苫米地式コーチングで本気で変わっていく人のためのブログ

Mind Architecture代表 文野義明(苫米地式コーチング認定コーチ)のオフィシャルブログ。
苫米地式認定コーチである文野義明が本気で変わりたいと考える人に向けて発信するブログです!
ブログを通じて、本気で変わりたい人のマインド設計を促していきます。

カテゴリ: 自己変革

ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


ワーキングプアや、ブラック企業という言葉が出来てどれくらいになるでしょう?

最近ではユニクロやワタミの他にも、ABCマートがそのやり玉にあがっているようです。 


ワーキングプアやブラック企業という言葉として、しっかりと定義され、労働者の過酷な現状がきちんと世界に認知されることはとても大切なことですが、一度言葉にされ浸透すると、その概念が当たり前になり、往々にしてマヒが起こります。

最初こそはワーワーと取りただされますが、そのときの熱狂はどこへやら、気付けば良くも悪くも馴染み深いものになり、特別大きな危機意識を持つことがなくなっています。

言葉にきちんと定義して問題を広めることが、かえって問題のスルーを促すとは、とても本質的な逆説です。

もちろんこのような事例を認知心理学の観点で見下ろせば、人は物事を絶対的な基準でなく、相対的な差分で判断しているため、徐々にそのギャップが小さくなるためです。

気付けば当たり前になり、何もしないというのは、とても自然な出来事です。


しかしそれは外から観ているからであって、傍観者を気取って批評を加えることが出来ますが、当事者からすればたまったものではありません。

もちろん例外なく当事者にも、先ほどの慣れという現象に襲われますから、自身の現状についていつの間にか『そういうものだ』というような半分諦めにも似たマインドのすり替えが起こっていると思います。

その状況をきちんと意識にあげたとき、自分の境遇を嘆くか、自分の境遇を変えていくかは、紙一重なような気がします。


さて、こうした悶々とした状態もマインドひとつで如何様にも変えていくことが可能です。

人の心は関数(Function)ですから、Input ⇒ F ⇒ Outputという関係性が成り立ちます。

ファンクショナリズムとビヘイビアリズムの大きな違いは、間の関数そのものが変化するかどうかにあります。

もちろん私たちは前者の立場を取っているので、間の関数を変えていけると主張します。

ここだけ聞くと、ブラック企業という入力に対し、間の関数を操作すれば、何も問題ない薔薇色の人生が出力されると考えたくなりますが、それはいつもいうように奴隷の人生です。

これはアミリ・バラカが指摘した、奴隷の鎖自慢と同じ構図です。

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 @アミリ・バラカ


ファンクションを変えるには、何かしらのエネルギーが必要です。

そして上記の場合では、悶々とした状態がエネルギーとなって、自身のファンクションを書き換えます。

しかし、本来そのエネルギーは、どうせ使うなら別のところで消費させるべきでしょう。

もちろんブラック企業に対し、正当な権利を主張することもそうですし、自身が起業し社会に機能を果たしつつ、社員のことを考られる役員になることもそのひとつです。

その方が建設的かなと思います。

貧乏人が金持ちを引きずり落としても、自分が一切金持ちにはなれないように、 物事には取り組むべき優先順位の高い選択肢が存在すると思います。

そしてそれはどちらが正解と言うことではなく、自分のゴールが決めるものごとです。


マインドのエネルギーは残念ながら蓄えることが出来ません。

電気のように放っておいたら、どんどんジュール熱に変換されて逃げていきます。

ジュール熱なら無害ですが、マインドの設計に関わるから非常に厄介です。 

エネルギーは正しくきちんと使いましょう!

あとはその方向です!


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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


気持ちいいことをやってみようというと、生真面目な私たちは脊椎反射的に、それをブロックしようとしてします。

なぜなら気持ち良くなるということに、私たちはおこがましさのようなものを感じているからです。

これももしかしたら古き日本の謙遜アルゴリズムが働いているからかもしれません。

謙遜アルゴリズムからすれば、自分が気持ちよくなるなんてもってのほかです。

もっといえば、まずは自分でなく他人を気持ち良くなってからという、とても清らかな心から来るものです。


『気持ちいい』という体感は、人間にとっての麻薬です。

私たちの行動の源泉は感情から始まるということもそうですが、最後の善し悪しは『気持ちいい』という体感が決めています。

お酒もタバコも私たちが容易にやめることができないのは、気持ち良さを容易に絶てるものではないからです。

実際麻薬中毒者は、その快楽状態を忘れることが出来ません。

温泉も、美味しい食事も、自分へのご褒美も、全て気持ち良さが伴います。

この気持ち良さが忘れられず、物理空間にこびり付き、抽象度が上がらないことも往々です。


そういったことも踏まえ、何故あえて気持ち良さを求める必要があるでしょう?

