苫米地式コーチングで本気で変わっていく人のためのブログ

Mind Architecture代表 文野義明(苫米地式コーチング認定コーチ)のオフィシャルブログ。
苫米地式認定コーチである文野義明が本気で変わりたいと考える人に向けて発信するブログです!
ブログを通じて、本気で変わりたい人のマインド設計を促していきます。

タグ:アルベルト・アインシュタイン

ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明(ふみのよしあき)です。

 
先日のお昼も、
起業スクールの受講生と
個人セッションを行いました。
 
 
セッションの中身は終始、
ビジネスの骨子ともいえる
メインストリームとその外枠の形成です。
 
 
 
おかげで難なく
次のステージに到達しました!
 
 
 
 
実をいうと
ゴールでもビジネスでも、
素早く目標を達成するために
意識すべきことは、
 
ver0.2を創ることです。
 
 
 
完成は目指しません。
 
 
 
ver0.2を創ったあとに、
どんどんブラッシュアップをします。
 
 
 
 
この考え方の良いところは、
パラメータ(変数)を分離できることです。
 
 
だから問題が複雑になり過ぎず、
かつ適切なアプローチが取れます。
 
 
 
 
経験の浅いひとは
完成を先に目指し、
さらに重要なパラメータを間違えます。
 
 
 
 
表層の割どうでもいい問題を
重要だと勘違いして
いたずらに時間だけを消費します。
 
 
 
 
この見極めは、
正直「慣れ」です。
 
 
なので、
わかっているひとに
早々に聞くことです。
 
 
聞けば一瞬で解決します。
 
 
 
この感覚は投資にとても近いです。
 
 
「かけるコスト」と
「還って来るリターン」の
勘定をきちんとしないといけません。
 
 
 
これからビジネスが大きくなったとき、
最終的にこの感覚がものを言います。
 
 
例えば、
工場を建てるのに1億円必要で、
見込まれる利益が3億円なら
間違いなくGOです!
 
 
躊躇すれば
ただ商機を逃します。
 
 
 
話が少しそれましたが、
重要度の高いパラメータを
見抜いてフォーカスすれば、
それだけでとても早く前に進みます!
 
 
 
 
作業が止まる瞬間は脳科学的にいうと
無意識の演算が終わらなかったとき、
 
つまり、
 
「何をしていいのかわからない」
 
ときです。
 
 
 
 
 
さて、脳科学ついで
人間が合理的な判断ができない
脳の仕組みをひとつ紹介します。
 
 
それは専門的には
「論理誤差」と呼ばれるものです。
 
 
 
例えばひとは、
 
字が綺麗なひとを観ると、
そのひとは整理整頓も出来る人だと思います。
 
スーツをカッコ良く着こなしたひとを観ると、
そのひとは仕事が出来る人だと思います。
 
大学を中退したひとを観ると、
あきらめが早い人だと思います。
 
 
 
当然ですが、
上記に関して明確な因果関係は
証明されていません。
 
 
なので、反例はいくつでもあります。
 
 
中退がもしあきらめの早いひとならば、
ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズも
同じくあきらめの悪いひとということになります。
 
 
 
 
論理誤差は言い換えれば、
 
「優先順位の誤り」
 
であり、
 
「正しい問題設定の誤り」
 
を導くひとの機能です。
 
 
 
 
無駄なことをしていないか?
 
もっとスマートに解決できないか?
 
果たして自分の考えは論理的に正しいのか?
 
 
今のやり方で問題が解決しない場合、
認識している問題点を疑ってみましょう!
 
 
 
 
物理学者のアルベルト・アインシュタインの
名言にもこうあります。
 
 
私は1時間あったら、
正しい問題を探すのに最初の55分をかける。
 
 
 
あなたが本当に向き合うべき問題は
一体どこにありますか?


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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


私たちはゴールに向かっていく上で、色々と疑問なり問いが浮かびます。

この方法で良いのか?

これが本当にゴールなのか?

これはゴールを達成できる根拠になり得るのか?


それらの回答を逐次自分でひとつひとつ考えることは極めて重要なことであるといえるでしょう。

なぜなら、その葛藤の先にゴールはあるからです。


現状の外側に飛び出すことは、バンジージャンプのように私たちに勇敢さを求めます。

何も知らず何も意識せず飛び込むのは、それはただの蛮勇です。

もちろん蛮勇が結果的には評価されることもあり、一概には結論づけられないところが難しくもあり楽しくあるものです。


さて、自分の頭の中で浮かんだ問いを自分に問うたとき、なかなか答えが見つけられないという場合はよくあります。
 
そこで大抵は回答が出ない理由を、とても安易に自分の才能の問題だと結論付けがちです。


本記事の趣旨である『質問』ですが、その自分の才能の問題という回答を導くにあたって問いかけた質問こそが、すでに間違っているわけですが、天才的な回答とは、往々にして天才的な回答をひらめくことではなく、天才的な質問をひらめくことであると早々に転換してしまいましょう。

