苫米地式コーチングで本気で変わっていく人のためのブログ

Mind Architecture代表 文野義明(苫米地式コーチング認定コーチ)のオフィシャルブログ。
苫米地式認定コーチである文野義明が本気で変わりたいと考える人に向けて発信するブログです!
ブログを通じて、本気で変わりたい人のマインド設計を促していきます。

タグ:スコトーマ

ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


ひととしてこの世に生を受けた以上、誰しもひとつやふたつ、トラウマやひとに相談出来ない秘密を持っているものです。

もちろんそんなものなど存在しなかったというケースも考えられますが、それは今まで健やかに人生を謳歌してきたの証拠なので、それはそれでいいことなのではと思います!

ただ、辛ければ辛い体験ほど、ひとは簡単に忘れることも事実です。

なぜなら、人は強いストレスにさらされるとコルチゾールという副腎皮質ホルモンが分泌されるからです。

これは本来はタンパク質の分解に必要な物質ですが、大量に出ると海馬を傷つけ、一種の記憶障害を起こすことがわかっています。

つまり、辛い記憶ほど存外覚えておらず、そして何かの拍子にいきなりフラッシュバックします。

辛い記憶を抱えたひとほど、それは基本的に表に出ることはありません。

本人としてはそんなことはなかったと思っているわけです。


さて、とういうことを考えたとき、嫌な記憶やトラウマを永遠に蓋を閉じたままの方が良いような気がします。

もちろんそれはある一面では事実であり、せっかく忘れているなら尚更です。

わざわざ藪をつついて蛇を出す必要はありません。


しかし、ではそのまま蓋をし続ければいいのかという問いを考えたならば、私個人の考えはネガティブです。

というより、本当に先に行きたいのなら、むしろどんどんパンドラの箱をあけるべきだと思っています!


理由は大きく2つあります。

ひとつめは、嫌な記憶は思い出せないだけできちんと無意識に記憶され、トラウマがブリーフシステムに組み込まれているからです。

これはアントニオ・ダマシオのグッドガイバッドガイ実験からも明らかです。

意識の上にあがらないだけで、きちんと無意識下で嫌な記憶に基づいて躊躇し、ちゃんと行動を妨げます。


ふたつめは、ゴールへ躍進する圧倒的なパワーが身に着くからです。

最もわかりやすい例は、うつを克服したひとは精神的にタフになることです。

一度地獄を観ると、簡単には参りません。

なぜなら、嫌なことがあっても少々のことなら自分で処理できるようになるからです。


私のコーチングの例でいえば、意図せずともそういう記憶が勝手にワラワラ出てきます。

なぜなら、自分が問題だと感じていることの正体は、往々にしてそこが問題ではないからです。

もっといえば、そういった嫌な記憶やネガティブなトラウマからきちんと演繹的に起こっています。


なのでパーソナルコーチング中に個人差はありますが、涙を流したり、辛い気持ちになることはよくあります。

そして、そういったものが出てきたら、私は心の中でにっこり笑いながら浄化し、内部表現を書き換えます!

書き換えの風景を少し共有すると、そういった記憶を消すわけではありません。

もっと先へ進むための、別の機能を付与します。

ネガティブな記憶やトラウマに、本来良いも悪いもないのです。

むしろそれらを乗り越えたことで、圧倒的なゴールへの躍進力が生まれます。


私個人、ひとはポジティブな記憶よりも、ネガティブな記憶の方に特別なパワーが宿っていると思っています。

私はこれを地獄めぐりと呼んで推奨しますが、ただ別にしたい人だけがすればいいと思っています。

なぜなら、地獄めぐりをせずとも心の底からWant-toとゴールに目覚め、そこにどんどん向かっている方もいるからです。

自分はパンドラの箱をあけた気がないだけで、ぶっ飛んだゴールを設定して進む中で勝手にあけている方もいらっしゃいます。


結局全ては自分のWant-toに沿ったゴール次第ということです。

釈迦は確かに苦行はいらないと言いましたが、別に修行がいらないとは言っていないと思っています。

なので私は、愉しみながら地獄めぐりを薦めます!