逆説的ですが、この問いの答えは抽象度の階段を上るためです。

私たちが抽象度の階段を上れない理由は、たいてい現状に強く結び付けられているからです。

もっといえば、現状の内側の欲求を、とても強烈に求めて気持ち良さを得ようとしてしまうからです。

しかし、一度その欲求を満たしてしまうと、もちろん時間差はありますが、一度そこから離れて観ることが可能です!

そうなると、冷静に現状を止観することができるでしょう。

また、徹底的に満たすことができるようになると、意外ともういいとなる場合もあり得ます。


これらの言い方を変えると、私たちは臨場感の強いものにリアリティーを感じており、そこからゴール側のリアリティーを感じてシフトしていくということです。

肝心なリアリティーが掴めなくては、元も子もありません。


ここでもうひとつ、自分が本当に気持ちいいという体感を知らねば、ゴール側へ貼り付けることが不可能です。

中途半端な気持ち良さでは、現状の鎖を引きちぎることは難しいと思われます。


そしてもちろん、気持ち良さを知らなければ、ゴール側にその気持ち良さを貼り付けることができないこともそうですが、何より他人へ伝染することもありません

エフィカシーやあくびが伝染するように、気持ち良さも他人に伝染します!

そして私たちが目指す最終形態である、一番幸福度の高い社会的情動へも行きつけません。

なぜなら、そこに必ず人が入って来るからです。


そういう意味で、自分から他人への気持ち良さのシフトは、シャンパンタワーのようなイメージです。


@シャンパンタワー


上のグラスがシャンパンで満ちなければ、下のグラスが満ちることがありません。

上のグラスがシャンパンで満ちれば、下のグラスが満ちるでしょう。

社会を変えていくには、まず自分が気持ち良くなることが必要です!


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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


Whyから始めるというのは極めて大事なステップです!

Whyとは非常に抽象度の高い概念であり、Whyから始めると、強烈なインパクトが宿ることもそうですが、何より時間経過に埋もれない、圧倒的な普遍性が表れます。

それはモーツァルトの楽曲を思い出すといいのではと思います。

受け継がれた時間も、曲を愛した人も、全てがひとつ先をいっています。


さて、Whyとはコーチング理論でいうと、ゴール設定に相当します。

『ゴールから始めよ』といわれると、確かにそうだけれどもと、ぼんやりしてしまいます。

そしてわかりやすいHowやWhatを手に入れたくなるものです。


では少し観方を変えて、Whyから始めると何がどう響くのでしょう?

