苫米地式コーチングで本気で変わっていく人のためのブログ

Mind Architecture代表 文野義明(苫米地式コーチング認定コーチ)のオフィシャルブログ。
苫米地式認定コーチである文野義明が本気で変わりたいと考える人に向けて発信するブログです!
ブログを通じて、本気で変わりたい人のマインド設計を促していきます。

カテゴリ: コーチング

ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明(ふみのよしあき)です。


私たちの物の考え方は、過去の情動を伴って記憶によって出来ています。

これをもっと別の言い方に換えると、過去に行った失敗を強く記憶して、それを自分の未来の行動の指針にしていくということです。


つまりは、私たちの行動の基準が失敗によってもたらされているということです。

私たちの行動の基準が過去の失敗によってもたらされているのなら、私たちの人生は失敗の連続の上に成り立っているといっても言い過ぎではありません。


例え失敗の連続だったとしても、過去の失敗とこれから起こることに何か因果関係があるかと聞かれれば普通ありません。

サッカーでボールを蹴るつもりが全くボールに掠りもしなかったことと、野球でバットを振ってボールを空振りすることの因果関係はないのです。

しかし、なぜかサッカーでの空振りと、野球での空振りを同じフィールドで考えてしまい、そして次も同じミスをすると錯覚します。


これは脳の機能に由来します。

いわば、自分の持っている情報と新しく入ってきた情報に対して、整合的に結び付ける機能です!

何故強引にでも結びつけるかというと、それによって私たちの自我を保っているからです。


私たちの自我とは、無数の小さな要素が複雑に絡み合った大きな構造物(ゲシュタルト)です!

ゲシュタルトを維持するとは、つまりは自我を維持しているということであり、ゲシュタルト化を外すと私たちが生きていくうえで、とてもまずいことになってしまいます。

なので、この強引にでも結びつけてしまうのは仕方ありません。


そういったことを踏まえたとき、やるべきことはひとつだということがわかります!


それが『現状の外側』に飛び出すということです!


ひらたく言えば、自分がこれまでやったことがないことや、馴染みのないことをやってみるということです!

なぜなら、自分がの過去の経験群が、自分の行動基準を作って、それにしたがって生きているなら、その基準以外の行動をとらねば、いつもまでも同じところをグルグル周ることは自明だからです。


そしてこの現状の外側に飛び出すことを、苫米地式コーチングでは薦めています。


さて、現状の外側に飛び出すことは極めて重要ですが、ここだけいうと、今までやったことのないことをやれば正解ということになってしまします!

もちろん、それは半分は正解ですが、もう半分は間違いです。

なぜなら、ただやったことのないことをだけをやるのであれば、それは万引きや窃盗などの犯罪も正当化することになってしまうからです。


そうではなくても、今までやっていないことをやるのは基本勇気が必要です。

なので、ある種、発狂にも似た、感情を爆発させて、勢いでトライしようとしてしまいます!


これも実は間違いではありませんが、感情だけを爆発させてトライし続けると、いつの間にか何も考えずに脊髄反射するだけの、意味不明なただ声だけが大きいうるさいひとになってしまいます。

本人は非常に刺激的で楽しく前に進んでいると感じるかもしれませんが、実は何も変わらずどっぷり現状の内側ということが少なくありません。

それは本末転倒です。


では、どういう状態が現状の外側に飛び出すということなのでしょうか。

その理解には、「社会的チキンレース」がとても参考になります!


社会的チキンレースとは、ゲーム理論におけるひとつの数学モデルです!

ゲーム理論とは、戦略的意思決定や合理的な意思決定者間の紛争と協力の数理モデルを扱う応用数学の一分野です。

ゲーム理論は、ジョン・フォン・ノイマンと、オスカー・モルゲンシュテルンによって創始されました。

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@ジョン・フォン・ノイマン


ダウンロード
@オスカー・モルゲンシュテルン


話を戻して、社会的チキンレースのルールは以下のように簡単です!

2人がそれぞれバイクにまたがって反対に位置します。

2人がバイクに乗ったまま合図とともに向き合って突進します。

先にバイクのハンドルを切って逃げた方が負けで、残った方が勝ちです。

もちろん、確かに逃げなければ負けることはありませんが、お互いバイクで正面衝突しますので、命の保証はありません!



