ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


エフィカシーの高さがゴール達成に直結します。

エフィカシーの高さこそが、ゴール達成に必要なパラメーターであり、暗闇の荒野を突き進む道しるべです。

なのでコーチング理論において、基本エフィカシーはあげなさいと主張します。
決して下げないところがミソです。
 
そんなエフィカシーについて誤解されている部分が多いなと思います。


さて、エフィカシーの言葉の定義は、『自分のゴール達成の自己評価』であり、この定義に従って考えるならば一切他人は出てきません。
他人が自分を評価するわけではなく、あくまで自分が自分に評価するものです。

そしていうまでもなく、他人が自分のエフィカシーに介入してこないなら、自分も当然相手に変な介入をするべきではないでしょう。

よくいう私の指摘は、エフィカシーとモチベーションは違うというものですが、モチベーションは人間の生理機能として存在するので、結果としてモチベーションが勝手にあがることは往々にあり得ます。

エフィカシーが本当に高いとき、内側から煌々と湧き上がって来る何かが実際あるものです。
それすらも否定することはありませんし、むしろもっとやれ、もっと出していいと考えています。


しかしとても残念なことに、その気分の高揚や湧き上がった何かで、ビックリするほど性格がガラッと変わってしまう人が表れます。
内側からあふれるエネルギーをゴールへぶつけることなく、何故か他人へぶつける人が表れます。

自分が全世界の創造主たる神にでもなったような錯覚のもと、ナルシストのように自分の無限の可能性にただひたすらに耽ります。

そしてその自分だけの裸の王国に一度でも土足で踏み入るようなことでもあれば、ドリームキラーだのエフィカシーが下がるだの、部外者の徹底的な排除を始めます。

お酒を飲んで気分が大きくなり、抽象度を下げ、セクハラ発言やケンカを始めるIQの下がった酔っ払いよりもタチが悪いように感じます。
 
せっかくの理論を手垢でベトベトにしているからです。


尊大で、傲慢で、周りに害悪しか与えないエフィカシーであるならば、それは早々に燃やして灰にするべきです。

本当にエフィカシーの高い人は、自分の中できちんとゴールが達成できることを確信しています。
なので、意外にも『淡々と』とか、『粛々と』といった言葉の似合う、とても機械的なイメージです。

コーチング理論はその根底に人の無限の可能性を確信した上で、これは私たちが日頃感じる、とても優しくて暖かみのあるイメージと正反対のベクトルです。

もちろん淡々とであったり粛々とといった形容が適切であったとしても、個人の好き好きで感情をそこに乗せる分にはもちろん構いません。
成功したときも、失敗したときも「よし!成功した-!!」とか「うわー!失敗したー!!」と、叫んだ方が無味乾燥したオペレーションより明らかに艶やかで愉しくあるからです。


理論を知っているが故に、頭でっかちになって動けなくなるとの指摘をしている人がいましたが、それは理論がちっともわかっていないといった方が適切なような気がします。

より直接的な言い方にするならば、わかった気になっていただけということです。

理論がわかればわかるほど、そういったものとは無縁となるでしょう。
なぜなら、理論が細部まできちんと理解できていたのなら、無理なく無駄なく運用に移せるからです。


エフィカシーが高いことはもちろん重要です。

エフィカシーは上げて然るべきです。

ですが、エフィカシーが高ければ何でもできると感じるのはただの錯覚です。


0と1の間には無限のグレーゾーンが存在します。

カントールは0と1の間の無限の濃度と、数直線上に存在する無限に自然数を比較したとき、0と1の間の濃度の方がより無限であることを証明しています。


エフィカシーよりもまず先に抽象度をあげましょう。

そして誤解を恐れずにいうならば、まずは頭のお花畑を焼き払うこと薦めます。

わかった気になったエフィカシーは害悪です。

というより、そもそもこれは人間としてのただのマナーの問題に帰着するようにも思います。


そんななんちゃってハイエフィカシーはきっと私を含む誰しもが一度は経験することです。

そんなパラダイムは早々に卒業して、次のパラダイムに移りましょう!