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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


私たちには、すべからくなりたい姿が存在し、挑戦したいゴールが存在します。

そこに向かって進もうと考えたとき、より明確にゴール像を想像すると、途端にそこから負のイメージがどこからともなくやっています。

ひとによっては不安や恐怖ということはもちろんですが、あるひとにとっては『それを達成して結局どうするの?』という根本を挫くような問いが頭の中に浮かびます。

もちろん抽象度があがれば、確かにそれらは解決です。

ただ抽象度をあげる行為というのは、とてもエネルギーの必要な行為です。

つまり、抽象度をあげてということが、「はい!わかりました!あげます!!」という類のものではなく、日々抽象思考をするなかである日突然やってくるものです。

あるいはすでに抽象度の高い人物に、現状を打開する抽象度を共有してもらうことです。


ただ、当然自分のなかでそれらの負のイメージに対する対処法は知っていて損はないと思います。

そして良くある間違えが、ネガティブな感情は表に出さないという、あるいはモチベーションだけを掻き立てて自分をだましだましやっていくという、全く役に立たない手垢まみれの過去の自己啓発的アプローチをとることです。


さて、負のイメージに囚われ、にっちもさっちもいかない場合、どういうことをするべきかというと、とても回答はシンプルです。

それは横着になれということです。

これは負のイメージは自分で創っているという事実に起因します。


何がいいたいかといえば、感情はエネルギーだということです。

実際魚もストレスを感じると発熱することがわかっています!

そしてそのエネルギーは電気のように貯蓄することはできません。

一度発生したら、必ず使い切る必要があるものです。

そしていうまでもなく、そのエネルギーの使い道として、脳は負のイメージを産み出します。


もちろん貯蓄はできないという前提で、仮に貯蓄する=我慢ということを行うと、今度は別のところでそのエネルギーが使われます。

不感無覚という眼に観えるよう状態であれば、周りが察知することができますが、それがメンタルブロックとしてブリーフシステムに取り込まれたとき、自分も他人もなかなかそれに気付くことができず、後々色々のところで悪さをします。


学校教育など、論理的、理性的であることが大切ということを習いますが、理性だけで何も判断はできません。

あるいは論理だけを突き詰めると上手くいかない例は多々あります。

例えば、国家の戦争は極めて論理的な世界です。

外交の教科書では、戦争は国家の外交権のひとつという風に書かれています。

個人通しの殴り合いは犯罪でも、国家の殴り合いは問題ないというとても奇妙な論理です。

しかし論理だけの世界だと、こんなことが普通に成り立ちます。

そしてこれにおかしいと思うのは、どちらかといえば感情の世界です。



私たちは感情というもの理解があまり正確ではありません。

正確でないから扱い方に困ります。


負のイメージに囚われたとき、最も効果的な方法は横着になるということです。

感情は生理現象である以上、止めることはできません。


常に感情は使い道を求めています。

私たちは常に現状の外側へと進むことを目指しているので、そこに思う存分使っていきましょう!


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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