どうすれば、チキン(臆病者)にならず、自分の利益を最大化することができるでしょう?

自分の出方を決めるには、相手の出方を知る必要があり、相手の出方を考慮して、自分の出方を意思決定する必要が存在します。

そこには膨大な仮定と検証を伴う高度な推論が不可欠です。


そんな社会的チキンレースですが、実は必勝法が存在します!

それは、相手よりも先にバイクのハンドルを抜いて投げ捨ててしまうことです!


バイクのハンドルを抜いて捨ててしまえば、そのひとはバイクをコントロールできなくなってしまいます。

要するに、正面衝突を避けるためには、もう片方のひとがバイクのハンドルを横に切るしかないわけです!


緻密で論理的な数学の世界のなかで、それらの全ての演算を理性的に終えた結果、バイクをハンドルを抜くという非理性的な行為が最強であるというのは、とても興味深い事実です!

そして私はこれが現状の外側に飛び出す風景そのものだと考えています!


つまり、最後に出てくる(見えてくる)選択は、非常に非理性的で感情的なものですが、その裏側には膨大で緻密な論理が隠されているということです。

大胆さの奥底には、それを裏付ける確かな知性が存在するということです。


現状の外側のゴールに飛び出すことも同様です。

ゴールが先に存在し、そのゴールを達成するために、ありとあらゆる可能性や方法を考慮します。

そして考えに考え抜いて、様々な今まで体感したこともない情動の波に襲われながら、それでもバイクのハンドルを抜き捨てるように飛び出すのが現状の外側に飛び出すということです!


「えいやー!」と感情で物事を決定しているわけですが、最初から感情ではなく、最後に感情というのがそのポイントです。

そこにWant-toが重なると、無敵であることはいうまでもありません!

そう考えると、現状の外側とは、極めて理性的な行為だということがわかります。


それが現状の外側への飛び出し方です。

現状の外側へ飛び出すとは、とても静かで非常に大胆な挑戦です。

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


今もなお茶の間をにぎわすベッキーですが、今回の騒動の善悪は抜きにして、彼女はどのように振るまうことがよかったのかと、ふと思います。

なぜなら、この世に失敗しない人は、いないからです。

間違えたくて間違えるわけではないこともそうですが、どちらかといえば、間違えなかった方が幸いであると考える方が適切だと思います。


実際コーチングを実践して、自らのゴールへ進んでいく最中にも、失敗や想定外の事態はやはり訪れます。

そしてそのときは、失敗した後のリカバリーにフォーカスすることの方が100倍重要です。


個人レベルでシビアアクシデントという言葉を使うと大袈裟ですが、何か大きなトラブルや失敗にあったとき、自身のマインド的にはシビアアクシデントのように感じて、IQや抽象度をガクッと下げます。

ちなみにシビアアクシデントとは、過酷事故という意味で、プラントなどの大規模な事故の程度を現す言葉として使われます!

最近でしたら、福島第一原発事故の際にその事故の大きさを現すことに使われました。


ということも踏まえた上で、早速ベッキーの一連の騒動を考えたとき、まず大前提となるのは人のマインドはネガティブなことが起きると、必ずそれがなかったこととしてと扱おうとすることです。

これは損失回避性という言葉で定義されるものです。

厳密にいえば、リスクを回避して行動しないというものです。

例えば、競馬で負け越して、もう一勝負したくなるのは、この心理効果が働くからです。

実際競馬で勝ち越した場合、もう一勝負してさらに勝ちを大きくとは考えず、その場で止めて、今の勝ちを確定させようとします。


なので、何か大きな失敗をした場合、同様に損失回避性が働いて、冷静に対処できないという事態陥ります。

なぜなら、起こった出来事に対して、きちんと事態を受け止めきれず、「そんなことはないだろう」と、臨場感が伴わないからです。

福島第一原発事故も、起こった事故を小さく見せようと政府が対応したことも、これが原因だと考えられます。

もちろん損失回避性の一言で片づけることはあまりにも簡単ですが、企業などの不祥事で、よく後手後手の対応を私たちが見かけるのは、このためです。

何か大きなトラブルが起きると、それを事実だと認めることができないのです。


そういう意味で、ベッキーの記者会見はとても大きな意義があったように思います!