それは同じタブレットである、iPadとKindleを比較するとよくわかります。

iPadはご存知の通り、PCのひとつ先の進化形と捉えることが可能です。

そして、ホワイトボックスモデルに従って、ハード自体には最低限のアプリしか入っておらず、自分でいかようにも最適なマシーンにカスタマイズすることが可能です。

ご存知のように、軽くて持ち運びも楽で、身体操作を取り入れた画期的なデバイスです。

そして、スティーブ・ジョブズの世界にインパクトを与えたいという、強烈なWant-toに従って作られました。


一方、Kindleはホワイトボックスモデルに準拠せず、すでにアマゾン関係のアプリが入っています。

イメージ的にはアマゾン専用の入り口です。

より便利にアマゾンを利用することが可能になるという意味で、それはデバイスというより、メディアサービスと説明する方が適切です。


確かにiPadもKindleも、映画を見たり、本を読んだり、ゲームをしたりと、確かに似通った機能を持っています。

しかし、後ろにそびえる哲学が違えば、使ったときの印象は全く別のものとなるでしょう。

なぜならオーバーラップした機能だけを使わず、現実はもっと複雑に運用するからです。


Whyが変われば、例え同じようなWhatでも、それは全く別の情報を持っています。

Whyが変われば、宿る情報が変わるのです。

そして冒頭でも指摘したように、時間変化に強い存在へと昇華します。


もちろんいうまでもなく、Whyを見つけることは一番難しいステップです。

Whyが決まれば、あとは柔軟に決めてHowとWhatに落とし込めばいいからです。


Whyを決めずにHowとWhatを求めることは、いわば土台を作らず、ビルを建てるようなものです。


これは『弱いところをつぶす』という発想にとてもよく似ています。

弱いところをつぶすことは大切であり、日本の教育を受ければ、往々にして自分の悪いところに目が行きがちですが、残念ながら、弱いところをつぶすだけでは、どこへも行くことが出来ません。

なぜなら、弱いところをつぶした場合、次に現れるのは別の弱いところであるからです。
 
弱いところが新しく発見されるといってもいいでしょう。

基本これの堂々巡りです。
 

そして気付けば迷子になるものです。

私たちは、まずWhyという大切な1%に100%注ぎましょう!

大切な1%から始まれば、全てが同時に発火し始めます!


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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


私たちの脳は大きく、感情の脳と論理の脳を持っています。

進化の過程でもともとは爬虫類が持っていた感情の脳に覆い被さるように、論理の脳が出来ています。

なので私たちは論理の脳という理性を身につけることができ、とても文化的な生活を手に入れることができました。


ただもちろん論理の脳を最大限使っているとはいえ、感情の脳も持っています。

そしてこの感情の脳は古い脳であるにもかかわらず、とても強力に私たちの意思決定に作用します。

ゴールに向かって進めるのは、それを楽しいと思っているからです。

ゴールに向かって進めないのは、それを不安に思っているからです。


行動の源泉が感情であるならば、私たちの理性とは何でしょうという本質的な疑問が浮かびます。

結局感情に基づいて判断を下しているのなら、いちいち理性というフィルターに掛けてモヤモヤせずとも、何も考えずそのまま感情に基づいて出してしまって良いような気がします。

ただそうやって感情の赴くままに動く姿を、私たちは『動物的』という言葉で表現して嫌っています。

秩序とは理性から導かれるように、私たちは動物的でなく、理性的という方に重きを置き、理性的な分類のなかに人間という姿を紐付けています。


さて、『人間とは?』という哲学的定義は個人の判断にゆだねるとして、少なくともきちんと理性的に考え意思決定していくことに焦点をあてるなら、存外私たちは『人間になること』を問われているのかもしれません。

別に選民思想でも過激論でもなく、西洋の伝統哲学では、子供から大人への成長を、動物から人間への移り変わりとして捉えています。

赤ちゃんを英語で受ける際、HeやSheを用いず、It(物)で受ける点はこういった背景からであるように思います。

赤ちゃんから大人になるとは、理性的・論理的な思考力を身につけて、初めて人間へ昇華するというパラダイムです。


感情という生理現象にきちんと抗うことが出来て初めて、大人になるという解釈は私個人嫌いではありません。

感情を抑圧するのではなく、真正面から抗うということに、泥臭くも、むしろ清々しさを感じます。

コーチングを通じて、自己成長をしていくときも、往々にして苦渋や葛藤を強いられることが多々あります。

スコトーマが外れて見える世界は、いつでも輝かしい薔薇色の世界ではなく、観ない方が幸せな現実だった方が多いものです。

例え観ない方が良かったことでも、伝統的な西洋哲学に文脈に添って考えるなら、そこで初めて大人になれたと考えることができ、全体的にはそれはそれで良かったのはないかなと思います!


結局最後は感情に自分の行動が決定されていると事実は科学であり、覆しようのない実証されたものですが、かといってそれに自分の歩みが邪魔されるのは、とても許容できる物ではありません。

ゴールへの障害は、あって嬉しいものではないからです。 

しかし感情が自然現象ないしは生理現象である以上、発生すること事態に対して、どうすることもできません。

物理上の実体パズルのように上手くいくようピースをコロコロ変えることは不可能です。


ただかといって諦めるということではなく、それをきちんとコントールしたり、書き換えてやればいいというのは十分可能であり、その発想自体はとても自然な発想です。

その技術がセルフトークであり、アファメーションであり、内部表現の書き換えです。

技術はアプリオリでなく、自分のより障害なく前に進むためのツールです。

それを学び、それを使いこなすヒントは、すでにたくさん存在しています。


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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


私たちはゴールに向かっていく上で、色々と疑問なり問いが浮かびます。

この方法で良いのか?

