに他人がいると、その人が『うれしい』という感情を知っているという限りにおいて、『うれしい』という感情であると教えてもらうことが可能です。


特に他人に臨場感を名指ししてもうことの必要性を説きたいのではなく、もっと本質はシンプルです。

その本質が何かといえば、臨場感は移るということです。

例えば、ハッピーな友達が周りにいれば、私たちは明らかにハッピーになり、嘆き悲しむ友達が周りにいれば、私たちは無性に悲しくなります。

感情に限らずあくびもそうです。

横の人があくびをすれば、往々にして眠気が移り、私たちはあくびをします。


これは確かに臨場感が移ったと表現することが可能でしょう。

認知科学的にはホメオスタシスが同調したという風に考えます。

ホメオスタシスの同調は女性の生理周期が同じになるくらい強力です。


臨場感が移るという前提で考えるのなら、エフィカシーを知りたいとか高めたいといった希望は、エフィカシーの高い人の近くで空間を共有すれば驚くほど簡単に叶います。

IQを高めたいという希望があった場合も同様で、IQの高い人を探して、一緒にいることで高めることが可能です。


ゴールを達成したいという希望でさえ、全く同じゴールを設定している人に出会うことは稀ですが、同じくゴールを達成したいと思っている人たちと共に過ごすことで、一人でいるときよりも遥かにその可能性は高まります。

私たちがよくいうコレクティブ・エフィカシーという状態です。


こういう言い方をすると、これまでの友達や知人を裏切るという逆向きの発想に陥る人がたまにいます。

臨場感をもらうという発想は、大袈裟にいえば、周りの人間関係をガラッと入れ替えろという風に聞こえるかもしれません。


これは半分正解ですが、半分不正解です。

なぜなら、確かに一部はドリームキラーとなりますが、きちんとわかってくれる人もいるからです。

類は友を呼ぶということわざ通り、あなたが変われば自然と会話が合わなくなってきます。

そういう意味で、ドリームキラーとは確かに離れるべきですが、そうでない人とはわかれる必要はありません。

もちろん抽象度はいくらでも上下可能なので、必要によって場の抽象度に合わせ、友人たちと童心に帰ってもいいでしょう。

別に上からという意味ではなく、自我とは刻一刻と変わるので、これはある意味普通です。

子供の前では親の顔になり、友人の前では友人の顔になり、恋人の前では恋人の顔に自然となるものです。


昔から良く聞く自己啓発系の問いかけで『自分がすぐ思いつく人を5人思い浮かべてみよう』というワークがあります。

このときの5人はどこかにきちんと記録します。

そして例えば5年後にもう一度同じ質問をして5人をメモします。

5年前と5年後のメモした5人を見比べたとき、その人たちに変化があれば、自分が変わったということであり、そうでなければ変わっていないというものです。


このワークの言いたいことは、つまるところ『臨場感をもらう』という観点から説明することが可能です。

もちろん人が変わったから、周りが変わったのか、それとも周りが変わったから、自分が変わったのかはわかりませんが、私たちは縁起の思想を知っているので、双方向で特に問題ありません。


繰り返しになりますが、大事なことは臨場感が移るということです。


ゴールやエフィカシー、その他の苫米地式コーチング然り、大抵は自分の頭で考え、そして自分の頭で結論を出そうとします。

しかし生命時間は貴重であり、それらをもっと別のところへきちんとフォーカスして使うべきでしょう。

セネカが主張するように、余計なことをしているから人生が短いのです。


臨場感は簡単に移るし、一緒にいるだけでもらうことも容易に可能です。

自分の目指す方向に向かって、臨場感を同じくする仲間から、貴重な臨場感をもらいましょう!

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※完全に一致!

