苫米地式コーチングで本気で変わっていく人のためのブログ

Mind Architecture代表 文野義明(苫米地式コーチング認定コーチ)のオフィシャルブログ。
苫米地式認定コーチである文野義明が本気で変わりたいと考える人に向けて発信するブログです!
ブログを通じて、本気で変わりたい人のマインド設計を促していきます。

本コーナーは『正しい苫米地式コーチングとは何か?』を


イシューに発信するシリーズです。


本企画の趣旨はこちらをご覧ください。





本日はその第1回、テーマは「苫米地式コーチングは魔法じゃない」です!




苫米地式コーチングが、他のコーチングプログラムと一線を画す理由は様々ありますが、そのひとつに非言語による無意識への働きかけがあります。




非言語とは、その言葉の通り言語でないものです。


例えば、音やにおい、視覚情報などがこれにあたります。



ただ、これらの情報は、まだこれまでの経験で言語化もある程度は可能ですが、苫米地式はもっと抽象度の高い次元で働きかけます。



もっと別の言い方で、この体感を説明するなら、例えばクラシック音楽を聴いて、その音楽について、誰もが全く同じものを想像できるように説明してみください、というのはどうでしょう?



不可能とは言いませんが、かなり難しい作業でであると思います。


苫米地式の非言語も同様です。



なお、苫米地式の非言語は音も、色も、においもありません。


念のため。




つまり、言語化作業が極めて難しいこともあって、なかなか伝わりにくく、理解しにくい。




こういったブログなどの活字媒体のメディアで説明する場合、メディアの性質上、文字情報しか乗せることはできませんから、なお複雑に感じられると思います。



恐らくこういった認識が、苫米地式コーチングを魔法のようなものであるとの誤解を生む原因となっているのでしょう。




そして、それらの誤解が行きつく先は、セッション後、ホテルのラウンジドア開けた瞬間別人のように生まれ変わってしまうというものだと考えています。




苫米地式コーチングを受ければ、確かに変革しますし、激変します。


しかしそれは、クライアントにとってのためのものであり、クライアントのスコトーマを外しながら行うものです。



コーチ自身の主観でゴリゴリやれば、それはクライアントを無視したもの危険な方法論です。


くどいですが、そういったことは一切行いません。




私たちコーチは、いい人でなければなりません。

(have toを説明上用いましたが、want toです)


ここで、いい人の定義とは、クライアントゴール達成にしか興味のない人です。



コーチの主観を一切はさまず、クライアントのゴール達成のみを考え、クライアントの親より兄弟より友人よりゴール達成の味方です。




これが苫米地式コーチングの本質であり、我々コーチのあり方です。


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自由になりたい。



これは人間の根源的な欲求です。




人間関係、経済状況など様々なものにがんじがらめになっています。




人間関係と経済状況に関する束縛は特に強烈で、


大半のひとが1度や2度はこの2つの悩みを抱えたことがある、


または現在も継続して持っていると思います。



そして、そのときこれらの束縛から解放されたいと思うでしょう。




束縛から解放される方法は簡単で、自分の価値基準を捨てることです。




こう回答する理由は簡単で、悩みは自分が生み出しているからです。





例えば、会社員のあなたは、毎日朝早くから出勤し、夜遅くまで勤勉に働きました。


もちろんそれによって、結果もそこそこでています。


そして次のプロジェクトを任せてほしいと上司に伝えたが、その願いは受け入れてもらえなかった。


会社員のあなたは自分の努力が評価されなかったと上司に憤りを感じます。



しかし、上司からすれば、実際はたくさんいる部下の中から、会社全体の利益を考えて、さらにプロジェクトの指向を考えた結果、別の社員が適任であると判断しました。



後日、その判断は適切でプロジェクトは大成功を収めました。




他にも例はたくさんありますが、結局は自分はこうしたからこうしてもらうのが当然、というマインドに原因あります。




それが自分の価値基準です。



それらはひとつずつ無くしていけば、晴れて自由です!



しかし、ここで想像してほしいことが、そういった価値基準を全て取り払った結果、残るのは寂しさです。



なぜなら簡単にいうと、張り合いがなくなるからです。


もっというと、別にあなたの眼の前に誰かがいる意味がなくなるからです。




プロジェクトを任せてもらえなかったのは、会社全体の利益を考えた最善の選択だったからだ。



自分が彼女にふられたのは、彼女の理想の彼氏像に自分がマッチしなかったからだ。



親にいつも勉強しなさいと叱られるのは、一流大学に進学・一流企業に就職することが、自分の将来を豊かにすることだと信じているからだ。




良い悪いは抜きにして、自分の価値基準をなくせば、こういったことはおきなくります。



ですがそれは果たして生きているといえるのでしょうか?




私は違うと思います。


自分で自分の選択ができないなら、別に自分である必要はありません。



自分の価値基準を捨ててもダメ、持っていてもダメ、ならどうすればいいか。




それは自分で束縛を選ぶことです。


自分が選んだ束縛は、束縛ではありません。自由です。




私たちの生きる世界は様々な関係性の上に成り立っています。


そしてその関係性は、至る形であなたを束縛するでしょう。


しかしそれが自分が選んだ束縛なら、それは自由です。


自分が様々な関係性を俯瞰して選んだ、本当の自由です!




一度自分を縛るものを冷静に、ご覧になって、あえて束縛を選んでみてはいかがですか?



なお、その束縛が自身のゴール達成のためならもっとよいことは


言うまでもありません。

苫米地式コーチングについて


学べば学ぶほど、


理解すればするほど、



苫米地式コーチングの正しい認識が、世間ではされていないなと感じました。

(当社比)




ということで、苫米地式コーチングのカテゴリーでは、


正しい苫米地式コーチングとは何か?』を


テーマに発信していこうと思います。



タイトルからも推測できるように、シリーズものの予定です(笑)



また、正しい苫米地式コーチングとつづっていますが、


内容は場合によって、私なりの定義・解釈が入ってくる場合があります。



そのあたりは、予めご了承ください。



次回より苫米地式コーチングの具体的な中身に入りたいと思います。




こうご期待!☆



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