苫米地式コーチングで本気で変わっていく人のためのブログ

Mind Architecture代表 文野義明(苫米地式コーチング認定コーチ)のオフィシャルブログ。
苫米地式認定コーチである文野義明が本気で変わりたいと考える人に向けて発信するブログです!
ブログを通じて、本気で変わりたい人のマインド設計を促していきます。

タグ:ゲオルグ・カントール

ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


エフィカシーの高さがゴール達成に直結します。

エフィカシーの高さこそが、ゴール達成に必要なパラメーターであり、暗闇の荒野を突き進む道しるべです。

なのでコーチング理論において、基本エフィカシーはあげなさいと主張します。
決して下げないところがミソです。
 
そんなエフィカシーについて誤解されている部分が多いなと思います。


さて、エフィカシーの言葉の定義は、『自分のゴール達成の自己評価』であり、この定義に従って考えるならば一切他人は出てきません。
他人が自分を評価するわけではなく、あくまで自分が自分に評価するものです。

そしていうまでもなく、他人が自分のエフィカシーに介入してこないなら、自分も当然相手に変な介入をするべきではないでしょう。

よくいう私の指摘は、エフィカシーとモチベーションは違うというものですが、モチベーションは人間の生理機能として存在するので、結果としてモチベーションが勝手にあがることは往々にあり得ます。

エフィカシーが本当に高いとき、内側から煌々と湧き上がって来る何かが実際あるものです。
それすらも否定することはありませんし、むしろもっとやれ、もっと出していいと考えています。


しかしとても残念なことに、その気分の高揚や湧き上がった何かで、ビックリするほど性格がガラッと変わってしまう人が表れます。
内側からあふれるエネルギーをゴールへぶつけることなく、何故か他人へぶつける人が表れます。

自分が全世界の創造主たる神にでもなったような錯覚のもと、ナルシストのように自分の無限の可能性にただひたすらに耽ります。

そしてその自分だけの裸の王国に一度でも土足で踏み入るようなことでもあれば、ドリームキラーだのエフィカシーが下がるだの、部外者の徹底的な排除を始めます。

お酒を飲んで気分が大きくなり、抽象度を下げ、セクハラ発言やケンカを始めるIQの下がった酔っ払いよりもタチが悪いように感じます。
 
せっかくの理論を手垢でベトベトにしているからです。


尊大で、傲慢で、周りに害悪しか与えないエフィカシーであるならば、それは早々に燃やして灰にするべきです。

本当にエフィカシーの高い人は、自分の中できちんとゴールが達成できることを確信しています。
なので、意外にも『淡々と』とか、『粛々と』といった言葉の似合う、とても機械的なイメージです。

コーチング理論はその根底に人の無限の可能性を確信した上で、これは私たちが日頃感じる、とても優しくて暖かみのあるイメージと正反対のベクトルです。

もちろん淡々とであったり粛々とといった形容が適切であったとしても、個人の好き好きで感情をそこに乗せる分にはもちろん構いません。
成功したときも、失敗したときも「よし!成功した-!!」とか「うわー!失敗したー!!」と、叫んだ方が無味乾燥したオペレーションより明らかに艶やかで愉しくあるからです。


理論を知っているが故に、頭でっかちになって動けなくなるとの指摘をしている人がいましたが、それは理論がちっともわかっていないといった方が適切なような気がします。

より直接的な言い方にするならば、わかった気になっていただけということです。

理論がわかればわかるほど、そういったものとは無縁となるでしょう。
なぜなら、理論が細部まできちんと理解できていたのなら、無理なく無駄なく運用に移せるからです。


エフィカシーが高いことはもちろん重要です。

エフィカシーは上げて然るべきです。

ですが、エフィカシーが高ければ何でもできると感じるのはただの錯覚です。


0と1の間には無限のグレーゾーンが存在します。

カントールは0と1の間の無限の濃度と、数直線上に存在する無限に自然数を比較したとき、0と1の間の濃度の方がより無限であることを証明しています。


エフィカシーよりもまず先に抽象度をあげましょう。

そして誤解を恐れずにいうならば、まずは頭のお花畑を焼き払うこと薦めます。

わかった気になったエフィカシーは害悪です。

というより、そもそもこれは人間としてのただのマナーの問題に帰着するようにも思います。


そんななんちゃってハイエフィカシーはきっと私を含む誰しもが一度は経験することです。

そんなパラダイムは早々に卒業して、次のパラダイムに移りましょう!

ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


本当に変革した瞬間とは自分ではわかりません。
そして戻ったことにも自分で気付かず、私たちはコンフォートゾーンというひとつの箱庭のなかを堂々巡りします。脳はおしなべて自分を騙すことがとても得意な器官であり、創造的に私たちを現状に縛り付けようとします。

そんな中、あるとき抽象度が急激に上がる瞬間が誰にでも例外なくあるものです。そのときの感覚を述べるならば、強烈な違和感という言葉がピッタリでしょう。ガンダムに例えるならば、それはニュータイプへの覚醒です。
この時ぐらいは流石に自分でもその変化に気付けます。

その強烈な違和感に負けて、現状の中に戻ってしまうのはナンセンスですが、仮にその状態を維持した場合、次に起こるのは周りから否定です。

あいつは何をいってるんだ?

何か急におかしくなってない?


そんな声が聞こえてくるようです。

そして、仮にその抽象度を上げた状態を上手く隠して周りと一緒に過ごしていても、あなた自身がそこにストレスと違和感を感じます。純粋に話も合わなくなります。
観ている情報も違うし、住んでいる世界も違うのです。

こういう言い方をすると上からだというように感じる人もいるかもしれませんが、それは歴史を知らない人です。著名な物理学者アイザック・ニュートンもそのひとりでした。

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アイザック・ニュートン(1643年1月4日 - 1727年3月31日)


ニュートンの大きな功績のひとつは、これまで独立して考えられていた天界と地上界をリンゴという二次元閉多様体で結んだことにあります。

天上の物体のケプラーの理論と、地上の物体のガリレオの理論を、運動方程式で見事に統合したにも関わらず、彼は自分の研究結果を公表することにあまり積極的ではありませんでした。ハーレーという人の助言がなければ大著プリンキピアが日の目を見ることはなかったでしょう。彼自身は後世のひとがそれを発見し、理解することを望んでいたのです。

これは天才ならではでの直感(正確には無意識の高度な演算結果ですがw)が、この内容はおそらくほとんどの人が理解できないことを知っていたのでしょう。だから公開をためらったのです。


ニュートンに限らず、自身のアウトプットの公開を踏みとどまったひとや、恐れず公開して世間から恐ろしいほどのバッシングや精神攻撃を受けた人はたくさんいます。
ゲオルグ・カントールは悲惨も悲惨や、無限の概念の比較が可能であることを、実無限の立場からカントールの対角線論法を用いて鮮やかに証明しますが、誰からも理解されず当時はひどい仕打ちを受け、そのまま精神を病み他界します。
しかしその成果があったからこそ、かの天才クルト・ゲーデルが素因数分解の一意性とカントールの対角線論法を通じて、アプリオリを否定できたのです。
もちろん現在カントールの名誉は回復しています。


抽象度というものが仮にひとつの関数で示せたとしても、そこに時間というパラメーターが含まれているのかどうかは定かではありませんが、今は理解されてなくても後々理解されるというということは起こり得ます。

他人から理解されない程度のことを不安に感じるならば、その程度のゴールはいっそ燃やしてしまった方が現実的でしょう。同じ抽象度のひとと集まって、上司の悪口を飲み屋で言ってるぐらいがちょうどよいのです。

強烈なWant-toのゴールはむしろ他人の評価程どうでもいい物差しはないと教えてくれます。あなたの無意識が、自分のゴールと現状とのつながりが最適ではないと結論付けているのです。
私はいつもブログの中で、そういったヒントをきちんと提示しています。
そして次は、自分の選択です。
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