『天才的な回答をひらめくことではなく、天才的な質問をひらめくこと』が、いわゆるパラダイムシフトと呼ばれる瞬間です。

新幹線より速い乗り物を作りたいと考えたとき、もっと馬力の強いエンジンを開発するには?や車体を軽くするには?という質問をするのではなく、そもそも地面に車輪が接触しなければ摩擦が減ってもっと速くなるのでは?とひらめくことが大事ということです。

これはいわずと知れたリニアモーターカーの発想です。 


私たちの脳は計算機であり、計算機が規定の時間内に出力できないのは、入力の問題であると考える方が実は妥当です。

これはかの天才アルベルト・アイシュタインも同じ事を言っています。

「あなたが死にそうな状況になって、助かる方法を考えるのに、1時間あるとしたらどんな事をしますか?」という質問に対し、彼は以下のように回答しています。


(引用開始)

 最初の55分は、適切な質問を探すのに費やすだろう。
 
 重要なことは、質問することをやめないことだ。

(引用終了)

225px-Einstein1921_by_F_Schmutzer_2
@質問をやめなかったアイシュタイン


質問の意義もそうですが、ここにIQとはなんたるかということへのヒントも隠されているように感じます。


私たちは往々にして、天才的な回答を導けるひとに対して、安易に天才という言葉を使いすぎです。

またそこに回答が導けないことに対して、自分に才能がないからと言い訳を添えて。 


歴史をひもとけば一目瞭然ですが、彼らは狂気にとりつかれたように、きちんと答えの出る質問をひたすらに探します。

それこそアインシュタインは、相対性理論の著名な式であるE=mc^2を発見するために、消しては書き消しては書きというような血の滲むような計算を毎日取り憑かれたように繰り返します。

これを物理空間では紙と鉛筆ということが可能ですが、何度も何度も情報空間では質問を変えていたわけです。


考えるということは脳の情報空間における運動であるように、物理空間での強い身体がものをいいます。

情報と物理という二項対立に慣れた私たちからすると、これはとても奇妙なことに感じますが、情報と物理は同じものだから当然です。

いまいちピンとこなければ、1日同じことを考え続けるのには、非常に疲れるし体力がいるからと考えてもらって構いでしょう。


話を戻して、私たちが往々にして動けないのは、もしかしたら『質問』のせいかもしれません。

パソコンでいわゆるフリーズという現象は、裏側でユーザーの命令に対する処理(計算)が終わらず無限ループに入った状態です。 

『これは本当に自分のゴールなのか』や『本当に達成できるのか』といった類いのぼんやりした質問は、脳の計算メモリだけを無駄に奪います。

そしてもちろんそこから導かれる結論は、仮に導けても、ぼんやりとした役に立たない回答です。


数学の問題でも、丁寧な命題があればすんなり解けますが、抽象的な命題だけだけと時間がかかるのと同様です。


回答が見つからなければ質問を変えましょう。

質問を絶やさないことが、ゴール達成の秘訣です。


Blaise_pascal
※人間は質問する考える葦である

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


最近私のブログの内容へのお問い合わせをちょくちょくいただくようになりました!

熱心にも過去のブログもどんどん読まれているみたいで、恐縮であり、ありがたいと思います!

ただ正直にいうならば、初期の頃のブログは今の自分からすれば、抽象度低すぎて 少し泣きそうなったりします。

もちろんたまに良いことも言っているので、そのあたりはちょっと自画自賛しておきます!w


さて、そんな問い合わせの中で、少し印象に残った言葉に、急に書いている内容が変わりましたよね?というものがありました。

そんな意識はさらさらないですが、あえて言うなら、その答えはパラダイムシフトが起きたということです!

当時はもちろんですが、そんなことを全く思っていません。
今もいわれるまで、特別気にしていませんでした。

スティーブ・ジョブズの『人は過去を振り返ったとき、初めて点と点を線で結ぶことができる』というスタンフォード大学の卒業公演での一説ではありませんが、それらに少しばかりの意味づけをすれば、それらは今の自分にとって必要な階段だったのだなと思います。

もちろん当の本人はそんなことは全く意識していませんし、当時はWant-toのまま気持ちだけで進んでいるところもあって、一貫性もへったくれもありません。

部分部分で急な方向展開はありますが、その方向転換した部分のなかではもちろん一貫性が保たれています。たぶん

一貫性もへったくれもない急な方向転換を、今の私個人の率直な感想をいうなのら、コーチとしてどんどんパラダイムシフトしたということでしょう。

抽象度の階段において下から上は観えませんが、当然上から下はスッキリです!