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


ゴールとは、現状の内側ではなく、外側に置くものです。

そうなるなかで、ホメオスタシス然りドリームキラー然り、数々の困難が訪れるでしょう。

ありとあらゆる事象が、自分に気持ち悪いという感情や手に冷や汗にぎる緊張を増幅します。

不快で、不安で、落ち着かなく、その状態を脱したくてムズムズするでしょう。

ひとによっては、そんなネガティブな情動に引っぱられ、抽象度をガクッと下げるかもしれません。


さて、ここでコーチングの基本に帰ったとき、その不快さこそが本来重要であることを思い出します。

例えば一番有名なものは、認知的不協和でしょう。

私の経験では、認知的不協和に陥ったとき、本気でこの場から今すぐにでも離れたくて仕方がなく、この場にいる自分が許せない、そんな感覚を覚えました。


現状の内側か外側かと、仮に2択で世界を考えたとき、心地良いか悪いかどうかで世界を色分けすることが可能です。

そして、心地良い悪魔と心地悪い天使が眼の前に現れたとき、往々にして私たちは悪魔の方を選んでしまいます。

本来求めるべきは天使であると知っていても。

ここで意思が弱いから、心が強くないから、努力が足りないからといってしまうのは簡単ですが、例えそうであったとしても、無意識レベルの選択は、基本意識には上がらず、コントロールが難しいのが現実です。

もちろんコントロールするコツは存在します。


脳は機能であり、心はただの関数です。

それはいくらでも変わるものであり、未来永劫固定されたものではありません。

寝て起きたら、次の日には別人になるくらい変動的です。


気持ち悪さこそが現状の内と外を分けるバロメータと聞くと、一足飛びに全てが認知的不協和であると考えますが、それはそれで早計です。

なぜなら認知的不協和はゴールが決めることだからです。

今の現状の気持ち悪さについてだけを取り出せば、本当に気持ち悪いことも確かに存在します。


全てが認知的不協和であると考えることは間違いであり、本当の認知的不協和もホメオスタシスにせいだからと、全ての責任を転化することもまた間違いです。 


心地の悪さを愉しみながら、ゴールに進むことが正解です!

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※壁は壊して愉しむもの!

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


大変私事ですが、ずっと脳内でセルフディベートとブレインストーミングを繰り返し、ポシャッては再構想して、ポシャッては再構想してを繰り返して、ようやくひとつのプランが完成しました!

その名も、『文子屋~はじめてのコーチング~』です!

ちなみにですが、「ふみこや」と読みます。
「もんこや」でも「ぶんこや」でもありません!ふみこやです!

我ながら、自分のネーミングセンスを疑いますw


さて、コーチングの背景にある最も重要な目的は何かというと、マインドの使い方を伝えていくことだと考えています。
ゴール達成もそうですが、ルー・タイスの言葉を借りれば『全ての重要な変化は心から生まれる』です!

つまり、マインドの変化⇒ゴール達成という図式を指しています。 


マインドの使い方と簡単に口に出して言うことはできますが、そこから広がる世界は深淵です。
なぜなら誰一人として同じ人は存在しないからです。

また、マインドの使い方と聞いたとき、私たちがよくやるアプローチというのは、これらのバックグラウンドをきちんと理解してから、コーチングを実践するというものですが、実は知れば知るほどドンドン深みにハマり、理論を追及することがいつの間にはゴールになってしまって、本来の目的を果たせないということをやりがちです。

ゴールと手段が逆転する典型例です。

私はこれを創造的回避のひとつだと考えています。 

もちろん理論を追及することは大いに大切なことですが、教科書を見て理論だけを追求するものではなく、最後はきちんと身体で使えるようにならなくてはいけません。

そして、きちんと身体で使えるようになるという言葉に対し、私たちはついつい小手先のテクニックを連想します。

例えば、アファメーション然り、Have-toをやめること然りです。

これらは確かに重要ですし、必要なことですが、それだけを盲目的していれば、万々歳というわけではありません。
それほどホメオスタシスの力は強力です。

もちろん効かないといっているわけではなく、実際盲目的にやっていても効果があるわけですが、その背景に存在する膨大な知性をきちんと知れば、指数関数的にその効果はさらに高まります。

