苫米地式コーチングで本気で変わっていく人のためのブログ

Mind Architecture代表 文野義明(苫米地式コーチング認定コーチ)のオフィシャルブログ。
苫米地式認定コーチである文野義明が本気で変わりたいと考える人に向けて発信するブログです!
ブログを通じて、本気で変わりたい人のマインド設計を促していきます。

カテゴリ: お金のカラクリ

ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


Business Journalにて見つけた記事ですが、目を通しみるとあれれという感じです。

この手の話題の記事は読みながら、書いてある内容についてもっと抽象度を高くしてと思ってしまいます!

いつも言うように大事なことは抽象度であり、抽象度という観点が抜けるとそれは往々にして無駄な事例の紹介になりがちです。

統計的に傾向を取り出す分にはいいですが、その因果関係があまりにも乱暴です。

因果関係と相関関係の違いをもう少し明確に意識すべきかなと思います。 


といいつつこの記事の発行元はCyzoであり、Cyzo→苫米地英人ということで、この記事の迂闊な批評は、形だけみればブーメランとなりますが、Cyzoの編集権限をドクターは持ってないよと少し補足しておきますw 


さて、私のこの記事を読んで感じることは、やはり抽象度の高い人が稼ぐということだなと思いました。

年収300万円以下の共通点だそうですが、コーチングの観点から解説すれば、結局のところ、これは私たちが目指したい自帰依(自分に帰依しているかどうか)に関係することだと思います。 

シメにラーメンというパターンは、きっとやっている本人はそれが楽しくてやっているわけですが、冷静に考えれば結構不毛な行為であることは自明だと思います。

暴飲暴食は身体にとってマイナスであることを知りつつも、最後にガツンと食べたいという食欲がコントロールされず、ある種の暴走状態に陥っているということです。

これと同じ構図として、吐くまで飲みたいという人や、ウコンを飲まないと二日酔いなるといいながらお酒を飲む知人がちらほらいますが、吐くなら飲まなければいいとか、どのみち二日酔いになって翌日苦しむなら今飲まなければいいという指摘はとても至極真っ当な内容だと思います。


その点に関して、高収入に該当する人は、そのあたりのコントロールが出来ているように感じます。

全ての人がそうだとは思いませんが、記事の上では少なくともそうであり、私の周りのお金持ちは基本そうです。 

抽象度が高いという言い方だと少しぼんやりするので、前頭前野がきちんと扁桃体へ介入しているという言い方に変えるとどうでしょう?

日頃から前頭前野を使って、論理的に物事を考えるクセをつけると、 前頭前野が扁桃体へ反射的に介入するようになってきます。


また、もう一点こだわりが強いというのが、高年収の方の特徴だそうです。

コーチングにおいても自分の趣味のゴールを持つことは重要だといっていますが、こだわるということがいいのはそもそも何故でしょう?

簡単にいえば、こだわるとは考え続けるということだからです。

世間では〇〇すれば儲かるというような安っぽい宣伝を多数見かけますが、お金の定義をきちんと辿ると、お金の源泉は付加価値です。

付加価値とは何かと言えば、それは誰かの思考を指しています。 

つまりはこだわるとは考え続けるということであり、それが他人が認める価値となってお金が発生し、お金持ちになるというロジックです。

考え続けろといわれると、これまたぼんやりしますが、趣味にこだわれといわれると、もう少しクッキリして見えてきます。

好きなことは徹底的に考え抜ぬくと、独自の目線でその対象物の情報場をつかめるようになってきます。

それは私たちが独創性という言葉で評価している状態です。

独創性が出るまで考え続けるとは、これはなかなかハードルが高いですが、好きなことであればいくら時間を使って苦でないところがポイントです。


ある意味脳を酷使するというトレーニングがこだわるということであり、こだわった結果には往々にして他人が驚くような、想像も出来ないような論理が潜んでいます。

そして自分の現状と、独創性のある別の現状との大きなギャップに、私たちは『すごい!』という感嘆を覚えます。 


そう考えると、ひらたくいえば、高収入と低収入の違いは、脳の働きの違いであるといえそうです。

そしてコーチングは、その脳はフルに使い切るメソッドがたくさんつまっています! 