それはニュートン力学から、相対性理論や量子力学が説明できないような風景です。

これは私に限らず誰でもこれからゴールに進む過程で、突然起きてくるものです。


しかし、こういう言い方は事実ですが、あまり好きではありません。

なぜなら、それは私の過去の話であるからです。

私の過去のパターンが、そっくりそのままあなたのパターンになるわけではありません。

それは、野球の本から理想的な投球フォームを学んでみて、その通りに実践できないのと同じでしょう。

いきなりポーンッと上にいっていいわけです。
 

こういう言い方だと少し誤解を生みそうなので補足しますが、もちろん、気づきや理解の助けになるものはあるのでパターンを知ること自体、無駄になることはありません!

ただ、そこからキャッチできる情報はどうしても自分の今の抽象度の高さまでの情報だということは知っておくと少し幸せになれるような気がします。

下から上が観えないというのは、純然たるプリンシプルです。
自分でいっていても、この事実はただただ悲しくなりますが。
 
下から上は観えないが、早く上に行きたいときはどうすればいいでしょう?

これは簡単で、その人に会いにいくなり、直接学ぶということです。
 
私の感覚でいえば、場を共有すると、発信する情報も受け取る情報もビット数の桁が変わります。

ドクターにも、空海にも、プラトンにも、偉人は例外なく、優秀な先生がついています。 

本質は身体と身体を合わせなければ学べないということです。 


なぜこんな要点が見にくい話を長ったらしくしたかといば、人はすぐわかった気になるからです。

そしてこれは、私が一番残念だと思うパターンだからです。

わかった気になるとそこで成長は止まります。
仮に理解が正しくても、その先は見ないようになってしまいます。

せっかく無限の可能性を秘めた光る原石を持っているのに、これほどもったいないことはありません。


実際アインシュタインもいうように、知れば知るほどわからないことが増えていくものです。

ニュートンの言葉を借りれば、真理の大海を目の前にして、きれいな貝殻を拾って喜んでいるような風景です。 


知れば知るほどわからないことが増えていく風景は、私自身も往々にして直面します。

そして結論がなかなか出ないことが圧倒的に増えてきます。


そうして、そんな右にも左にいかない議論に、非常にモヤモヤして仕方なくなりますが、だからこそどこに行きたい?という質問は重要です。

私たちの良く知る言葉で、ゴール設定というものです。
 

そして、それが決まるから、右にも左にも行くことが可能です。

別に右にも左にもいかず、道なき道をまっすぐいってもいいでしょう。


何気なくふらっとトイレにいくのでも、スーパーに買い物にいくのでも、そこにはきちんとゴール(目的地)が存在します。

またゴールに着けば、次のゴールが待っています。
スーパーではその後必要な食材を買うし、それ以上のものは手に入りません。

夕飯がすき焼きのはずなのに、ジンギスカンを買おうとは思わないわけです。

現状から飛び出すためにやってもいいでしょう!
ただそれさえも、何気なくゴールが更新されています。

何事もゴールはきっちり更新するし、ゴール以上のことができないのが通常です。


サッカーでワールドカップ1位を目指して4位になることはあっても、4位になるといって1位になることはまず無理です。


まずはゴールを決めましょう。

そして、もっと先のゴールを見据えましょう!

そうすれば、一意に決まり、ドンドン勝手に進んでいくでしょう!

 l_383
※ゴールは遥か遠くまで!

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


私たちは誰しもが各々だけのブリーフを持っています。

そのブリーフはこれまでの過去の経験や情動によって形成され、そして私たちを私たちたらしめるパーソナリティーを定義します。


パーソナリティーという言葉は、非常に特別な感じのする、絶対不可侵な領域であると思われています。
それを自我と言い換えてもいいでしょう。

この壁を超えることは誰もに叶わず、そして誰も土足で踏み入れてはならない神聖なる領域であると心の底から確信します。
ですが実際、自我は絶対不可侵どころか、穴の開いた障子ように中と外がツーツーです。
もっといえば、別の穴もさらにドンドン開いていくような代物です。


それはかの大天才、アインシュタインも直面した深淵なる事象です。
225px-Einstein1921_by_F_Schmutzer_2
@自分のブリーフを信じ続けたアルベルト・アインシュタイン


彼はご存知のように、相対性理論という華々しい成果を残しており、天才の代名詞として現代も生きています。
余談ですが、ノーベル物理学賞は相対性理論についてではなく、光電効果への光量子仮説を導入したことでした。


彼の信念はもちろん自然科学の真理解明ですが、その信念は1933年に開かれたオックスフォード大学での講演にて述べられています。

(引用開始)

