苫米地式コーチングで本気で変わっていく人のためのブログ

Mind Architecture代表 文野義明(苫米地式コーチング認定コーチ)のオフィシャルブログ。
苫米地式認定コーチである文野義明が本気で変わりたいと考える人に向けて発信するブログです!
ブログを通じて、本気で変わりたい人のマインド設計を促していきます。

タグ:カール・マルクス

ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


かつて私たちが原始人だった頃、それは飢えとの戦いでした。

そういう意味で、私たちが雑食なのは、肉でも野菜でも、何でもいいからカロリーを摂取して、少しでも餓死するリスクを抑えるための成果のように思います。
もちろん狩猟だけでなく、農耕を編み出したのも、飢餓に抗った結果です。

現在はカロリーベースでいうならば、飢餓の克服に成功しています。

しかし、未だに世界で餓死する人が存在するのは、世界というシステムのどこかに何かしらのエラーが存在するからと考えられるでしょう。

そして後に貨幣による価値の交換というシステムを創造し、現代は貨幣が飢えというDNAレベルの恐怖と合致します。

現在を生きる私たちは、お金という煩悩が強いことにも納得です。


さて、遺伝子レベルでお金が飢餓と紐づいていると言及すると、途端にお金を稼ぐことにマイナスのイメージを持ってしまいます。

それはお金を稼ぐことは卑しいことだと感じてしまうということです。

しかし、いつも言うように日本は資本主義を掲げている以上、お金を稼ぐことは当然です。
もちろん犯罪はダメですが、他人に役に立つプロダクトなりサービスなりを提供し、堂々とお金を稼ぐことはむしろいいことです。

人の役に立っているのだから当然です!


この構図で考えたとき、お金が減ったり増えたり、ただ単に移動するだけのように感じます。
買えばお金は減るし、売れればお金は増えるということです。

しかしお金を払う、物を買うという行為を、抽象度あげて観たときは、全体の富は増えることしかないことに気づきます。


とても簡単になるように、AとBの2人だけの世界を想定します。

この世界に流通するお金はたったの1万円です。
そしてこの1万円はAさんが持っています。

このときBさんはとても良く切れる包丁を作ることに成功します。

そしてあまりの切れ味に感動し、Aさんはその包丁を1万円で購入します。

このとき所持金はAさんが0円で、Bさんが1万円となりますが、包丁という1万円相当の財も存在ます。

合計2万円の価値があることになります。


また、今度はAさんが非常に丈夫で熱伝導にも優れたフライパンを開発します。

そのあまりのフライパンの火の通りの良さに感動し、BさんはAさんに1万円でフライパンを購入します。

このときの所持金はAさんが1万円で、Bさんが0円です。

しかし1万円相当の包丁と、フライパンと、合計2万相当の財が存在することになります。

合計3万円の価値があることになります。


これを繰り返せば、どんどん世界で富が増えることは容易に想像可能です。

そしてこれを70億人でやるのが、世界経済です。


もちろん言うまでもなく、貨幣が勝手に増殖したわけではなく、そこには私たちの考えた付加価値が存在するから、富は増えていくことが可能です。

付加価値というといまいちピンときませんが、それは古い言い方で労働のことを表します。


富の源泉とは私たちの労働であると看破したのは、19世紀に資本論を残したカール・マルクスですが、カロリーベースでも飢餓を克服し、寿命という意味でも膨大な時間を手に入れた私たちは、自分たちが考える以上に好きなものに熱中することが可能です。

ある対象に時間を使えば使うほど、当然人よりもその対象はひとつ高い抽象度に行きつくことができるでしょう。

そして、そのインパクトをきちんと誰かに評価されれば、そこに財の交換が発生します。

つまり、自分を含む社会の富が増えることを意味します。



@異常なスピードと精度でゴールを決めまくるおじさん(左側)のフリースロー


誰が、何に、どれだけの価値を見出すかは、言うまでもなくわかりません。

しかし、ただのバスケットボールのフリースローさえ、これだけ出来るようになると、新しい可能性が観えてきます。

テレビで報道されたり、芸として他人から呼ばれたりなどするかもしれません。
そこは最後にゴールがものをいうでしょう。


同じ時間をかけるなら、好きなものに使った方が合理的だと思います。

才能というより、好きやWant-toで、抜きん出る何かで豊かになりましょう。

私たちは好きなことを突き詰めるだけで、豊かになることが可能です。

-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
 

ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


今の現状は今の自分のゴールが創り出すように、ゴールが自我を創ります。

なのでゴールを変えれば現状も変わっていき、ゴールを設定すれば当然自我も変わっていくものです。

そういう意味で、新たに現状の外側のゴール設定することは、現状の内側のゴールがなくなるという意味で、現状の自我を否定することのように感じます。

その観点から考えたなら、現状の外側に強い臨場感を持つ意味でも、現状の内側を徹底的に否定することが、大いなる跳躍のファーストステップとなるでしょう。

このとき登場するのは言わずとも知れたホメオスタシスの存在です。


a01fig01
@ホメオスタシスは振り子のイメージ


ホメオスタシスは、外側へ飛び出そうとするときに、強烈な外力で抑え込もうと働きます。

そしてよくある理解はゴールに向かおうとするとき、それを留めにかかる、ある種ポジティブな意味で使われます。

確かにこの理解は正ですが、ホメオスタシスの本質は維持するということでした。

なので逆向きにいうならば、生命のリスクや安定の崩壊など、ネガティブな意味でも現状の外側に飛び立とうとしても働きます。
つまり現状に向かって激しく押し上げるということです。