スキャンダルが発覚してから、謝罪会見まで、とてもスピーディーでした!

普通ならばはここで事態が収束に向かったばずでしょう。

もちろんパパラッチの執拗な追及や、ワイドショーでしばらく取り上げられることをあったでしょうが、少なくともここまで執拗で長引くことはなかったはずです。

例えば島田紳助のように、退職までして責任を取ると、誰もそれ以上の言及を行いません。

むしろ場合によっては、かつてパナソニックがCMを用いて自主回収を行ったように、逆に信頼をあげることにつながります。


しかし、そうならず、ここまで叩かれ拗れています。

その原因は、もちろんゲスの極み乙女の川谷絵音です。


川谷絵音は、不倫騒動のあと、一向に表に出てきませんでした。

出したのは、謝罪文が書かれたFAXのみです。

これではもちろん誰も納得しないでしょう。


この納得しない、つまりうちから湧き出るモヤモヤを解消するはけ口として、すでに表に出てきたベッキーにその矛先が向かったということです。

私たちのマインドは基本モヤモヤを嫌います。

モヤモヤの対象を掴んでそれを解消するために、どんどん新たな事実、ないしは事実無根の憶測が飛び交います。

将来について漠然と不安になったとき、あれやこれやと色々な想像が頭を過るのと同じです。



新たな事実が新たな事実を、新たな憶測が新たな憶測を呼び、どんどん大きな火事に移り変わっていきました。


なので、川谷絵音が出てきていたら、もう少し自体は変わっていたかもしれません。


もし、ゲスの極み乙女の川谷絵音の事務所の戦略が、知名度を広げるために、黙秘をして事態を大きくしたなら、その戦略は正解です。

芸能ニュースに比較的に興味のない私にも、その顔と名前が届いたからです。


しかし、実際は表に出て叩かれて、好感度が下がることや、ライブの収益が減少するという短期的なマイナスを避けるために、表に出さなかっただけでしょう。

日本のこれまでの危機対応の仕方を観ていると、こちらの方がより濃厚です。


私個人、ベッキーの対応は悪くなかったと思っています。

しかし、運が悪かったしかいえないでしょう。



何か危機に直面したとき、そこをうまく乗り切る合理的な判断は重要です。


そして、そのためには、以下の3つの要素が必要です。

・現状の正しい知識

・現状からとれる選択肢

・そしてその選択肢が呼び込む短期的ないしは長期的結果


例えば、原発事故クラスのシビアアクシデントなら、その場でいつまでにその対応策を提示するという旨を、同時に宣言するというものです!

そして対応策を発表する際のポイントは、「何を必ずしなければならならいか」、「何をより優先してするべきか」、「何を可能であればするべきか」等を交えながら、現状についての正しい状況を発信します。


そうすれば、モヤモヤが解消され、事態は収束していきます。

危機対応とは、モヤモヤに対して、きちんとそれが解消をされるようアプローチすることです。


ここに自分も含まれますが、アウトラインをきちんと示すことで、事態のコントロールが可能です。


モヤモヤが生まれるのは、正解を探すためのエネルギーなので、それをこちらが明確にし、提示することで、ふっと消えておさまります。


危機対応にもコーチングは有効です!


ベッキーさん!

コーチングのご依頼お待ちしています!

コーチングのご依頼と詳細はこちらから!


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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


「こんなはずでは!?」と、過去の自分の選択の誤りを悲嘆したくなる瞬間は、過去に誰しもあるでしょう。

冗談半分で「こんはずでは!?」とオーバーリアクション気味に捉えられた場合は幸いです。
なぜなら、その失敗を踏まえて、次へ進むことができるからです。

そして、どちらかといえば「なんてことをしてしまったんだ・・・」とか、「何故こうしなかったんだ・・・」と、自分を責めたり、圧倒的な虚無感に襲われることの方が大半です。

虚無感に襲われれば、いうまでもなく、冷静な判断力が欠如し、何かトラブルが起こっても、事態を収拾することはできません。

しかも厄介なことに、大抵はそういった選択の失敗は、自分が決して外したくない瞬間に訪れるので、より一層テンパりに拍車をかけます。


さて、こんな事態を避けるために、大きな命題としてそもそも「最善な選択」とは何かを考えてみましょう!