コーチングがきちんと身につけば、勝手にお金持ちになるという論理は、極めて自然な事と思います。 

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


自分の価値は自分で決める。

これは非常に大切な概念ですが、言葉以上に大変です。

私たちは小中高大と学校教育の中で、他人から価値や目標を決められることにあまりにも慣れています。
大企業に就職することは将来安泰ですよとか、一流大学にいくことはブランドもあって世間から評価もいいですよというものです。

人によっては、親に医者を目指しなさいとか、弁護士を目指しなさいといったことをいわれ、いつのまにか自分のゴールといして刷り込まれている人もいるでしょう。

自分が求めたかどうかは別として、そんな環境に慣れ親しむと自分で価値を決めることは容易ではなくなります。

自分で価値が決められないなら、私たちは誰かに決めてもらうことを本質的に望みます。
その誰かとは、もちろん人に限りらず、アプリオリなる真理もその範疇です。


自分で価値を決めると考えたとき、一番身近な例はお金(給与)であると考えます。

仕事は何でもいいですが、そのとき自分に投げかける質問は、自分の給料は一体いくらが相応しいかということです。

相応しい額を提示しようとしても、なかなか提示することはできません。

仮に相応しい額が2000万円だったと思ったとしても、その額の決め手となるアプリオリなる根拠を無意識のうちに求めます。

そしてそれが出来ず、現在の日本社会の制度を暗黙のうちに受け入れます。


社会一般的には、20~30代は会社に搾取される世代です。

そして40代から給与が上がり始め、50代でピークを迎えて、60代でまた少し下降するのが平均的な日本社会での給与の制度です。

この論理がどうやって決まったのかは諸説あると推測しますが、仮に終身雇用制度の名残であると推測したとき、その終身雇用制度を発案したのは誰かということに行きつきます。

終身雇用制度の発案者も色々発案理由があったと推測しますが、結局は誰かの発言であり発案です。

つまり主観が関わっています。

ただそれに慣れ親しむと、あたかも真理のように振る舞い、誰も疑問に持たなくなることは言わずとも知られた事実です。


また、経済学にその答えを見出そうとしときも、結局主観が入らざる得ないことに行き着きます。

例えば環境経済学という比較的新しい経済学では、温室効果ガス(地球は温暖化どころか寒冷化していますが)といった環境税の基準として使われます。

環境経済学のひとつの問いとして、二酸化炭素はどれくらい環境にダメージを与えるかを考えたとき、そのダメージを貨幣を単位として、そのあたいをアンケート形式で求めます。

これはCVM(仮想評価法)といわれるもので、環境経済学の世界で実際に使われてる方法論です。

少し見れば私たちは人よってアンケートの答えが右にも左にもずれるので、違和感しかないことに気づきますが、かといってそれ以外に特に評価する方法もなく、反論する側と精度をより高めようとする研究が並行してなされています。

つまるところ、アンケートという極めて民主的な取り組みにも、誰かが主観が入っているということです。
誤解を恐れずもっといえば、根底に主観があることを認めているということです。
そして初めてこの評価が成り立ちます。


さて、そのように考えたとき、基準などないことがひとつの事実なら、コインの裏表のように、自分で勝手に作ってしまってもいいという風に考えることが可能です。
もちろん突拍子のないものではなく、きちんと理路整然としている限りにおいては。

こう考えると、成功体験があるからエフィカシーが高いのではなく、エフィカシーが高いから成功体験がついて来ると考えることが妥当であることにも気づくでしょう。

それはただの主観で構わないのです。

何もないところからでも上げられるのが、エフィカシーのいいところです。

なら、その言葉に従って、どんどん上げましょう!

もちろんただあげれば全てOKというのような、脳内お花畑な解釈は論外として、エフィカシーは突き抜けるくらいがちょうどいいのです。

そして堂々と自分の相応しい価値を、自分で決めましょう。

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※エフィカシーはあげてなんぼ!

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


かつて私たちが原始人だった頃、それは飢えとの戦いでした。

そういう意味で、私たちが雑食なのは、肉でも野菜でも、何でもいいからカロリーを摂取して、少しでも餓死するリスクを抑えるための成果のように思います。
もちろん狩猟だけでなく、農耕を編み出したのも、飢餓に抗った結果です。

現在はカロリーベースでいうならば、飢餓の克服に成功しています。

しかし、未だに世界で餓死する人が存在するのは、世界というシステムのどこかに何かしらのエラーが存在するからと考えられるでしょう。

そして後に貨幣による価値の交換というシステムを創造し、現代は貨幣が飢えというDNAレベルの恐怖と合致します。

現在を生きる私たちは、お金という煩悩が強いことにも納得です。


さて、遺伝子レベルでお金が飢餓と紐づいていると言及すると、途端にお金を稼ぐことにマイナスのイメージを持ってしまいます。

それはお金を稼ぐことは卑しいことだと感じてしまうということです。

しかし、いつも言うように日本は資本主義を掲げている以上、お金を稼ぐことは当然です。
もちろん犯罪はダメですが、他人に役に立つプロダクトなりサービスなりを提供し、堂々とお金を稼ぐことはむしろいいことです。

人の役に立っているのだから当然です!