親に勉強しなさいといわれると、途端に反発したくなるのはまさにこのためです。


NO


勉強のような身近すぎる例に限らず、私たちは自分の嫌いなものやなりたくないものはそれぞれにあって当然です。

自分だけに限らず、人間関係とは複雑なパラメーターをたくさん持ち合わせているので、自分がそうでなくても否がおうにも抑圧されることもあり得ます。

何もしなくてもそうなのだから、ゴールに向かおうとしたときに直面する、ホメオスタシスによる引き戻し然りドリームキラー然り、数々の試練が如何に困難かを物語ります。


しかし、人は逆境に追い込まれたときに、その境遇を認めたくないという心理が無意識に働くものです。
現状に最も強い臨場感を持ちますから、ある意味現状のゲシュタルトが勝って当然です。

悲嘆し、追い込まれ、現状への強い苛立ちと不快感を持ちながらも、ゴールに向かう以上、それでもエフィカシーを下げないことは言葉以上に大変です。

なぜなら、抽象度の高い観点からコントロールすることと、感情は相反するからです。
交感神経と副交感神経を高いレベルで同時に発火させるなど、常人の技ではありません。

例えそうだとしても、きちんと逆境と真摯に向き合うことが重要です。

俺はできると私はやれると、そのときこそ私たちのエフィカシーの真価が問われます。
きちんとマインドの使い方が問われます。

何も変哲もない状態からエフィカシーをただ上げれば済むような、幼稚なマインドの使い方では困るのです。

現状のいらないものを徹底的に排除していくと、また違った風景が観えてきます。
なぜなら現状が少しずつ崩壊していくからです。  

 
(引用開始) マタイの福音書第9章17節

だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。
もしそんなことをしたら、その皮袋は張り裂け、酒は流れ出るし、皮袋もむだになる。
だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。
そうすれば両方とも長もちがするであろう。

(引用終了)


聖人君子とされるイエス・キリストが、私たちのことを肯定するどころか、全否定している点が非常に痛快でもあり秀逸です。

何かを新しく取り入れていく場合とは、たいてい自分のないものを取り入れるものなので、自分のこれまでのやり方とは根底から違うことになるでしょう。

古い革袋に新しい葡萄酒を注ぐと、これまでの自分のアルゴリズムと新しいアルゴリズムがバッティングすることは半ば当然のように感じます。

そういう意味で、正確に取り入れようとすればするほど、余計な主観は邪魔にしかなりえません。 


現状の外側に飛び込むとは、少し強引な論理展開をするとこのようなことだと思います。

今の現状を否定したそのときこそ、初めて向こう側に飛び出せます。

誤解を恐れず言うなら、自分のこれまでのやり方を全て一度捨ててしまうことです。
苫米地式っぽく大人な言い方にするのなら、一度それを離れて観ることです。
高い抽象度からそれを整合的に観て決定します。


現状の外に行きたいのなら、現状の全てを否定することです。

現状の外側に飛び立つことは、バンジージャンプにとてもよく似ていると思います!

IMG_1892
※怖いのは最初だけ!飛び降りたら結構一瞬です!w

-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
 

ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


得手不得手という言葉があるように、誰しも何かしら得意なものと不得意なものがあるものです。
それは別に何でもよく、自分が他の技能より難なく出来るものであれば、より深い知識をしっていれば、それは明らかに得意なものです。

得意なものは一見とてもいいものであるように映ります。
とういうより実際そうです。

しかし、さらにその先の深淵を覗きたいのなら、得意なものは得意であることさえも一度忘れてしまった方が得策です。
言葉としては「抜く」とか「燃やす」という言葉がベストでしょう。


なぜ抜くかといえば、そこには必ずスコトーマがあるからです。
スコトーマは人間の認知上仕方なのないもので、完全に取り除くことはできません。
コーチングの元祖であるルータイスもそれを認めてます。
いうなれば、今自分が得意なものが更なる可能性を止めているということです。

何かが観えたら何かが観えなくなる、それがスコトーマの機能です。
『スコトーマを外す』という言葉は字面以上に、繊細で複雑です。
その言葉の裏の情報場にアクセスできないのだとすれば、それは単に自分の眼が悪いからです。


スコトーマとは何故生まれるかを辿っていくと、得意なものを抜くことのその意味が浮き彫りになってきます。
それは知識のあるところにスコトーマが生まれるからでした。
つまり、知識をなくせば当然スコトーマはなくなります。
しかしスコトーマはなくなりますが、知らないものは認識できない脳の性質からいえば、そもそも意識の上にあがることすらなくなります。


得意なものを抜くことは、自分の優位さを放棄することです。
ある意味丸裸になることと同じです。
それをもう一度n^5のオーダーの計算を行って、もう一度同じ場所にいこうとするのは正気の沙汰ではありません。
もっと言えば簡単にn^5のオーダーの計算といいますが、そもそもその計算が終わるかどうかもわかりません。
これはチューリングが証明したことです。

しかしもっと先へ行きたいのなら、それは当然されるべきことです。
今のままでは、どの道どこかで必ず頭打ちを迎えます。
だからパラダイムシフトを起こせた人間が歴史に残るのです。


現状の外側とはいつも可能性に満ち溢れていますが、そこにいくには例外なく私たちに命がけの跳躍を求めます。
だから私たちにはゴールが必要です。
そこに飛び込むべきかどうかでさえ、ゴールがなければわからないからです。

視点を変えなければ観えない風景はたくさんあります。
最後はそれを観たいかどうかです。

絶望に希望はつきものです。

-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
 

↑このページのトップヘ

page contents