つまり、もっとコアな部分をきちんと観ていきたいわけです。

そのコアな部分の要素は色々ありますが、一番眼を背けがちなのものは知識といっても過言ではないでしょう。


コーチングになぜ知識が必要かといえば、知識によって私たちはそこに強い臨場感を持てるようになるからです。

カーネマンや、ゲーデルや、チューリングや、クリプキや、釈迦といった偉人たちのことが理解できていると、コーチングのより鮮明な風景が観えてきます。
 
また鮮明な風景が観えた先に行って運用しようと思うと、そこには高い抽象度も必要です。

つまり、高い抽象度からきちんと俯瞰し、省みて、マインドをオペレーションしていくということです。


これがきちんと実装されていないと、それは知性のないコーチングに変わります。

知性のないコーチングとは、往々にして私たちが忌み嫌うインチキコーチングと呼ぶものですが、よそ様の悪口ばかりをいっても生産的ではないので、そこはプラグマティック(道具主義的)に、効果のあるコーチングがその人にとっていいコーチングだという判断でいいと思います。

黒い猫でも、グレーの猫でも、ブラウンの猫でも別によく、要はネズミを獲る猫がいい猫なのです。 


その上で、非常に優れたツールである苫米地式コーチングをもっと身近に、そしてもっと使い倒せるようにするためにどうすればいいかと考えたとき、それは繰り返しになりますが、知識の絶対量だと考えています。

こういった背景から降りてきたのが文子屋です!

江戸時代に、町人の子弟に読み書き、計算や平易な道徳等を教育した民間教育施設に寺子屋というものがありました!
 
文野の寺子屋という安直なネーミングであることを華麗にスルーして、文子屋はそんな現代のコーチングとその知性を支えるインフラを目指したいと思います!


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@江戸時代の寺子屋風景


苫米地式コーチングはご存知の通り、私たちの10年先を行く理論を用いたコーチング理論です。

そしてそのエッセンスはドクターの書籍に書かれている全くその通りなのですが、如何せんその間の空白の10年間について語られることはありません。

この10年間をきちんと補完していくと、言うまでもなく苫米地式コーチングがより堅硬で、よりきちんと使えるツールに昇華します!

はじめてのコーチングと名を冠しているので、目的はもちろんコーチング理論のより深い理解を目指すことですが、欲張りにも山の頂上から町を見渡すように、コーチング理論に限らず、自我でさえも容易に俯瞰する、そんな高い抽象度の獲得するところもカバーしたいと思います!

世界で活躍する人は、みな大量に本を読み、そして知識量も圧倒的です。 

この避けては通れない知識にという問題に、真正面からガシガシ切り込んできたいともいます!


私たちは知らないものを認識することができません。

そして知識は認識の幅の広げることはもちろん、私たちの抽象度も上げてくれます!

文子屋の大きなコンセプトは 学問 × コーチング です!

コーチングの抽象度から眺める機能脳科学・認知心理学・哲学・数学・物理学等の学問は、とても知的で刺激にあふれたものばかりです!

なので、内容は極めて専門的な内容も含みますが、とてもわかりやすく説明するの初心者でも大丈夫です!
ただし学びたいという熱意は求めたいと思います。

いつも言うように、小手先のテクニックやパターンに興味はありません。

なぜなら、短期的にのみ効果があるだけではダメで、中長期にわたってきちんと効果がないといけないからです。

抽象度をあげるとは、ある意味狩猟民族から農耕民族になることと同義です。


一生使えるコーチング技術を、学問の観点からガシガシやっていきますが、ただの知性ではなく、骨太な知性と抽象度を育てましょう!


これは私だけの隠れたゴールですが、100年後の人にもきちんと役に立つ内容に仕上げたいと思っています。 


文子屋の具体的な方針は、いつでもどこでも学べるように動画配信形式にしようと考えています!
 
ネットを通じていつでもどこでも学習できることはもちろん、繰り返し何度も視聴することが可能です!

もちろん質問はいつでも適宜受け付けます!
 
 
ご存知の通り、コーチングには機能脳科学や認知心理学等の膨大な知性とシステムが内包されています。

またコーチングに限らず、賢く惑わず生きる上でも、ビジネスでも、ゲシュタルトメーカーになるのでも、その本質は膨大な知識量と圧倒的に高い抽象度です。
 
そして繰り返しになりますが、文子屋は膨大な知識量と圧倒的に高い抽象度の獲得を目指します!

苫米地式コーチングを支える10年間を補完しながら膨大な知識量と圧倒的に高い抽象度の向上を目指します!


内容はとても知的で刺激的で、楽しいものばかりです!

 

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