努力は非常に日本で大事にされている概念です。

目的に向かってコツコツと取り組み、課題をクリアし、そしてゴール達成していく、とても重要な取り組みです。

そして何より、努力をしているひたむきな姿は、それだけで他人の胸をうつものです。

私たちが、なぜ他人の頑張っている姿を観るのが好きなのかを考えたとき、それは頑張っている姿に元気と勇気をもらえるからです。

そして、そういう人たちから元気と勇気をもらえたかわり、私たちは心から応援してお返したくなるものです。


しかし、努力はとても素敵で尊い概念であることは事実ですが、同時に日本の努力に対する考え方は、とても野蛮だと感じることが多々あります。

なぜなら、努力している姿を是とするあまり、その姿を他人に強制的に押し付けることが横行するからです。

もっといえば、自分が努力をしていないと感じるものやひとへの執拗な攻撃が始まります。

そしてそういった空気感は、そうでないひとにも伝わります。

つまり自分が努力を怠ってしまったという強い劣等感を産み出します。


努力の本来の姿とは、目標を達成するための行為です。

そしてそれは目標を達成できることに意味が存在し、また能動的な行為です。

しかし、いつのまにかゴールを達成することに意味を見出さず、努力をしている姿そのものに意味があるかのような、すり替えが起こっています。


もちろん努力の概念自体を否定するつもりは皆無ですが、努力という行為自体に価値を見出すのは、とても不思議な現象だと言わざるを得ないでしょう。

なぜなら、そこにはゴールを達成するという本来の機能はないからです。

また、彼らが語る努力思想の裏側には、努力している自分は素晴らしいという、どこかナルシストにも似た、努力中毒ともいえる現象が見え隠れします。


努力を行うという前提には必ずゴールが存在し、それを達成するための努力は個人が能動的に取る選択です。


それを無視して、努力している人とそうでない人に分類し、努力をしないひとへの排斥や圧力は、まるで一神教のような論理です。

努力している姿は素晴らしい、だから努力をしていない人を卑下していいというのは、とても野蛮で自分勝手な妄想です。

もちろんその論理に自分を当てはめて、自分に価値がないと自分で卑下することも論外です。


自分の意思で、自分で望んで、努力を行っていくことが重要です。

努力とは、ゴール達成のためのただの戦略であり、それ以上の意味はありません。

努力はゴールを達成したいひとが淡々とするべきで、自分は自分の努力にきちんと肯定し、他人は他人の努力を自分の価値基準で測るべきではありません。

ゴールを達成することに私たちの興味は存在します。

そこだけにフォーカスして、見つめていけばいいのです。

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


先日コーチングをさせていただいた、私のクライアントの方から非常に示唆に富むフィードバックをいただきましたので、匿名での掲載を許可していただいたうえで、シェアします!


(引用開始)

文野さん

おはようございます。〇〇です。先日はコーチングありがとうございました。

非言語でもいろいろと学びましたが、言語や概念として学んだのは以下のようなことでした。

・我慢とは筋肉。負荷は必要。だけど休みも必要。そこは鍛えながらバランスとる。
・自制心は鍛えればうまくなる。そこには適切な負荷と休み、そしてそのサイクルが必要。
・やりきったと言えるまで思考しエネルギーを使えば、後悔はないはず
・まずは小さい煩悩をかなえろ!
・仕事の対価としてのお金〜お金持ちのプロ野球選手でも必死に年俸交渉する理由〜


特に自制心は鍛えられるということがスコトーマになっていたので、非常に刺激になりました。

なぜなら、以前までは我慢ばかりしていたせいかここ1年ほどは、嫌なことがあるとやらない=やらないという具合で何にもいいことがなかったからです。

例えば研究しかり、勉強しかり、普段の生活でもそうでした。

自分の心に素直になるという言い訳のもと、ただ怠惰になっていただけでした。

文野さんがおっしゃる、日本人の努力の野蛮さの弊害が出てしまったのだと考えています。

ですが、先日のコーチングで、我慢することは必要だが休憩も必要だというのを知り、あぁ間違った休み方をして来たと感じました。

大学まで全力で走ってきたせいか、今度は全力で休んでいました。まさにゼロイチの世界で生きており、なんの柔軟性もありませんでした。

それは心も身体も壊れるわと思いました笑

これからは、様々な分野でその時にあった適切な負荷をかけつつ、休みも取りながらゴールに向かいたいと思います。

今なら全力で走りながら、適度に休憩しつつ進める気がします。

今まで全力で休んできた分、小さい負荷からになりますが、休みつつ全力で飛んで行きたいと思います!

(引用終了)



我慢という概念は、非常に大切なトピックであると思います。

しかし、その字面の良さに、安易に全てを我慢し続ければいいと判断し、無意識のうちに思考停止に陥ることが往々にして起こります。


日本では我慢ということが非常に重きを持たれ、また世界で最も我慢強い国であることは事実ですが、それ以前に、ひとの我慢には総量があるという研究結果が存在します。

つまり、我慢し続けることは不可能だということです。


では、我慢し続けるのが不可能であるとしたら、私たちの無意識はどうするでしょうか?

簡単にいえば、意識が気づかないように我慢をリリースします。


例えば、「今日は〇〇を我慢したら、〇〇くらいしても平気だろう」というマインドです。

自分がこんなに耐えたという理由をもとに、自分を正当化して、ハメを外したがります。

他にも、フィードバックにある通り、急に何もする気が起きなくなります。

無気力というのは一番の大敵です。


生真面目なひとはここで、そんな自分が許せないというマインドが働きますが、それはハッキリいえば間違いです。

我慢には限度があるということをきちんと押さえておきましょう!


さて、我慢し続けるのはダメだから、今日から我慢しないでおこうというのも、もちろん論外です。

我慢=自制という論理で抜き出すならば、自制はゴール達成において極めて重要です。


自制における研究では、自制能力が高いひとほど、収入も高く、IQも高く、肥満指数も低いことがわかっています。


これらを踏まえたとき、きちんと我慢というものを再定義する必要があるでしょう

ロイ・バウマイスターの比喩を借りれば、自制とは筋肉です。


つまり、自制は筋肉のように鍛えることができるが、かといって使い続ければ当然疲労するということです。


なので、適度にリリースしながら自制するというこということが重要です。


リリースしながら自制とは、冷静に考えるとなかなか運用が難しいと感じます。

しかし、それが自分を止観するということです。

自分のひとつ上の抽象度から見下ろすということです。

それが出来るようになると、自分で自制のタイミングと、外すタイミングが自然とわかるようになってきます。


横を見るだけでは見えないものがあります!