この構図で考えたとき、お金が減ったり増えたり、ただ単に移動するだけのように感じます。
買えばお金は減るし、売れればお金は増えるということです。

しかしお金を払う、物を買うという行為を、抽象度あげて観たときは、全体の富は増えることしかないことに気づきます。


とても簡単になるように、AとBの2人だけの世界を想定します。

この世界に流通するお金はたったの1万円です。
そしてこの1万円はAさんが持っています。

このときBさんはとても良く切れる包丁を作ることに成功します。

そしてあまりの切れ味に感動し、Aさんはその包丁を1万円で購入します。

このとき所持金はAさんが0円で、Bさんが1万円となりますが、包丁という1万円相当の財も存在ます。

合計2万円の価値があることになります。


また、今度はAさんが非常に丈夫で熱伝導にも優れたフライパンを開発します。

そのあまりのフライパンの火の通りの良さに感動し、BさんはAさんに1万円でフライパンを購入します。

このときの所持金はAさんが1万円で、Bさんが0円です。

しかし1万円相当の包丁と、フライパンと、合計2万相当の財が存在することになります。

合計3万円の価値があることになります。


これを繰り返せば、どんどん世界で富が増えることは容易に想像可能です。

そしてこれを70億人でやるのが、世界経済です。


もちろん言うまでもなく、貨幣が勝手に増殖したわけではなく、そこには私たちの考えた付加価値が存在するから、富は増えていくことが可能です。

付加価値というといまいちピンときませんが、それは古い言い方で労働のことを表します。


富の源泉とは私たちの労働であると看破したのは、19世紀に資本論を残したカール・マルクスですが、カロリーベースでも飢餓を克服し、寿命という意味でも膨大な時間を手に入れた私たちは、自分たちが考える以上に好きなものに熱中することが可能です。

ある対象に時間を使えば使うほど、当然人よりもその対象はひとつ高い抽象度に行きつくことができるでしょう。

そして、そのインパクトをきちんと誰かに評価されれば、そこに財の交換が発生します。

つまり、自分を含む社会の富が増えることを意味します。



@異常なスピードと精度でゴールを決めまくるおじさん(左側)のフリースロー


誰が、何に、どれだけの価値を見出すかは、言うまでもなくわかりません。

しかし、ただのバスケットボールのフリースローさえ、これだけ出来るようになると、新しい可能性が観えてきます。

テレビで報道されたり、芸として他人から呼ばれたりなどするかもしれません。
そこは最後にゴールがものをいうでしょう。


同じ時間をかけるなら、好きなものに使った方が合理的だと思います。

才能というより、好きやWant-toで、抜きん出る何かで豊かになりましょう。

私たちは好きなことを突き詰めるだけで、豊かになることが可能です。

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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


唯識の立場に立って考えるなら、私たちは死ぬまでずっと外部からの情報を受け取り蓄え続けていくそうです。
全て情報が阿頼耶識のなかに蓄えられたといえど、もちろんそれらが全て顕在化するわけではありません。
それら全ての中のごく一部が、末那識を生み出すとされています。

唯識
@Wikipediaより唯識の概念図


脳が実際阿頼耶識のように、生まれてから死ぬまでの全ての情報を蓄えているのかそれとも処分しているのかどうかは、なかなか深淵なる議論を呼ぶものです。
しかし閾下知覚然り、自我の形成然り、クリスタライズド・インテリジェンス然り、これらについて少しでも学んだことがあれば、全ての情報を脳が蓄えているとの前提に立つ方が整合的に捉えられると感じます。


もし私たちは生まれてから死ぬまでの情報を全て持っていると仮定したならば、なんの躊躇も迷いもなく、大いに学び続けるべきでしょう。
なぜなら知らないことよりも知っている方が、私たちを圧倒的に有利にしてくれるからです。

アベノミクスで景気が良くなると世間が謳っているときも、ただ官房機密費でメディアがコントロールさているだけだと知っていれば、経済成長率がマイナスであることに落胆することはありません。

