ブログをご覧の皆さん、こんにちは!

マインドアーキテクチャーの文野義明です。


唯識の立場に立って考えるなら、私たちは死ぬまでずっと外部からの情報を受け取り蓄え続けていくそうです。
全て情報が阿頼耶識のなかに蓄えられたといえど、もちろんそれらが全て顕在化するわけではありません。
それら全ての中のごく一部が、末那識を生み出すとされています。

唯識
@Wikipediaより唯識の概念図


脳が実際阿頼耶識のように、生まれてから死ぬまでの全ての情報を蓄えているのかそれとも処分しているのかどうかは、なかなか深淵なる議論を呼ぶものです。
しかし閾下知覚然り、自我の形成然り、クリスタライズド・インテリジェンス然り、これらについて少しでも学んだことがあれば、全ての情報を脳が蓄えているとの前提に立つ方が整合的に捉えられると感じます。


もし私たちは生まれてから死ぬまでの情報を全て持っていると仮定したならば、なんの躊躇も迷いもなく、大いに学び続けるべきでしょう。
なぜなら知らないことよりも知っている方が、私たちを圧倒的に有利にしてくれるからです。

アベノミクスで景気が良くなると世間が謳っているときも、ただ官房機密費でメディアがコントロールさているだけだと知っていれば、経済成長率がマイナスであることに落胆することはありません。

消費税増税にて得た収益分が、被災地ではなく、官僚の給料に回っただけだと知っていれば、今後の10%への増税には明確に反対の立場を示せます。

こういった難しい話に限らず、オレオレ詐欺などの身近話題もそうでしょう。

もちろんここにはマインドの使い方も入ります。


『教育は確かに高くつく。だが、無知はもっと高くつく』といったのは、アメリカの政治家で100ドル紙幣にも描かれているベンジャミン・フランクリンでしたが、彼の主張はもっともです。

資本主義の中では、塾や予備校のように教育もビジネスの側面を持ちますが、何が消費で何が投資であるかはきちんと自分で決めていきたいものごとです。

無知であることは、金銭というわかりやすい形でなく、生命や自分らしい生き方など、今後ありとあらゆる無形の資本が自分から搾取されていくものです。
そう考えるとお金を払って済むとは、意外と取り返しのつくことのように感じます。

そして金銭がきちんと自分だけの資本に置き換わったなら、それは死ぬまで未来永劫使えるものになり得ます。

華僑の教えでも、時代が不安であればあるほど教育に金をかけろというものがあるそうです。
なぜならお金は奪われては終わりだが、一度頭に入った知識は死ぬまでなくならないからだそうです。

彼らは大陸越えて移動するので、様々なリスクを考慮した、自分の生命と直結した知識こそが最も大事であると考えます。
これはとても合理的な考えです。


知識はゲシュタルト構築に決して欠かすことのできない要素です。
もちろんその絶対量は、見方を変えればゲシュタルトメーカーに直結します。

この世のありとあらゆる商品は、誰かのゲシュタルト、つまりアイディアが形になったものです。

それは膨大な知識量がものをいいます。


この世の森羅万象全ての情報を得ることは不可能ですが、だからといって諦めるのはなく、学び続けることが大切です。


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