マイペースにガツガツいきましょう!

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『洗脳護身術』

本書は認知科学的に洗脳のメカニズムを解き明かし、詳細なマインドエンジニアリングについて記述した洗脳の入門書である。

本書は、相手を洗脳する方法論が詳しく書かれているが、タイトルにもあるように、それはあくまで護身を目的としたものである。
なぜなら、基礎理論を知らねば、相手からの攻撃に対して防御ができないからだ。

基礎理論を公開することには、当然リスクが存在する。
なぜなら、基礎理論を知ることで悪用可能になることもそうだが、その洗脳技術を踏襲した強力な新技術が生まれる可能性もあるからだ。
 
コンピュータウィルスとウィルスバスターのいたちごっこと同様である。

ただ、包丁が使い手により、料理にも強盗にも使えるように、マインドエンジニアリングもただのスキルでありただの技術である以上、使い手によって祝福にも呪誼(じゅそ)にもなる。

洗脳技術を学ぶにあたって、我々はそれを扱うに足る強い理性と高い知性を同時に獲得せねばならない。


さて、詳しい内部表現の書き換え方法は本書に譲るが、マインドエンジニアリングとは内部表現の書き換えのことである。

内部表現の書き換えとは、まさに自他共に洗脳することである。

内部表現の書き換えにおけるエッセンスは、変性意識、内部表現、ホメオスタシスの3つである。
順に定義していきたい。

変性意識(Altered States of Consciousness)とは、現実世界よりも仮想世界への臨場感が高い状態を指す。

変性意識状態を、別の言葉で言い換えるなら、それはトランス状態である。

トランス状態とは、例えば幻覚を見ている状態あり、就寝時に夢を見ている状態である。
他にも、酩酊状態がトランス状態である。

このトランス状態における深度が、いわば仮想世界における臨場感と比例関係にあり、トランスが深くなればなるほど、高度な働きかけが可能になる。

変性意識状態を厳密に定義するならば、ものを認識するという行為がすでに変性意識状態であるため、本来すべて変性意識状態である。

なぜなら、我々の目に見えたものは、基本全て無意識が介入し、現実世界をありのまま見ずに、何らかの解釈が走っているからである。

そのため、逆向きに通常意識を定義すると、何ら解釈を挟まず、現実世界をありのままに観るということである。
そして、それが可能なのは『空』を体感した状態のみである。


内部表現(Internal Representation)とは、我々が観ている世界そのものを指す。

我々の認知は五感を通じて外部から入力された約1100万ビットの情報と、過去の記憶との照合によって得られた出力結果を意識する。

このとき内部表現とは、入力情報と記憶情報を照合する計算メモリのことである。
意識とは、この計算メモリに映った情報である。

例えば、今PCないしはスマートフォンのモニターに映るブログの文字情報は、実体であり見えているため内部表現である。
また、PCを観てIBM、スマートフォンを観て故スティーブ・ジョブズを連想しても、内部表現である。
つまり、頭の内外問わず、自分の意識、無意識を含む、情報全てが内部表現である。


ホメオスタシス(Homeostasis)とは、心身をある一定の状態に保とうする働き(恒常性)のことである。

例えば、我々は暑いときに汗をかくのはホメオスタシスによる影響である。
なぜなら体温は36度を保つように設定されているからである。

他にも、女性の生理周期もホメオスタシスに起因する。

ここだけ説明すると、ホメオスタシスとは、ある不動の一点において常に恒常性が働くように感じるが、もちろんそうではない。

この基準点は状況によっていくらでも変えることができる。

そのため、英オープンユニバーシティ大学のスティーブン・ローズ教授は、基準点も動的に動くことから、ホメオスタシスはホメオダイナミックスと呼ぶべきであると主張している。


以上を踏まえると、内部表現の書き換えとは、被験者を変性意識状態にし、現実世界よりも仮想世界の臨場感を高めることで本人の思考と行動(内部表現)を仮想世界に移し替え、ホメオスタシスで固定化する行為であるといえる。