消費税増税にて得た収益分が、被災地ではなく、官僚の給料に回っただけだと知っていれば、今後の10%への増税には明確に反対の立場を示せます。

こういった難しい話に限らず、オレオレ詐欺などの身近話題もそうでしょう。

もちろんここにはマインドの使い方も入ります。


『教育は確かに高くつく。だが、無知はもっと高くつく』といったのは、アメリカの政治家で100ドル紙幣にも描かれているベンジャミン・フランクリンでしたが、彼の主張はもっともです。

資本主義の中では、塾や予備校のように教育もビジネスの側面を持ちますが、何が消費で何が投資であるかはきちんと自分で決めていきたいものごとです。

無知であることは、金銭というわかりやすい形でなく、生命や自分らしい生き方など、今後ありとあらゆる無形の資本が自分から搾取されていくものです。
そう考えるとお金を払って済むとは、意外と取り返しのつくことのように感じます。

そして金銭がきちんと自分だけの資本に置き換わったなら、それは死ぬまで未来永劫使えるものになり得ます。

華僑の教えでも、時代が不安であればあるほど教育に金をかけろというものがあるそうです。
なぜならお金は奪われては終わりだが、一度頭に入った知識は死ぬまでなくならないからだそうです。

彼らは大陸越えて移動するので、様々なリスクを考慮した、自分の生命と直結した知識こそが最も大事であると考えます。
これはとても合理的な考えです。


知識はゲシュタルト構築に決して欠かすことのできない要素です。
もちろんその絶対量は、見方を変えればゲシュタルトメーカーに直結します。

この世のありとあらゆる商品は、誰かのゲシュタルト、つまりアイディアが形になったものです。

それは膨大な知識量がものをいいます。


この世の森羅万象全ての情報を得ることは不可能ですが、だからといって諦めるのはなく、学び続けることが大切です。


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ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


マネー哲学なる言葉があるように、お金とは人類にとってなかなか深淵なる問いかけです。

お金の正体は、ただの情報が乗った紙であることを知る私たちからすれば、特に深く悩む必要もないように感じますが、世間や社会はまるでそれが全てだといわんばかりのお金の刷り込みを施します。

資本主機や社会主義、社会学的に過去色々な社会システムが提唱され、現在もその一部が継承されているとなかなか実感が持ちづらいですが、今日から〇〇主義でいくと決めた途端、それ以外が強制的に排除されます。
最初は抵抗があるかもしれませんが、いずれ人は慣れていきます。
これを洗脳といわずして、何を洗脳といおうかという感じです。
資本主義ももちろん例外ではありません。

というものの日本が現状資本主義を採用している以上、そのルールに則る必要があるわけです。
もちろん則りたくなければ、その必要はありません。
そういう生き方は実際にあり、そのように暮らしている人も確かにいます。


さて、資本主義の論理を受け入れていこうと決めたとき、次に必要になることはお金のゴールです。
厳密にいえばお金はゴールではなく、お金と自分の二者間で、どのように付き合うことがその核心です。
便宜上ファイナンスのゴールと言いますが、裏で走るアルゴリズムはコンフォートゾーンです。

ファイナンスのゴールを細分化すると、フローとストックの2種類があるでしょう。

フローとは往々にしてキャッシュフローのことであり、言い換えれば入りと出です。
いくらお金が入ることが正で、いくら出ていくのかが正ということです。

そしてその次はストックです。
これはもちろん広義では貯蓄という意味になりますが、必ずしも現金で持つ必要はありません。
インフレや為替リスク等を踏まえてその配分を決定します。

両者とも、ファイナンスという意味でとても肝心です。
どちらかが抜け落ちても全く駄目で、どちらに対しても最適な設計と、ゴール設定が必要です。


先立つものは金という言葉がある通り、資本主義の中で何かを為すためには実際まとまったお金が必要です。
ブラック企業として世間に広まったワタミの渡邊美樹会長も、最初はトラックのドライバーで起業資金を集めました。
資本主義の上で何かをするとき、この論理は当然受け入れる必要があるでしょう。
重力のある地球でいくら生身のまま重力に逆らっても仕方がないのと同じです。

トラックのドライバーをする必要があると言いたいわけではなく、要はきちんとファイナンスのゴールがあったかというのが本題です。


お金は所詮どこまでいってもただの紙であり、ツールです。
間違っても神ではありません。

お金のシステムをきちんと俯瞰し、利用していきましょう!
何かをしたいとき、お金がないというのは、自分のゴールがなかったということです。

疑うべきは自分のゴールです。

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