上記の場合というのは、意識的であれ、無意識的であれ、自分にとって「これが最もいい選択だ!」と考えていることから始まります。

そしてその「最もいい」の自分の期待値から、外れてしまうことが原因です。


「最善な」という言葉の裏には、いくつかの選択肢が存在します。

そして選択という言葉には、それらのひとつを選ぶこと、つまり選ぶための情報があったことを意味します!


例えば、A社の株を買うか買わないかを考えると、「A社の株が上がる」という情報を見つけてからを買うということです。

あきらかにインサイダーであるという指摘は横において、「A社はB社を吸収合併し、業界1位の会社になる」という情報をすでにもっていれば、どう考えてもA社の株を買おうと考えてます。

これはある情報に基づく、最善の選択です。


しかし、その後、実はA社が粉飾決算を行っているという情報を得たらどうでしょう?

しかも、すでに粉飾決算を行っていることを公安にリークされており、いつ摘発されてもおかしくないという情報です。

そうなると、どう考えても、A社の株を買おうとは思いません。

なぜなら、A社の株を買っても摘発されれば、下落することは眼に見えており、買わないことが最善の選択だからです。


ここでのポイントは何かといえば、情報の獲得にタイムラグがあることです。

つまり、そのときは最善であった選択が、次の瞬間には最善の選択ではなくなっているということです。

もちろん逆もあり得ます。

「A社がB社を吸収合併する」という情報を知った瞬間と、「A社が粉飾決済を行っている」という情報を知った瞬間は違うのです。

違う以上、前提は崩れ、最善の選択は変わってしまうわけですが、「A社が粉飾決済を行っている」情報を知った途端、A社の株を購入したことに後悔します。

もちろん株価が下がって損をしたことは、非常に悲しい出来事ですが、それと同時に仕方ないことでもあります。

なぜなら、その当時は「A社が粉飾決済を行っている」という情報を知らなかったからです。

知らない以上、どうしてA社の株を購入しないと選択できるのでしょうか?

それこそ「最善な選択」を捨てればそれは可能ですが、そもそも論として、なら何も考えずに選択した場合と同じです!


であるならば、私たちは自分のマインドの持ち方として、どうすることが適切でしょうか?

それは、常に最善の選択をしたと考えるということです!

だがら、失敗したときも「俺(私)らしくなかった。次はこうしよう!」となるわけです。


私たちが日常で良く使う「最善」という言葉は、今自分の見えている情報のなかでの最善です。
 
時間がたてば今持っていない情報が入ってくることは必然であり、それはつまるところ常に私たちは、断片的な情報の中で不合理で不条理な判断をしないといけないということです

そしてこれをもっと突っ込んでいうと、そもそも間違えない方がおかしいのです。


ただこれだけでは少し不十分で、最善の選択をしたと心から思いたいのではあれば、さらにここに自己責任を持つことです。

自己責任という言葉を使うと、日本ではどうしても自分の不始末を自分でつけるというネガティブな意味合いが強いですが、コーチングでいう自己責任はそうではありません。

それは積極的に自分の行動を受けて入れていくことです! 

その行動から派生する良い出来事も悪い出来事も、全て心から自分がそうしたと真正面から向き合うということです。


私がよく使う言葉は、「自灯明自燈自帰依」です。

ひらたくいえば、自分で自分を照らし、自らを拠りどころにするということです。

もっといえば、自分に由って立つから自由ということです。


愉しく良いことは毎日起きているときは、勝手にエフィカシーがあがります!

何をやっても成功すると感じるし、何をやってもうまくいきそうな気がします!

なので、どちらかといえば本当にエフィカシーの真価を試されるのは、自分が手痛い失敗をし、打ちのめされた瞬間です。

その状態でこそ、「それでも!」と心の底からあきらめ悪くいえることが重要です! 


失敗とは、もう1段階飛翔するための、格好のチャンスです!

今まで乗り越えて来たように、ここも乗り越えていきましょう! 