これが本当にゴールなのか?

これはゴールを達成できる根拠になり得るのか?


それらの回答を逐次自分でひとつひとつ考えることは極めて重要なことであるといえるでしょう。

なぜなら、その葛藤の先にゴールはあるからです。


現状の外側に飛び出すことは、バンジージャンプのように私たちに勇敢さを求めます。

何も知らず何も意識せず飛び込むのは、それはただの蛮勇です。

もちろん蛮勇が結果的には評価されることもあり、一概には結論づけられないところが難しくもあり楽しくあるものです。


さて、自分の頭の中で浮かんだ問いを自分に問うたとき、なかなか答えが見つけられないという場合はよくあります。
 
そこで大抵は回答が出ない理由を、とても安易に自分の才能の問題だと結論付けがちです。


本記事の趣旨である『質問』ですが、その自分の才能の問題という回答を導くにあたって問いかけた質問こそが、すでに間違っているわけですが、天才的な回答とは、往々にして天才的な回答をひらめくことではなく、天才的な質問をひらめくことであると早々に転換してしまいましょう。

『天才的な回答をひらめくことではなく、天才的な質問をひらめくこと』が、いわゆるパラダイムシフトと呼ばれる瞬間です。

新幹線より速い乗り物を作りたいと考えたとき、もっと馬力の強いエンジンを開発するには?や車体を軽くするには?という質問をするのではなく、そもそも地面に車輪が接触しなければ摩擦が減ってもっと速くなるのでは?とひらめくことが大事ということです。

これはいわずと知れたリニアモーターカーの発想です。 


私たちの脳は計算機であり、計算機が規定の時間内に出力できないのは、入力の問題であると考える方が実は妥当です。

これはかの天才アルベルト・アイシュタインも同じ事を言っています。

「あなたが死にそうな状況になって、助かる方法を考えるのに、1時間あるとしたらどんな事をしますか?」という質問に対し、彼は以下のように回答しています。


(引用開始)

 最初の55分は、適切な質問を探すのに費やすだろう。
 
 重要なことは、質問することをやめないことだ。

(引用終了)

225px-Einstein1921_by_F_Schmutzer_2
@質問をやめなかったアイシュタイン


質問の意義もそうですが、ここにIQとはなんたるかということへのヒントも隠されているように感じます。


私たちは往々にして、天才的な回答を導けるひとに対して、安易に天才という言葉を使いすぎです。

またそこに回答が導けないことに対して、自分に才能がないからと言い訳を添えて。 


歴史をひもとけば一目瞭然ですが、彼らは狂気にとりつかれたように、きちんと答えの出る質問をひたすらに探します。

それこそアインシュタインは、相対性理論の著名な式であるE=mc^2を発見するために、消しては書き消しては書きというような血の滲むような計算を毎日取り憑かれたように繰り返します。

これを物理空間では紙と鉛筆ということが可能ですが、何度も何度も情報空間では質問を変えていたわけです。


考えるということは脳の情報空間における運動であるように、物理空間での強い身体がものをいいます。

情報と物理という二項対立に慣れた私たちからすると、これはとても奇妙なことに感じますが、情報と物理は同じものだから当然です。

いまいちピンとこなければ、1日同じことを考え続けるのには、非常に疲れるし体力がいるからと考えてもらって構いでしょう。


話を戻して、私たちが往々にして動けないのは、もしかしたら『質問』のせいかもしれません。

パソコンでいわゆるフリーズという現象は、裏側でユーザーの命令に対する処理(計算)が終わらず無限ループに入った状態です。 

『これは本当に自分のゴールなのか』や『本当に達成できるのか』といった類いのぼんやりした質問は、脳の計算メモリだけを無駄に奪います。

そしてもちろんそこから導かれる結論は、仮に導けても、ぼんやりとした役に立たない回答です。


数学の問題でも、丁寧な命題があればすんなり解けますが、抽象的な命題だけだけと時間がかかるのと同様です。


回答が見つからなければ質問を変えましょう。

質問を絶やさないことが、ゴール達成の秘訣です。


Blaise_pascal
※人間は質問する考える葦である

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