これらは全て人間ならば誰しも持つ機能である以上、洗脳を受けないひとはない。
よって、最低限の知識と護身術は必要不可欠である。


実際に内部表現を書き換えるにあたって、重要になるのは共感覚である。

共感覚(Synesthesia)とは、五感のある感覚器官から得た情報を、別の感覚器官へマッピングできる能力のことである。

例えば、ピアノの音を聞くと赤色が見え、レモンの酸味をザラサラしていると皮膚感覚で感じることである。
そして、この共感覚は生得的に10万人、ないしは100万人にひとりの割合でいると言われている。

上記の例だけ観ると、共感覚とは特別な人の特殊な能力のように感じるが、実際は誰しもが持っている能力である。

これを裏付けるブーバ/キキ効果を紹介する。

ブーバ/キキ効果とは、心理学者ヴォルフガング・ケーラーが報告した心理効果である。

被験者にそれぞれ丸い曲線とギザギザの直線とからなる2つの図形見せ、どちらがブーバでどちらがキキと名付けるかを答えてもらったところ、約98%の人が「曲線図形がブーバで、ギザギザ図形がキキだ」と答えた。

しかもさらにがおもしろいのは、被験者の母語にほぼ関係がなく、また大人と幼児でもほぼ変わらない点である。

この理由は『ブーバ』の音の中に丸さを、『キキ』の音の中に鋭さを、無意識的に感じているためであると考えられている。
このマッピングの感覚こそが共感覚であり、これは我々がすでに生得的に共感覚を持ち得ている証拠である。

従って、我々は生得的に持っていた共感覚を、成長とともに不要な能力として捨てていったと解釈する方が妥当である。
 
なお、苫米地理論では、この失われた共感覚も、今後訓練次第で後天的に獲得が可能であるという立場を取っている。


以上が共感覚の全貌だが、上記のようなマッピングは、内部表現の書き換えにおいてあまり必要ではない。

重要なのは、五感から得た情報を共感覚的にマッピングしていきながら、臨場感を持って相手の仮想空間を創り上げていくことである。

例えば、私は過去、うつ病のひとの内部表現に介入したことがあるが、そこから共感覚的に取れた風景は、粘性の強いマグマのような高温の流体が、渦を巻きながら奥へ奥へと深く潜り込んでいくものであった。

うつ病とは、社会的にまだまだ怠けているとか努力が足らないといった理解がなされているが、それは大きな間違いである。
 
内部表現に介入することで初めて、彼らの本当の苦悩と絶望が理解できることを補足する。


話を戻すが、臨場感を持って相手の仮想空間を創り上げることができて、内部表現の書き換えが可能となる。
つまり、共感覚とは臨場感生成のテクニックに他ならない。 
また、同時にこのとき仮想世界の支配者となる必要があり、それには変性意識の深度も重要である。


これは見方を変えれば、相手の内部表現に介入しているということは、単独で敵の牙城へ攻め込むことを意味する。

つまり、内部表現を書き換えるということは、逆に書き換えされるというリスクを常に抱えているということである。

そのため、内部表現を書き換えるとき、それは殺し合いといった方が表現として適切である。
現状の自我を殺し、ゴール側に自我に置き換えることで、書き換えを完了する。

安易な好奇心による書き換えは、自分も他人も身を滅ぼす大変危険な行為であることを強く戒めたい。


最後に、本人が望む望まないにかかわらず、洗脳はひとの認知プロセスに基づくものである以上、決して逃れることはできない。

つまり、ひとの機能として洗脳される可能性を秘めているということである。
そうである以上、上手く付き合い、そして上手く使っていくことが必要である。

それは他人に自分の心をゆだねるということではなく、自分にゆだねて、自分のゴールに向かって洗脳していくということである。


この考え方は、コーチングにおけるスコトーマの原理と似ている。

スコトーマとは、心理的盲点のことで、実際視覚的に見えているにも関わらず、眼の前情報が見えないということが起こる。

これはRASの情報をフィルタリングする機能によるものである。
 
確かに獲得した情報全てにアクセスできないのは非常に不便に感じるが、そのおかげで脳が消費するエネルギーを節約でき、我々は餓死せずに済む。

つまり、スコトーマは機能としてどんなに頑張ってもなくならない以上、自分のゴールに基づく自分の観たい情報だけを観れば良いという結論につながる。


内部表現の書き換えは、強い倫理観を備えることで、我々のゴールを呼び込む大きな福音となる。


ぜひ本書を手に取り、自分の未来をその手で書き換えてほしい。

 




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