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


どうしよう・・・」とため息がつきたくなる問題は、誰しも経験したことがあるでしょう。

この問題は基本、そのひとにしかわからない、共有できない悩みです。


共有できないという意味は、ひとに言えないという意味ではなく、いっても伝わらないという意味です。

例えば、自分の顔の頬骨が出ているのが気に入らないと自分で思って悩んでいると伝えても、伝えられた方からすれば「それのどこが問題なの?」と共有できないというものです。


上記の例をもう少し深堀しましょう!

伝えた方は、自分の頬骨もうそれは嫌で嫌で、それこそ整形手術を持さないくらいの勢いです。

そして伝えられた方は、今までそんなこと考えたこともなかったと思っています。

もちろん場合によっては、むしろどちらかといえば健康的な面で「もう少し痩せたら?」と別のことを考えているかもしれません!


さて、そういうロジックを辿ると、コーチングにおけるスコトーマの原理を思い出します

スコトーマとは、心理的盲点のことで、物理的に見えていても、心の世界では観えてない世界があることを意味しています。

例えば、眼の前に高速道路を走りながらキレイな富士山が見えたので、その風景を写真におさめた後、後からその写真を見返してみると、車が一緒に写っていることに気付いていたというパターンです。

実際には車が存在しているにも関わらず、写真を撮るときには存在していなかった、、、

これがスコトーマの原理です。


スコトーマの原理をもっと平たく端的にいうと、今の自分にとって重要度の高い情報だけを選別して観ているということです!

この場合は富士山が重要なので、車の重要度は高くなかったということです。


つまり、頬骨が出ていることが気になるという自分の悩みも実は、スコトーマの原理を用いると、自分が観たいから観ていたということがいえてしまいます!

そして伝えられたひとからすれば、顔の骨格よりも健康や体質改善といった、別の重要度の高い情報が存在すれば、頬骨に関する議論は全く興味がありません!

明らかに言い方はよくないですが!苦笑


では、スコトーマの原理をもう少し推し進めると、要するに自分の悪いところを見つけたい、荒探しがしたいということです!

本人からすれば、生真面目に問題点をなくして、もっと自分を良くしたいと本気で思っているからとても厄介です。

そして自分の悪いところを自然に見つけて改善しなきゃとなるのは、実は自分のセルフイメージの問題であり、エフィカシーの問題です。

エフィカシーとはゴール達成の自己評価のことで、ひらたくいえば自己肯定感や自信です。


なので、仮に整形手術をして頬骨を削ったとしても、今度は違う箇所に問題を感じて、そこがどうしても許せなくなるでしょう!

そしてその箇所をまた整形して、今度は別のところが悪く見えて、また整形するという、無限ループの始りです!


元AKB48の板野友美をはじめとする、いわゆる整形マシーンと呼ばれる芸能人たちがなぜ存在するかもこのカラクリで納得できます!

なぜ私たちかみれば容姿端麗で、人気もあり、充分稼いでいるにも関わらず、女優やアイドルたちが不幸なのかが理解できます!
(もちろん全員がそういうわけではありません!)

繰り返しになりますが、それはセルフイメージなりエフィカシーが低いからです!

自分のセルフイメージやエフィカシーをあげるという本質的な問題から目を背けると、どんどんドツボにはまっていくとても悲しい現実です。。。


「気付いた時にはもう手遅れ!!」ということにならないように、早い段階で自分の本質と向き合っていきましょう!

それには、コーチングがおすすめです!

たいていは自分がやりたくないこと、自分が後回しにしたいものにこそ、実は隠れた真実が存在します!

6ヶ月のコーチングを終えると、そこから明確なゴールと自分らしい価値基準が見えてきます!