純粋な数学的構造を用いれば、自然界の現象を理解する鍵となる概念や、その概念同志を結ぶ法則を発見できると確信している。

(引用終了)



しかしそんな彼が量子論におけるコペンハーゲン解釈に否定的であったことはあまりにも有名です。
量子力学の創始者のひとりであるマックス・ボルンに、アインシュタインはこんな手紙を送っています。

(引用開始)

量子力学は確かに印象的だ。ただし、私の心の声は、これでもまだ本物ではないと言っている。この理論は大いに役立つが、我々を神の神秘に導いてくれるとはとうてい言いがたい。
私はいづれにしても、神はサイコロを振らないと信じている。

(引用終了)



神はサイコロを振らいないとの主張に対し、神に指図するなとニールス・ボーアが応酬したように、これは大いなる論争を呼びました。

この背景にはユダヤ教であったアインシュタイン自身、神の非存在を認めたくないという一種の認知的不協和のようなものが起きたと考えることが恐らく妥当でしょう。
がしかし、何にせよ彼の主張が間違っていたことが現代物理学ではわかっています。
歴史的にはアインシュタインの敗北です。

科学は高度な批判によって成り立っているように、それ自体はとても重要なステップです。

もちろんアインシュタインを否定するつもりはありません。

信念を変えれば別の未来が待っていたかもしれませんが、彼自身が頑なに信念を持ち続けたことによって、相対性理論や光量子仮説は実際生まれています。
それはそれでひとつの着地点といえそうです。


どちらに転ぶかわからない以上、抽象度をあげて、どちらがより整合的かを観ることしかできません。

アインシュタインから学び、私たちもより外側から観るということをクセを身に付けたいものです。

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


私たちの脳は常に手抜きをしたがるクセに、刺激を追い求める非常に厄介な存在です。
一度見たものはもう二度と見ず、かといって刺激を与えなければ自ら幻覚や幻聴を引き起こして刺激を得てしまいます。

それはまさに欲しいおもちゃの前でだだをこねる子供のような風景です。


そんな脳にとっての唯一の幸福はユーリカ体験を得ることでした。
ドーパミンが勢いよく流れる、それは何ともいえない至高のひとときです。

その快楽を得るために、脳は非常に長い間、論理的で緻密な計算を行うにも関わらず、得られる快楽はほんの一瞬です。
まるで1,000円札を500円玉と交換するような風景です。
しかしに脳にとって、1,000円札よりも10,000円札よりも500円玉の方が重要に映るのです。


かといってこの500円玉が500円玉のままであるかと言われれば何ともいえず、希少な記念硬貨のように化けるときもあるものです。
つまり言い換えれば、それはユーリカ体験という名の抽象度の階段を昇る瞬間です。

その瞬間は確かに表現しがたい非常に恍惚な瞬間であるものの、抽象度の階段を昇った後、往々にして押し寄せるのは自分の無知さというどうしようもない絶望です。


この風景は私たちが大天才と信じるアインシュタインにも起こった体験です。
しかしの彼の偉大たるところは、むしろそこでエフィカシーがあがったことと思います。

(引用開始)
The more I learn, the more I realize I don’t know. The more I realize I don’t know, the more I want to learn.

学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるか思い知らされる。自分の無知に気づけば気づくほど、より一層学びたくなる。

(引用終了)


225px-Einstein1921_by_F_Schmutzer_2
@13歳までおねしょグセが治らなかったアルベルト・アインシュタイン


そんなアインシュタインと似たような風景をおなじみ大天才ニュートンも観ていたようです。
大著プリンキピアを書き上げても飽き足らず、次の風景を覗こうとしていたように感じます。

(引用開始)

I was like a boy playing on the sea-shore, and diverting myself now and then finding a smoother pebble or a prettier shell than ordinary, whilst the great ocean of truth lay all undiscovered before me.

私は、海辺で遊んでいる少年のようである。ときおり、普通のものよりもなめらかな小石やかわいい貝殻を見つけて夢中になっている。真理の大海は、すべてが未発見のまま、目の前に広がっているというのに。

(引用終了)


newton1s
@ライプニッツと微積分の先取権を争ったアイザック・ニュートン


彼ら二人のこの風景は、持っていたゴールがやはりずっと先にあったからだと思います。
でなければ、もっと先へは眼を向けなかったでしょう。

もちろん彼らに限らず、世界に名を名を残す偉人とは、彼らのようにもっと先を見続けた人達です。

であるならば私たちも願わくは、浜辺のきれいな貝殻を見つけた幸福よりも、大海の方へ眼を向けたいものです。

例えそれが絶望を選ぶことになってもです。

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※もっと広大な海へ!

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