ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


ひょんなことからたまたま思い出したので、少し自分の昔話をシェアします。

表題の通り、実を言うと、私はとても自己否定の強い人間でした。

学生のときから意識高い系というとあれですが、色々なお勉強をたくさんしたことと、色々な活動を通じて経験したことを、大きな自負にしてきましたが、その自負は本当に自分の底から湧き上がった自信ではなく、ただ自分を大きく見せたい虚栄心から来たものです。


学びがあったならいいじゃないと感じるかもしれませんが、結局自分に肯定感がないと色々なところでこじらせます。

例えば、学んでも学んでもまだまだ自分の至らないところばかりが眼に入り、自分に厳しく接するという大義の下、「なんでこれくらいできないんだ!」と毎日毎日ネガティブなセルフトークを繰り返していました。

他にも自分の努力に対し、自分をきちんと肯定することができなかったので、あまり努力していないと思われる他人を見つけては、あいつは「何もしていない!」と心のなかで扱き下ろしていました。

今思うととても嫌な人間です。

ただ当時の自分からしてみると、藻掻きに藻掻いていたし、そこから抜け出すために毎日毎日必死でした。


こんな状態だと自分の強みも強みとは思えません。

「頭いいよね!」という何気ない褒め言葉でさえ、「何いってんの?」と 照れるどころか心の中で真顔で反論します。

エフィカシーが低いと、自分だけでなく周りにも非常に迷惑です


さて、そんな自己肯定感のかけらもない状態でしたが、今はもちろんコーチングを通じて、そんな自分を抜け出しています。

その過程に色々なひとの助けがあったことは事実ですし、自分ひとりで上手くやったなどと口が裂けてもいえませんが、ひとの変革の第一歩として、そんな自分を辞めようと思ったのは紛れもなく自分です。

私個人劣等感から導かれた必死さの裏側へ隠れてしまって、一切見向きもしようと思わなかった真実を、受け入れることは非常に苦しかったし、これまでの恥ずかしい自分を全て捨ててやりたいという気持ちに何度も何度もなりましたが、そこを受け止めることで大きく上のステージにあがることができました。

半分あきらめにも似たような感覚のもと、そこから曇りない眼で純粋に観えた風景は全ては自分の縁によるものだという事実です。


つまり、自分が自己肯定感のかけらもなく、毎日死に物狂いで取り組んでいたのは、実は自分が好きで望んで、その状態に留まっていたということです。

当時の自分にこの言葉を伝えても、「そんなことはない!」と全く響かないでしょうが、仮に本当に抜け出したいのなら、「頭いいね!」ときちんとひとから評価されたとき、自分はここまで来たのかと何処かで納得するはずです。

それを自分の主観で、そうではないと決めつけて、聞く耳を全く持たなかったのは、まさしくスコトーマの原理です。

観たいものだけを観ていたという動かぬ証拠です。


そして自己否定をやめたとき、実は自己肯定感を高めることも、自信は持ったらいいのも、エフィカシーは上げればいいというのも、ようやくその意味が理解できます。

なぜなら、自己否定をやめたように、それらもただの選択だからです。


結局は自分が無意識レベルで何を望むかであって、何を確信するかで、全て必然的に決まるということです。


自己否定は別にしなくていい。

まずはそんな自分を受け入れることから始めましょう。 

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