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


最近どのメディアも清原和博元プロ野球選手の薬物使用の話題で持ちきりです。

確かに薬物使用は犯罪ですし、基本的に許されることではありません。

ただ、報道の過熱さは、清原和博容疑者の家族や友人といった身辺、または薬物入手ルートに関する話題が中心です。

つまり、重要な『なぜ薬物に手を出したのか?』という視点が抜け落ちています。

ここはコーチングから観るとかなりスッキリ紐解けると思っているとともに、かなり他人ごとではない、身近な話題だと感じています。


さて、清原容疑者の今回の問題の本質は、ゴールの更新に失敗したからです。

つまり彼は端的にプロ野球選手を引退し、目指すゴールがなく、次に自分は何をすべきかということがわかっていなかったということです。


こういう言い方をすると、彼は野球解説者として、あるいはタレントとして、十分活躍していたという意見が返ってくると思います。

しかし、それは自分がこれまで慣れ親しんだ現状のなかでの変化です。

現状のなかでの変化は、色艶やかなワクワク感も興奮もありません。

それはどこか惰性やマンネリ感といったものに満ちています。


ちなみに、ここでいう現状とは、例えば会社員が新しいプロジェクトのリーダーを目指すというように、自分の今の状態から十分達成が可能な未来という意味です。

 
なので、清原容疑者自身は、ずっと心の中で、次に自分はどうしたらいいのかという根本的な問いを抱え、悩んでいたと思います。

もちろんその悶々とした気持ちは、無意識の奥底に蓄積され、膨れ上がっていたことでしょう。


そこを解消させるのに必要だったのが、何かといえば薬物ということです。

たいてい薬物に走る最初の原因は成人の場合、「寂しさ」といった心のなかでのネガティブな感情を埋め合わせるためです。

それは、何か過去の失敗を悔いて、アルコールに走ることと構図的には何ら変わりません。


「自分は一体何がしたいのか?」と聞かれて、即答できるひとは基本多くはありません。

即答できるひとも、私の過去の経験上、会社の売上目標であったりだとか、部署のプロジェクトのゴールとか、自分の取り巻く環境における回答がほとんどです。

子供が将来プロの野球選手や医者になりたいというような、自分の底から湧き上がってくるような気持ちは皆無です。

私はゴールがないという事実を深刻な問題だと思っています。

また、ゴールがあると思っているひとも、それはゴールではないということに気付いていないということも同様に深刻な問題です。


ゴールがないことが問題なので、確かにゴールを見つけることができたら無事解決です。

しかし、そのゴールを見つけることが実は現代において一番難しいポイントです。

どれくらい難しいかといえば、ゴールを達成することよりも見つけることの方が難しいです!


これはどういうことかというと、昭和初期と平成の現代の比較をするとよくわかります。

後者は今の日本のイメージで、前者はalways~3丁目の夕日~的な感じです。


昭和初期は、それこそ所得を倍増しようとか、3種の神器を手に入れろとか、明確に自分のすべきことややるべき課題がたくさんありました。

なので、優先順位の高いゴールがすぐに見つかり、そこにフォーカスすることができました。


しかし、現代はどうかいえれば、ほぼそのときの課題は解決され、優先順位の高いゴールは圧倒的に見えにくくなっています。


つまり、かなり深く自分と向き合い、徹底的に考えていかなければ、自分の本当にやりたいことは観えないしわからないのです。


やるべきことがわかりにくい世界で生きているという前提で、、、

やるべきことが見つからない⇒自分のなかで考える⇒悶々とする⇒もっともっと考えなきゃとなる⇒やるべきことが見つからない、、、

という無限ループです。



余談ですが、40~50代にかけて、心理学でも自分の目標を見失う時期があることが証明されています。

これはミドルエイジクライシスという言葉できちんと定義されています。


自分のゴールがないと、生きることに張り合いがないのはもちろんのこと、究極的にはうつなどの病気になります。

他にもそんな心の空白を埋めようと、あれをしたりこれをしたりと、行動に一貫性がなく、迷走します。

ひどい場合は薬物に手を出すこともあるでしょう。


これは個人の問題ではなく、社会システムの問題です。

パソコンのプログラムにおけるバグは、意思や心の強さといった次元を飛び越え、例外なく私たちをそういう方向へ引っぱっていきます。

つまり、少し極端に聞こえるかもですが、私たちがある種いつ薬物に手を出しても不思議ではないということです。

現にいまゴールがないというあなたは、おそらくこれの初期症状です。
 

社会が高度に複雑化する今だからこそ、コーチングを通じて自分に向き合うという時間が本当に必要です。

そうすると、今の耐え難い状態が一変します。

自分の人生に張り合いが出ることはもちろんのこと、自己実現ができ、自分の価値基準が明確になって自分らしさが獲得でき、他人に惑わされることなく幸福になり、自己肯定感があがるので年収にも直結します。


自分のゴールや本質、明確な価値基準はどこにあるか、一緒に探していきましょう!

ね!清原さん!

連絡はこちらからお待ちしています

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